PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2021年10月30日放送

Passenger

坂本美雨

本日のお客様は、坂本美雨様。
坂本龍一を父に、矢野顕子を母に持つ女性シンガー・ソングライター。9歳の時に、家族でニューヨークに移住。1997年、17歳でRyuichi Sakamoto featuring Sister M名義によるシングル「The Other Side of Love」でデビュー。1999年から本名の“坂本美雨”で本格的に音楽活動を開始され、その後、執筆活動、ナレーション、演劇など表現の幅を広げています。
TOKYO FMでは全国ネットの番組「ディアフレンズ」のパーソナリティを 2011 年より担当。さらに、今年行われた『東京2020パラリンピック』の開会式では、蓮沼執太さん率いる《パラ楽団》のボーカルとして素晴らしい歌声を披露されました!
今月11月20日には、約5年ぶりとなるニューアルバム『birds fly』をリリース。また、大の猫好きで、著書「ネコの吸い方」や、愛猫の“サバ美”がインスタグラムで話題となるなど、“ネコの人” としても知られています。
川島さんとは、インスタグラムで“いいね”を押し合う仲!じっくり話すのは初めてのお二人がドライブに出掛けました!

 

 

〜東京2020パラリンピック〜

坂本さんは今年行われた、『東京2020パラリンピック』の開会式で、入場楽曲を奏でる蓮沼執太さん率いる《パラ楽団》のボーカルとして素晴らしい歌声を披露されました。
蓮沼さんとはもともと音楽仲間で、10年以上のお付き合い。2014年に発売された坂本さんのアルバム「Waving Flags」は蓮沼さんプロデュースでした。
もともと信頼関係のあるお二人ですが、容易に誰にでもお声掛けすることが出来ないこの式典に“ボーカルとして参加して欲しい”と蓮沼さんから頼まれた時、坂本さんは、蓮沼さんの様々な覚悟や想いを感じ取り、“力になりたい!”と参加を決めたそうです。
国際的な大舞台の裏側で坂本さんが印象的だったのは、同じく《パラ楽団》のメンバーで、片目が義眼の和太鼓奏者・富田安紀子さん。開会式で、彼女をエスコートする役を務めた坂本さんは、お話しする機会が多かったそうです。
予行練習の時、富田さんは、「いずれ(両目とも)見えなくなるんですけど、だからこそ、今この景色を目に焼き付けているんです!」と、明るくおっしゃいました。坂本さんは、富田さんと会う度にその言葉を思い出し、富田さんの想いが心に染み込んでいったと言います。
新国立競技場でのリハーサルは夜に行われ、空を見上げると綺麗な月が出ていたました。その月を見ながら、坂本さんは、ご自身も感動されていましたが、“横にいる富田さんは、この月をどんな気持ちで見ているのかな?”と色々考えさせられたそうです。この経験によって、日常の見える景色が変わったと言います。


(蓮沼執太さん率いる《パラ楽団》の皆さん!笑顔が素敵ですね!)

 

 

〜歌手デビュー〜

坂本美雨さんの歌手生活は16歳の時に始まります。お父様である、坂本龍一さんが1997年に発売したシングル「The Other Side of Love」にて、“Ryuichi Sakamoto featuring Sister M”名義でデビューされました。
デビューのきっかけは、その1年前。坂本龍一さんの日本でのライブの打ち上げに参加した美雨さん。お父様は先に帰宅されていましたが、スタッフの方とカラオケを楽しみました。その時、美雨さんは華原朋美さんの楽曲を歌ったそうです。その後、ドラマ『ストーカー 逃げきれぬ愛』の主題歌の依頼を受けていた坂本龍一さんは、“アノニマスで、国籍・年齢・性別も不詳な声”を持つボーカルを探していました。すると、スタッフの方から「カラオケに行った時の美雨ちゃんが、そんなイメージの声をしていたよ!」と伝えられます。
そして、スタジオに呼ばれた美雨さん。歌ってみたところ、お父様の求めていた声にぴったりだったそうです!ですが、お父様のなかで娘をデビューさせようという気は無く、この楽曲だけのフィーチャリング歌手として、“Sister M”という本名を伏せた形での参加となりました。
このレコーディングで美雨さんは、歌うことへの快感を覚えます。「ヘッドフォンをしてブースの中で歌った時、自分の歌声が音楽と溶け合っていて、“幸せ〜”」と感じ、歌う喜びが忘れられなくなりました。それ以前は、CDジャケットのデザインなどの音楽に関わる仕事をしたいと考えていましたが、このレコーディングを経て、夢は歌手に変わりました。
また「The Other Side of Love」はリリース後、覆面歌手という謎めいた感じが話題となり、さらに日本語版を中谷美紀さんが歌唱され注目を集めました。周りのスタッフからも「今後も歌手活動を続けてみたら?」とお誘いを受けます。


