EDC 営業日誌(過去のお客様)
2022年1月1日放送
本日のお客様は、ハリウッドザコシショウ様。
1974年、静岡県生まれ。1992年、大阪NSC(よしもと養成所)に11期生として入学。高校の同級生・“静岡茶っぱ”とのコンビ、G★MENS(ジーメンス)としてデビュー。2002年、コンビの活動を休止し、ピン芸人に。2005年からはソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に所属。その後、2007年にスタートした『あらびき団』で活躍、そして2016年に『R-1ぐらんぷり』で優勝!その後、数多くのバラエティ番組に出演され、人気お笑い芸人の仲間入り。Amazon
Prime Video「HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル」でも大活躍の、お笑い常狂芸人です!
 
 
2022年、元日のゲストは、年男でもあるハリウッドザコシショウさん!年末はご多忙だったため、明日(1/2)から休みを取り、ご家族で土星(!)へ旅行に行かれるそうです。笑
ご家庭での姿が想像出来ないザコシショウさん。「ほぼ全裸の男が、奥さんや子供の話をしてもね〜。」と、芸風に影響が出るため、聞かれない限りはご自身からご家族の話はしないことにしているそうです。本日は、そんなザコシショウさんの素顔に迫りました!
 
 
(“G★MENS”時代のお写真)
人気ピン芸人として多数の番組に出演されているザコシショウさんですが、元々は“G★MENS”というコンビ。同期には、中川家さん、陣内智則さん、ケンドーコバヤシさんがいました。
G★MENSの活躍で川島さんが印象に残っているのは、『オールザッツ漫才』。毎日放送で年末に、深夜〜早朝まで行われるお笑い番組『オールザッツ漫才』は、芸人にとっては特殊な番組。正統派のネタをする芸人がスベり、トリッキーな芸人の方がハネるという現象が起こります!笑
独自のお笑いを追求していた“G★MENS”は、「1年に1回、オールザッツ漫才で陽を浴びるために364日充電しているようなコンビ」と川島さんが述べるように、この番組でのウケ具合は、他の芸人さん達を圧倒していました。ザコシショウさんは「今は“ドキュメンタル(ダウンタウン・松本人志発案による・密室笑わせ合いサバイバル番組)”を得意分野としているが、そこに繋がるモノがあったかもしれませんね。」と、ブレない強さの礎を作ってくれたと振り返りました。
 
 
(ハリウッドザコシショウさんのお写真: 6歳の時)
もともとは内気な性格だった学生時代。静岡生まれのザコシショウさん曰く、この性格は県民性が関連しているそうです。「昔、アントニオ猪木さんが、“東京・大阪・名古屋のプロレス会場は盛り上がるけど、静岡は盛り下がる。”
と言ってたんですが、これは県民性。静岡の人は“前に前に”という人が少なく、試合は楽しいが、その楽しさをどう表現していいか分からない。」というお話も。
そんな内気なザコシショウさんでしたが、高校3年生の時に、G★MENSの相方でもある同級生の“静岡茶っぱ”さんと共に、お笑いの道に進むことを決意。ウッチャンナンチャンが卒業した“横浜放送映画専門学院”か、ダウンタウンが卒業した“大阪NSC”(よしもと養成所)に行くかで悩まれたそうです。距離的には神奈川県の方が近いですが、当時の横浜放送映画専門学院の入学金80万円に対し、NSCはなんと5万円!即決で大阪ヘ向かうことにしました!
そこで出会った同期のケンコバさんや中川家さんと一緒にいたら、こんな感じの芸風になったと語るザコシショウさんですが、もともとダウンタウンさんに憧れており、漫才が大好き。ザコシショウさんがボケ担当で、相方の静岡茶っぱさんがツッコミ担当。
しかし、最初はウケない日々が続きました。静岡出身なので、関西弁の「なんでやねん!」の発音が上手く出来ず、静岡弁で「なんでじゃん!」などとツッコんでいましたが、当時の大阪のお客さんは“漫才=関西弁”の印象が強く、静岡弁では全くウケなかったそうです。そこで、静岡弁のツッコミをやめ、「うわぁ〜〜!」など喚き声でツッコミをしてみることに!“ザコシショウさんがボケて、静岡茶っぱさんが喚く”という形にしてみると、周りからの評判も良くなり、手応えを掴み始めたそうです。
その後、東京の人気番組『ボキャブラ天国』にも出演しましたが、あまり良い感触はなく、やはり苦労する日々・・・そんな時、メインに活動していた「心斎橋筋2丁目劇場」が閉館してしまいます。そして、閉館を機に“よしもと興業”は、膨れ上がっていた芸人をリストラするためにリーグ戦を開催。その結果、G★MENSはリーグ戦全敗。カテゴリーも素人の方が出場する枠に入ってしまいました。“素人と同じならカテゴリーなら、新しい進路を考えよう”ということで、吉本興業を退社して上京されます。
 
