PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2021年12月11日放送

Passenger

ウルフ・アロン

本日のお客様は、ウルフ・アロン様。
1996年、東京都出身。アメリカ出身のお父様と日本人のお母様のもとに生まれ、恵まれた体格を活かして6歳から柔道を習いはじめます。東海大浦安高校に進学後、2年時には、1学年上のベイカー茉秋選手とともに、高校3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成。3年時には個人でインターハイ優勝。東海大学4年時には世界選手権100キロ級を制して“世界一”に。今年開催された『東京2020オリンピック』では、柔道男子100キロ級で金メダルを獲得!オリンピック後は持ち前のトーク力で数多くのバラエティ番組に出演し、柔道の普及活動を行なっています。

 

 

〜東京2020オリンピック〜

ウルフ・アロンさんは、今年の東京2020オリンピック 柔道男子100kg級で金メダルを獲得!そして大会終了後から現在に至るまで、テレビに“ひっぱりだこ”!卓球の水谷隼さんとウルフさんは、メダリストの中でも特に数多くのバラエティ番組に出演されています。1日に3本、番組収録が入ることもあり、“練習の合間に収録するのではなく、収録の合間に練習をする”ほどの状態・・・!もともと話すことが好きなウルフさんは、バラエティの収録でもあまり緊張することなく、楽しく臨まれています。基本的にどんな企画にもNGを出さず、“気にしているのは番組の裏被りだけ。”だそうです!気にしていることが川島さんと同じ・・・笑 とにかくバラエティで大活躍中です!

3年ほど前から魚を捌くことが好きになったウルフさん。テレビ番組では、ブリ一匹、綺麗に捌く姿を披露されています。階級により規定体重が設けられているため、試合前は減量を行う柔道選手。試合後の食事は楽しみの1つ。そんな時、“魚を捌く動画”を観たウルフさんは、“魚を自分で捌いた方が、安くて、新鮮で、美味しいのでは?”と思い、最初は、スーパーの真あじを購入。徐々に舌が肥えていき、今では豊洲市場まで出向き、魚を調達されています。仲の良い後輩を家に招いて、“おさかなパーティー”をすることもあり、その際はウルフさんが全て準備して振る舞うそうです!また、今まで釣りに行く時間が無かったので、今後は海に出て、ご自身で釣った魚を捌くことを計画されています。


(魚を捌くウルフさん。綺麗な盛り合わせです!)

 

 

〜パリオリンピックへ向けて〜

オリンピックでの激闘を終え、現在は休養を取られているウルフさん。日々のトレーニングは続けていますが、本格的な練習は再開されていません。川島さんが再開の時期を伺うと、「いつが良いんですかね・・・?笑」と迷っている様子。2024年のパリオリンピックに向けて、すぐに全力で練習を再開すると、大会前に心身ともに燃え尽きてしまう恐れがあるので、先を見据えたコンディション調整・逆算が必要になるそうです。
「東京オリンピックで金メダルを獲得したことで、若干燃え尽きた感覚はありますか?」と川島さんが質問すると、「若干どころじゃないですね。やっぱり。」とお答えに。東京オリンピックでの金メダル獲得を目標に、何年も前から全てを捧げ、その結果、最高の形で終えることができた今、次の目標を探すことはとても難しいそうです。
また、ウルフさんが積極的にテレビ出演されることには理由がありました。それは、「柔道を人気スポーツにすること。」
サッカーや野球に比べると人気が劣る柔道。オリンピック以外に、毎年行われる“世界選手権”や“全日本選手権”など、その他の大会も観てもらえるようになりたいと願っています。そのため、多くの人が柔道に親しみをもってもらえるように、バラエティ番組に全力で取り組んでいます!

 

 


(小学校1年生のウルフさん。小学校入学時には130cm・30kgもあったそうです)

〜柔道の道へ〜

柔道を始めたのは、小学校に入学する前。体の大きかったウルフさんは、お祖父さまから柔道を薦められ、6歳で講道館にある「春日柔道クラブ」の体験に行きました。初日の練習では、柔道のルールを理解できず、“楽しいのか、楽しくないのか?” の区別すらつきませんでしたが、練習後に先生から「楽しかったか?」と聞かれます。その先生の顔がとても怖かったそうで・・・「はい!かYes!の選択肢しか無かった。笑」と記憶されています。笑


(小学3年生のウルフさん)