(幼少期の坂本美雨さん!常に音楽が身近にありました。)

意を決して、ご両親に歌手になりたいと告げたところ、「あ〜〜〜(やっぱりそう言う日が)来たか、、、」という感じで苦笑いされたそうです。笑 当初、お母様の矢野顕子さんは美雨さんの歌手活動に反対で、きっかけを与えた坂本龍一さんを軽く責めたとか・・・! 龍一さんは、ご自身がきっかけを与えたこともあり“仕方ないか〜・・・”となっていたそうです!笑 こうしてSister Mというマスクを脱ぎ、“坂本美雨”という素顔での歌手人生が始まったのでした。


(1stアルバム「DAWN PINK」)

1999年に坂本龍一さんプロデュースで1stアルバム「DAWN PINK」をリリース。
その後は、ご両親と一緒の活動をやめ、独り立ちすることになります。坂本さんは、NYから東京へ移住。「東京に放牧された・・・笑」という感覚で、右も左も分からない状態だったそうです。日本に着いてからは、所属事務所も無く、それまでお世話になっていた大人の方にくっ付いていました。当時、身寄りの無かった坂本さんは、1stアルバムをリリースされた“ワーナーミュージック・ジャパン”の宣伝部によく居たそうで、電話番などを手伝っていたそうです!また、NYでの生活が長かったので日本での日常生活も知らないことだらけ。水道代と電気代とガス代が分かれていることも理解ができず、さらには銀行口座や住民票も当初は無かったそうです。こうした中、セカンドアルバムを出すまでには、5〜6年の期間を要しました。


(アルバム「PHANTOM girl」)

その後、歌手活動が軌道に乗り、20代後半から、毎年アルバムをリリースされるなど、美雨さんのなかで表現したいことがどんどん湧いていきました。
しかし、30代目前の29歳頃、“ピタッ”と、アイデアやコンセプトが浮かんでこなくなり、音楽活動へのモチベーションが消えてしまったそうです。“自分は歌で、何も人の役に立っていないのではないか?”と悩み始め、介護関係やコーヒー屋さんなど、直接的に人の役に立つ仕事に転職しようかと考えたことも。
そんな葛藤や悩みを、母であり、ミュージシャンの先輩でもある矢野顕子さんにご相談することにしました。それまで、お母様にアドバイスを求めたり、個人的な悩みを相談してこなかったそうで、とても緊張されたと言います。
クリスマスの時期に日本でのライブのため来日されていた矢野さんとお茶をしていた際、「今、作りたいものとか、歌いたいものが無いんだよね・・・。」と伝えた坂本さん。すると、矢野さんから間髪入れず「辞めたら?」と返答されました!坂本さんは内心、(ええぇぇ〜 ここから深い会話になるんじゃないの!?)と、崖から突き落とされた感覚になりショックを受けました。
さらに矢野さんから「何の為にやっているの?人を幸せにしたいとかそういうことじゃないわけ?」と言われ、坂本さんはある事に気付きます。それは、“今まで自分の好きな曲を作っていて、直接的に人のため、誰かを鼓舞するためにアルバムを作ったことが無かった。”ということ。
そして歌手・坂本美雨として最後の作品を出す覚悟で、自分が主人公ではなく、聞く人を元気にするリスナーが主人公のアルバム「PHANTOM girl」をリリース。この作品では、当時流行していた「Myspace」(プロアマ問わず自分の楽曲を公開できるソーシャルネットワークサービス)で見つけたNY在住のトラックメーカーのデイブ・リアンさんに、坂本さん自らオファー。それまでの作品と異なり、思いっきり明るく振り切ったアルバムとなり、周囲からの評判も良く、新たな歌手活動の扉が開きました。

 

 

〜ご家族との関係〜

川島さんはここまでお話を聞き、お母様との関係が気になったそうで、「“母が来日”って言葉はなかなか普通の家庭では出てこないですよ!笑」 とツッコみながら、改めてご両親との関係性を伺うと・・・「拠点がそれぞれ東京とNYということも大きいが、作品に関してはお互いに感想を言わない。今は、両親の行動はツイッターやスタッフさんから知ることが多いです。笑」とお答えに。
また、美雨さんはパラリンピック開会式への出演をご両親にも伝えていなかったそうで・・・開会式当日に矢野さんはツイッターで「娘が開会式で歌っとるー」とお呟きに・・・笑 その投稿を見て、美雨さんは“あっ、見てくれたんだ!”と思ったそうです。一見不思議なご関係ですが、仲が悪いわけではなく、昔からこの距離感が当たり前。親子でありながらアーティスト同士。“母なりのリスペクトの形だと思う”と美雨さんもおっしゃられていました。


(坂本さんとサバ美ちゃん!)