 
(ハリウッドザコシショウさんのお写真: 28歳の時)
上京後、2002年にワタナベエンターテインメントに所属。東京ではテレビの仕事も増え、1年半ほどは忙しくしていたそうです。“極楽とんぼ”が司会のバラエティ番組『本能のハイキック!』には、レギュラー出演。他のレギュラーメンバーは、キングコング・おぎやはぎ・劇団ひとりなど、名だたるメンバーが揃っていました。
しかし、レギュラー番組が終了し、今まで呼ばれていた番組からも声が掛からなくなります。
結成から10年の節目、相方の静岡茶っぱさんの結婚もあり、G★MENSはコンビ活動を停止。ピン芸人となったザコシショウさんですが、当時はまだ1人での活動に慣れておらず、舞台では手も足も震え、言葉も出てこなかったそうです。このままピン芸人として活動するのは厳しいと感じ、ワタナベエンターテインメントも退社されてしまいます。
先が見えないなか、“今後どうしよっかな〜”と悩んでいる時、漫画家を目指していたフットボールアワー岩尾さんの元相方、現漫画家のカネシゲタカシさんに、漫画の世界に誘われます。G★MENSのネタを漫画にしたら面白いと感じたザコシショウさんは、芸人ということは伏せ、出版社に4コマ漫画を持ち込みました。すると担当者から「う〜ん。俺も長いことやっているけど、こんな面白くない漫画は見たことない。君はお笑いの勉強をした方が良い。4コマ漫画はフリを作り、最後に落とすんだよ。」とお笑いの指導を受けたそうです。笑
当時はものすごく腹が立ったそうですが、この怒りがお笑いの道に戻るきっかけとなりました。
そして、後輩の誘いもあり、現在も所属されているソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)へ。SMAはお笑い部門を作ったばかりで、ノウハウが無かったため、フリーの芸人さん達を積極的に受け入れていました。そのため、集まったのは挫折を経験した芸人たちばかり・・・。先輩もいないため、伝統があるわけもなく、傷付きあった者同士で仲良くなったそうです。コウメ大夫、バイきんぐ、少し遅れて、アキラ100%、錦鯉などが集結。立ち上げ当初から“来る者拒まず、去る者追わず”のスタンスで、「芸人の墓場」とまで言われていたSMA。しかし今では賞レース優勝者を数多く輩出!『M-1グランプリ
2021』で錦鯉が優勝したことで、M-1・R-1・キングオブコント王者が揃う事務所になったのです!
(SMAの芸人メンバーとのお写真)
 