こうして柔道教室に通うことになったウルフさん。小学校6年間は、楽しいというより、とりあえず通っていた感覚だったそうです。「とりあえず6年間は続けなさい。途中で投げ出す人間では、この先何をやってもダメになる。」というお母様の教えもありました。
中学校も春日柔道クラブに通える学校を選びました。地元の中学校に通う選択肢もありましたが、少し荒れていたそうで・・・。護身のために地元から離れた中学校を選んだと言うウルフさんに対し、「ウルフさんが絡まれることはないでしょ。笑」と川島さんはツッコみますが、実はウルフさん、中学2年生の時に地元のゲームセンターで不良に腹パンをされた経験があるのだとか・・・。「怖いから逃げました。」と笑いながら教えてくださいましたが、周りへの迷惑を考えて挑発には乗らず、柔道をやっているからこそ闘わなかったそうです。
しかし、柔道の面ではこの時が一番苦しい時期でした。中学1年生の頃は都大会の2回戦で敗退してしまい、さらに2年生になると後輩にも負けるようになってしまいました。それまで、“後輩には負けない”という自負があったウルフさんは自分が許せなくなり、負けから目を背けることをやめ、“本気で柔道に取り組もう!”と心を入れ替えたそうです。練習への意識を高め、空いている時間はフィジカルトレーニングに励みました。その成果は、高校時代に現れます。


(インターハイ3冠達成時のお写真。ウルフさんとベイカー茉秋さん)

高校2年の時に、団体戦で高校三冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成。この時、同じ高校の1年先輩で、後にリオデジャネイロ・オリンピックで金メダルを獲得するベイカー茉秋選手と二枚看板で全国を圧倒します。
3年生になると、個人でインターハイ優勝。これが柔道家・ウルフ・アロンとして初めての“日本一”でした。この頃、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まり、頭の片隅で“オリンピック”をかすかに意識し始めたと言います。そのままの勢いで、東海大学に進学。3年生の時に行われたリオデジャネイロ・オリンピックでは代表に選ばれませんでしたが、その悔しさをバネに、4年生時に世界選手権で優勝!“世界一”の称号を手に入れました。
ウルフさんはご自身の強さを、“同じ失敗をしないこと”と分析されます。負けや失敗から目を背けず原因を考えることで、同じ失敗を繰り返さない努力を重ねてきました。また、“自分は柔道の才能がずば抜けているとは思えない”とおっしゃるウルフさん。その代わり、走り込みなど基礎トレーニングで培われた“バテない力”を強みとして、それが、東京オリンピックで話題になった“ウルフタイム”(延長戦に強いことから) に繋がりました。

 

 


(1学年先輩のベイカー茉秋選手とのお写真)

〜金メダル獲得の裏で大事件!?〜

実はウルフさん、東京オリンピック出場直前にハプニングがありました。
試合前日の夜8時に階級別の計量があり、100kg級のウルフさんは、99・8kgで無事にパス。この計量に向けて厳しい減量を行なっていたため、計量後に栄養士の方から、本来の体のコンディションに戻すためには、おにぎり28個分の炭水化物を摂取しなければならないと告げられました。
白米・パスタ・うどんなど、本来の体に戻すために夢中で食べたウルフさん。気付けば、おにぎり28個分より多くの炭水化物を摂取してしまい、体重はたった4時間ほどの間で6,7kg増加して、106.5kgに!一晩寝て、試合当日の朝起きると、106.0kg、朝食を摂ると106.5kg。
通常なら、計量後の体重に規制はないので、このままでも問題はないのですが・・・柔道では、当日計量が全出場選手の中から4人だけ抜き打ちで行われるのです!大会5日目まで日本人選手が当日計量に選ばれることはなく、6日目にあたるその日、関係者の中では、“もしかしたらそろそろ日本人が選ばれるのでは?”という噂が流れました。心の中で“いやいや、流石に選ばれてないでしょ!”と高をくくりながら、計量対象者が表示される場所へ確認しにいったウルフさん。パッとみたところ日本人の名前は無く、胸を撫で下ろしましたが、もう一度よく見ると・・・英語で『Wolf Aaron』と書かれていました!
当日計量の規定では、100kg級の場合、105kgを超えると失格!朝、106.5kgあったウルフさんは、大急ぎで減量に取り掛かります。残された時間は1時間ほど。それまでに1.5kg体重を落とさないと試合に出場することが出来ません。周りの選手が、柔道着で練習を行っている横で、サウナスーツを着てサーキットトレーニングを始めるウルフさん!笑