 

 

〜ネコを吸う〜

坂本美雨さんは大のネコ好きとしても有名!
日常で一番楽しみな時間は、ネコを吸うこと。笑 犬を飼っている川島さんも肉球を吸うことがあるらしく、「ちょっと硬めで、香ばしい系。アーモンドみたいです。」と伝えると、 「あ〜良いですね。私はポップコーンと呼んでいます。」とすかさず反応される坂本さん。笑
メインディッシュはお腹を吸うことらしいですが、メインにいきつくまでに後頭部、首筋、肉球などくまなく吸うらしいです。たまに高度な吸い方もするそうで、鼻のマズルあたりを咥えることもあるのだとか・・・!?笑
「ネコはお吸い物です」と、数年前にTwitterで呟かれて以降、世間にもネコ吸い人が多く現れ始めました!この呟きがきっかけで、「ネコの吸い方」という本まで出版された坂本さん。夢は広辞苑に「ネコを吸う」という言葉が載ることだそうです!
初めてネコを飼い始めたのは7歳の頃。当時住んでいた高円寺の公園で拾ったネコ“タビちゃん”を子猫から育て始めました。タビちゃんはその後、移住したNYまで連れていき、20年以上も坂本さんの側にいてくれました。
現在飼われている“サバ美ちゃん”は坂本さんのインスタグラムにも度々登場されていますが、ご自身の告知投稿より、サバ美ちゃんの写真の方が“いいね”の数が多いそうです。笑
家で飼われていることが多い猫は、犬の散歩といった外でのコミュニティがないため、各家庭がどのように愛でているのか、かつては世に出づらかったと言います。しかし、SNSの流行、特にインスタグラムの流行で各家庭の愛で方が明るみに!笑
坂本さん流の愛で方(吸い方)をインスタグラムでぜひチェックしてみてくださいね!また、告知投稿にも “いいね”お願いします!笑


(坂本さんとサバ美ちゃん!)

 

 

〜ニューアルバム『birds fly』〜

坂本さんは、11月20日に、約5年ぶりとなるニューアルバム『birds fly』をリリースされました。
ピアニストの平井真美子さんと作られたアルバムで、レコーディングにはチェリストの徳澤青弦を迎えました。レコーディングはスタジオでは無く、池袋にある「自由学園明日館」の講堂で行い、3人での生演奏を1日で6曲、レコーディングされました。
昔の音楽家が行っていた室内楽の音で、生の空間の響きや、演者が呼吸を合わせる瞬間を“全て封じ込めたい”と考えた作品。レコーディングの様子を映像でも記録し、機材や撮影スタッフが動く度に床がミシッと音がするため、慎重に行ったそうです。それでも少しだけ床がミシッとなる音や、鳥の鳴き声が入っている曲もあるそうですよ!
皆さん是非チェックして生の臨場感を味わってみてください!

 

 

〜今後の夢〜

坂本美雨さんの夢はアイスランドに住むこと。
もともとシガー・ロスなど、大地を感じる独特な感性を持つアイスランド音楽が大好きだった坂本さん。音楽をめぐる旅という雑誌の企画で一度、アイスランドを訪れたことがあるそうです。しかしスケジュールの都合上、山や海などの、自然を感じられる所をじっくり訪れることが出来なかったそうです。いつか、アイスランドに長期滞在をして、レコーディングを行い、娘さんと一緒に大自然を満喫されたいと言います。
最後に坂本さんは「旅をするように生きたいな」とおっしゃってくださいました。

■坂本美雨オフィシャルサイト

 

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PLAYLIST
  • 「Precious」
    坂本美雨
  • 「Waving Flags」
    坂本美雨
  • 「The Other Side of Love」
    坂本龍一 featuring Sister M
  • 「Phantom Girl's First Love」
    坂本美雨
  • 「Story」
    坂本美雨
  • 「あなたと私の間にあるもの全て愛と呼ぶ」
    坂本美雨