 
ザコシショウさんといえば、誇張モノマネ!こちらの誕生秘話もお聞きしました。
もともと古畑任三郎のモノマネを、“古畑のモノマネ”とも“誇張し過ぎた”とも言わず、テーマ曲を流して3分間「ハンマーカンマー」と言い続けるネタをしていたザコシショウさん。ある時、“このネタを古畑任三郎だと理解できる人は1割もいないのでは?”と気づいたそうです。笑 理解されないモノマネをたくさん持っており、単独ライブで「モノマネ30連発」を披露していましたが、これを「3分間のモノマネ」に変更。短時間で多くのモノマネを、フリップでの説明付きで披露したことによって、ポップさと分かりやすさが加わり、お客さんからの評判も良くなったそうです。こうして、2016年のR-1ぐらんぷりで優勝を果たすネタの形が出来上がっていったのでした。
(古畑任三郎のモノマネをするハリウッドザコシショウさん)
誇張モノマネ誕生秘話を、真面目に解説をしてくださったザコシショウさんですが、川島さんはまず「ハンマーカンマー」の意味が分からないと指摘。笑
「あれ?古畑任三郎ってドラマ観たことないですか?常にハンマ-カンマーって言ってますよね?」ととぼけるザコシショウさんでしたが、DVDを全巻持っているほど古畑ファンの川島さんは騙されず・・・笑
“ハンマーカンマー”誕生のきっかけは、チャンバラトリオの南方英二さん。若手が大喜利をやり、師匠方が感想を言うライブで、ザコシショウさんの大喜利の回答に対し感想を述べる南方師匠。「ん〜、ハンマーカンマー(ん〜訳分からんわ)」とおっしゃったそうです。笑
聞き間違いかもしれませんが、このことが脳裏に焼き付いていたザコシショウさんは、急きょ新ネタが必要な時に思い出します!その時、ちょうどテレビで古畑任三郎が放送されていて、主演の田村正和さんが考え事をしていたそうで、ザコシショウさんの頭の中で、点と点が線で繋がります!笑
「ハンマーカンマー=考えている」「考えている=古畑任三郎」ということは、「古畑任三郎=ハンマーカンマー」と謎の方程式が完成!笑
こうして生まれたハンマーカンマーから、誇張し過ぎたモノマネに発展していく訳ですが、もともとの原点は“G★MENS”のネタが関係しているそうです。「円楽笑い過ぎて爆発コント」など、“やり過ぎるネタ”をコンビ時代から行っていたザコシショウさん。最初にネタのタイトルを言って、お客さんをナビゲートした後に暴れ倒すという流れは、誇張し過ぎたモノマネの原点となっているのです。
番組では新年初笑いで、誇張し過ぎた川島さん、ダウンタウン・浜田さんのネタを披露!笑 さらに川島さんのリクエストで、誇張していない“バイきんぐ”のモノマネも!笑
聞き逃した方は是非radikoタイムフリーでご確認ください!
(誇張モノマネの数々)
 
 
R-1ぐらんぷり優勝後は、様々なバラエティ番組に出演する多忙な日々。俗に言うバラエティ番組1周をされましたが、2年目からはその流れが少し落ち着いてしまいます。何かもう一花咲かせたいと思っていた時、オファーが来たのが、Amazonプライム・ビデオで配信されている『HITOSHI
MATSUMOTO presents
ドキュメンタル』でした。
この番組は、10人の芸人たちが自腹の参加費100万円を手に出場し、同じ部屋で笑わせ合い、最後まで笑わなかった人には賞金1000万円が贈呈される番組。
ザコシショウさんは、このオファーを受けた時のことを、「吉本芸人でもない僕が何も爪痕を残せれなかったら2度目は無いと思った。」と振り返りました。
“優勝は出来なくとも、モニター越しで見ている憧れの松本さんに何か引っ掛かるボケを残せたら・・・!”そんな覚悟で挑まれた収録。50〜60の小道具と、誇張モノマネを含めて、ネタ数は150〜160ほど準備していたそうです!
川島さんが印象に残っているのは、他の芸人がネタの着替えのために裏に行った時、笑わせるターゲットがいないにも関わらず、ザコシショウさんがネタをやり続けていたこと。このことについて、「だって凄く良い環境じゃないですか。全世界の人が観ていて、地上波より業界関係者がチェックしている。松本さんにも観て頂いている。選ばれた9人相手にネタをするだけではなく、画面で観ている人たちを意識している。」と語ってくださいました。
そしてザコシショウさんはシーズン5で見事に優勝!勢いそのままシーズン7でも優勝!この2回で、圧倒的な強さを世間に知らしめ、合わせて賞金2000万円獲得しました。『R-1ぐらんぷり』以前は、賞レースとも無縁だったザコシショウさん。2011年にご結婚されてから、ご家族にあまり贅沢はさせてあげられませんでしたが、優勝賞金でマイホームを購入!
現在、Amazonプライム・ビデオでは、ドキュメンタル第10回大会が配信中!歴代王者が集まった記念すべき大会です。まだご覧になってない方は、是非チェックしてみてくださいね!
 