 


(左:試合前日、おにぎり28個分の炭水化物を補うウルフさん。右:試合当日、サウナスーツで減量を行うウルフさん。)

その様子を見たメディア席の人たちも、“あれ?ウルフ選手、当日計量に選ばれたのでは?”、“なんか昨日より体が大きくなっていないか?”と、ザワつき始めました・・・。
結果、なんとか104.8kgまで体重を落とし、無事に当日計量をパスしたウルフさん。「そんな急に体重落として、体調、無茶苦茶だったでしょ?」と川島さんが質問すると、「普段、試合前にサーキットを行うことが無かったので、体が温まって良い動きに繋がった。最初はマイナスな行動かと思ったが、結果的には勝因の1つになったと感じました。」と、振り返るウルフさん。思わぬ事態にも冷静に対応し、勝ちに繋げる勝負強さを持っていました。

 

 

〜思い出の場所〜

思い出の場所1つは、「日本武道館」。ウルフさんは東京オリンピックの柔道会場が、日本武道館に決定したことで、本籍地を日本武道館に移されたそうです!オリンピックをまさにホームで闘っていました!笑
もう一つの思い出の場所は、地元の「江戸川区・新小岩」。中学2年生で後輩に負けしまった悔しさから、毎朝走り込みを行っていたのが、新小岩の近くを流れる荒川の土手。ここでの地道なトレーニングが“ウルフタイム”の原点になりました!オリンピックでは地元の皆さんから熱い応援を受け、金メダル獲得後に地元に戻ると、「金メダルおめでとう!」と書かれた顔写真付きのポスターが、まるで指名手配犯のように・・・沢山飾られていたそうです!笑 新小岩が生んだスターとなったウルフさん!ご実家の近くの唐揚げ店では、年中無料で唐揚げを頂ける権利を得たそうです!

 

 

〜尊敬する選手〜

ウルフさんは子供の頃、今年の東京オリンピックで、柔道男子日本代表の監督を務めた井上康生さんと、100kg級の強化コーチを担当された鈴木桂治さんに憧れていました。しかし今は、“憧れないようにしている”そうです。「誰かに対して憧れを持つと、その人を越えられなくなる。次は自分自身が子供達に憧れられる存在になることを目指しています。」と、力強く語ってくださいました。
また、今回のオリンピックで、井上監督から直接指導を受ける日々はウルフさんにとって感慨深いものでした。ただ指示を出すだけではなく、成功への道のりを明確に示してくれた井上監督。選手としての実績はもちろんですが、指導者としても超一流。良い選手が良い指導者になるとは限らないスポーツの世界で、将来的に指導者の道を考えているウルフさんは、「知識が10あっても、教える能力が3しかないと意味がない。10の知識を持ち12〜13の教える能力を持てるよう準備していきたい。井上監督を超える指導者になりたい。」と抱負を語りました。

 

 

〜今まで一番印象だった言葉〜

ドライブも終盤。これまでの人生で一番印象的だった言葉をお聞きすると、予想外のお答えが!それは、高校時代に付き合っていた彼女に言われた「ハーフの失敗作。」という言葉。正確には、喧嘩別れした後、彼女にブログで「ウルフ・アロンはハーフの失敗作」と書かれてしまったそうです・・・。「だいたい皆さん、良い言葉を挙げるんですけどね・・・。」と川島さんはリアクションに困り、「なんで、これをアンケートに書いたんだろう・・・まとめとして良くないな。笑」とウルフさんも苦笑いで、車内は微妙な空気に・・・。
川島さんは仕切り直して、人生のエウレカ(発見・気付き)を聞くことに!笑 「最後はしっかり決めます!」と宣言されたウルフさんのエウレカは、「失敗すること。そして、失敗には理由があるからそれを見つめ直すことが大事」。さらに続けて「失敗する場所も重要になる。1番目標にしている場所で失敗するのではなく、その道のりのなかで失敗を繰り返すことで、成功の“かけら”を集めていき、目標の場所では失敗しないようにするが大事。」と、これまでの経験を踏まえた説得力のあるお言葉を頂きました。やはり、終盤に強いウルフさん!最後はしっかり締め括ってくださいました!

 

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PLAYLIST
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