 
(最近のハリウッドザコシショウさん)
昨年、ザコシショウさんは感動で涙した出来事がありました。
それは、川島さんがMCを務めたテレビ番組『オリジナルラフ』。困っている人のために、芸人がその人のためだけのネタを作り、解決するという企画。ザコシショウさんは、“緊張してしまい人前に出る勇気が無い6歳の女の子を、ダンスの発表会で堂々と踊れるようにして欲しい”という依頼を受けました。
3週間ほど一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、ネタを見せたり、寄り添い続けたザコシショウさん。そして、勇気を貰った女の子は、発表会で見事にダンスを披露!別れの際、ずっと「バイバイ〜」と言って、別れを惜しむ女の子。オンエアを見返したザコシショウさんは、家で感動して涙を流したそうです。
このVTRをスタジオで観ていた川島さんは、“ザコシさんで大丈夫かな〜?”と最初は不安だったそうですが、子供目線で親密に寄り添うザコシショウさん!ダンスを見届けた後に、「これで良かったんじゃねかな。」と呟き、去っていく姿には、川島さんも大号泣!「テレビであんなに泣いたのは初めて。」と話す川島さんは、VTRの先に、普段からお子さんに優しく接しているプライベートのザコシショウさんまで見えてきたそうで、優しくていいお父さん姿に感動したそうです。
ザコシショウの日常生活で一番幸せな時間は、ご自身のYouTubeチャンネル『ザコシの動画でポン!』を収録・編集すること。家を建てた際に防音室を作り、騒音問題や、時間に追われることなく、好きな時間に好きなだけ動画制作に没頭されています。そしてもう1つの楽しみは、ご自身がウケた番組を見返すこと。明石家さんまさんなど、大御所の方達が爆笑をしている姿をみると嬉しくなるそうです。逆に、スベったオンエアは観ないようにしており、「この芸風は反省したらダメでしょ!」と、笑いながら答えてくださいました。笑 攻め続けるのが、芸人・ハリウッドザコシショウなんですね!
また、そんなザコシショウさんの活躍を奥様はどう思っているのかも尋ねると・・・
ドキュメンタルに出た際は、結果が気になって、奥様も寝ずに待ってくれて、優勝を報告すると、とても喜んでくれたそうです!しかし、流石はザコシショウさんの奥様!配信された映像をチェックされた際には、チャンピオンであるザコシショウさんにアドバイスを送ることもあるそうです!笑
 
 
芸人人生の中で見つけたエウレカは、“好きなことをやり通すなら、相手に伝えることが大事”ということ。ずっとやりたいお笑いを曲げずにやってきたザコシショウさん。自由奔放に見えますが、ネタの中では相手に伝えることを意識されています。「自己満足で、何をやっているか全く分からないのでは意味がない。プロとして、やりたいことを相手にも伝える必要がある。」と語ってくださいました。ザコシショウさんの今後の夢は、冠番組を持つこと!地上波でもネットでも、深夜に30分ぐらいの冠番組を持ち、眠れない人が少しでも笑ってくれたら良いなと思っています!
最後にザコシショウさんは今回のドライブを振り返り、川島さんとじっくり話せて良かったと語ってくださいました。「同期のケンコバや、礼二(中川家)といるとアツい話にはならないからね。」と言うザコシショウさんに対し、川島さんは、「“楽しかったらアツい話をしなくてもいい”という関係ですもんね。後輩からすると、ケンコバさんや礼二さんといる時は、出会った頃の若手の感覚に戻り3人だけのノリで騒いでいるのを見て、羨ましく思います。」と伝えていました。今後、同期3人での番組も是非観てみたいですね!
 
radikoのタイムフリーで聴く