EDC 営業日誌(過去のお客様)
2021年10月23日放送
本日のお客様は、糸井重里様。
1948年生まれ、群馬県出身。「ほぼ日」代表。1971年にコピーライターとしてデビュー。西武百貨店「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などの広告で脚光を浴びます。また、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など、幅広いジャンルでも活躍をされ、1998年に毎日更新のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を創刊。『ほぼ日手帳』をはじめ、AR地球儀『ほぼ日のアースボール』、「人に会おう、話を聞こう。」をテーマにアプリを通してお届けする『ほぼ日の學校』など、様々な商品開発、企画を手掛けています。
 
 
川島さんが糸井さんと初めてお会いしたのは1ヶ月ほど前。きっかけは、現在、渋谷PARCOで開催されている体験型展覧会『#ホテルカワシマ』。こちらの企画・運営を、糸井さんが代表を務める「ほぼ日」が行なっています。川島さんが支配人の『#ホテルカワシマ』は、ホテルの部屋に見立てたいくつかのスペースをめぐる展覧会で、川島さん独自の感性で仕込まれた各部屋のネタを体感することができます。最大4名まで同時に体験出来ますが、糸井さんはお一人でチェックインされたそうです。糸井さんは、面白い仕掛けの数々に“誰かと共感したくなった”と振り返り、川島さんも「もちろんお一人様でも楽しめますが、お二人以上で体験しながら感想を言い合うのがオススメ!」とのことです。11月7日まで開催されていますので、皆さん是非チェックインしてみてください!グッズも豊富ですのでHPも見てみてください!
https://www.1101.com/hotel_kawashima/
(『#ホテルカワシマ』のお写真。EDC社員も行ってきました!)
 
 
川島さんが小さい頃、テレビで糸井さんを観ていて印象的だったのは、TBSの番組『ギミア・ぶれいく』の企画「糸井重里・徳川埋蔵金発掘プロジェクト」と『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』の「芸能人釣り選手権」。それ以前の糸井さんの活動についてリアルタイムでは知らない川島さんが、今回、糸井さんの“そもそも話”をお聞きしました。
大学を1年で中退された糸井さんは、友人が通っていた「コピーライター養成講座」を受けます。その際、友人から「コピーライターの1文は4,000円になる」と聞いたそうです。当時は、条件の良い肉体労働のアルバイトでも2,500円ほどしか貰えなかった時代で、コピーライターの仕事は魅力的でした。もともとは漫画家になりたかった糸井さん。普段からお笑い番組もよくご覧になられていたそうで、大喜利や“とんち”が好きだったことから、“コピーライターは、(体力的に)楽だし、俺は得意じゃないかな〜”と感じたそうです。こうして通い始めた養成講座から、コピーライターとしての一歩を踏み出して行くことになります。
その後、糸井さんは活動の幅を広げ、1978年には矢沢永吉さんの自伝本『成りあがり』の取材・構成を担当されました。取材時は、地方でも矢沢さんに付きっきりで、一緒に映画や食事も行かれていたそうです。糸井さんから見た矢沢さんは、今でもずっと魅力的な人。出会った頃の印象について、「矢沢さんより自分の方が一つ年上だけど、“動物と動物”として出会うと、どうしても(人間としての)“大きいと小さい”を感じる。笑 永ちゃんがライオンだとすると、僕はその辺の小動物になってしまう。」と語られ、出会った時から、矢沢さんの子分になろうと決めたそうです。笑 普段は、人と会う時にあまり緊張せず、上下関係を意識しない性格の糸井さんが、このように感じたのは矢沢さんだけ。動物的本能が出たのかもしれないと振り返って下さいました。多くの人の人生に影響を与えた『成りあがり』ですが、当初、矢沢さんはタイトルを“成りあがり”にすることに抵抗があったそうです。しかし糸井さんは、“歩が金に成る”という意味の“成りあがり”は、本のサブタイトルでもある“How
to be
BIG(大きくなる為にはどうしたらいいか)”にも適しており、自分から“成りあがり”と言える人だということを前に出した方がいいと考えました。こうして、タイトルは制作途中に『成りあがり』に決定。矢沢さんはタイトルとして適切な言葉か少し悩みましたが、最終的には「“成りあがり”っていう言葉、ゾクゾクするね。大好きだよ。」とおっしゃってくださったそうです。糸井さんの言葉選びは間違っていなかったのですね。
(1980年代半ばの糸井さん)
 
 
糸井さんは1982年、西武百貨店の『おいしい生活』という名キャッチコピーを考案。きっかけは、飛行機の機内食!前年のキャンペーンテーマ『不思議、大好き』の撮影で、各国でロケをしていた糸井さん。しかし、スコットランドでのロケがとても退屈で、食事も口に合わなかったこともあり、ロケの途中で先に一人で帰国されたそうです・・・!その帰りの飛行機で食べた機内食がとても美味しく、糸井さんは「人が一番欲しいのは“美味しい暮らし”なんだ!」と気づきました。そして機内でメモに残した言葉が『おいしい生活』。すでに次のコピーは考えていましたが、この言葉をひらめき、切り替えたそうです。百貨店には宝飾品売り場から食品売り場までありますが、どちらも“おいしい”という言葉で表すことができ、「お客さんにとって必ず何か“おいしい”モノがある」という、百貨店にはぴったりのキャッチフレーズでした。また、この言葉はのちに、『日本のコピー ベスト500』で第1位に選出されるなど、糸井さんの代表作の1つとなりました。
 
 
糸井さんは、数多くのジブリ映画のキャッチコピーを手掛けています。
なかでも川島さんが気になったのは『となりのトトロ』のキャッチコピー、
『このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。』
川島さんはこの“たぶん。”について、「“たぶん。”を入れるか入れないかでだいぶ印象が変わると思います。また、普通のキャッチコピーの文章なら、(“たぶん、”まだ日本にいるのです。)になると思いますが、最後に“たぶん。”を持ってくることで会話の言葉になっている。」と感想を述べました。糸井さんはこの事について、「発想した時には“たぶん。”という言葉は付いていたと思います。また、“たぶん。”を最後に持ってきたのは、“まだ日本にいるのです。”で終えると、存在することを否定する人の気持ちを汲み取れない。また逆に、存在すると良いなと思う人もいるからこそ、“たぶん。”と最後に持ってくることで、両者の気持ちを汲み取れる、会話の要素を入れた。」とお答えくださいました。また、このキャッチコピーにはさらなる裏話がありました。それは、当初糸井さんが考えたキャッチコピーは
『このへんないきものは もう日本にはいません。たぶん。』だったそうです!
“(トトロが)いなくなった=人間が殺してしまった”という自然破壊へのメッセージ。昔や、子供の心の中にはこういうのがあった(トトロがいた)。と考える宮崎駿監督の発想を汲み取り、用意したコピーでした。しかし、宮崎監督から、「逆に“いるのです。” にしたい。」と言われたそうです。作品自体、大人たちが自然を破壊したという社会派の映画ではないため、“いるのです。”とすることで、子供の背丈に合わすことができます。また、糸井さんが声を担当したお父さんが、子供たちと一緒に、「いるよ、きっと。」と話すことで、子供の心の中にあるものを壊さない作品となりました。
また、トトロに関しては、糸井さんはポスターの制作にも関わっていました!雨のバス停で、サツキとトトロが傘をさして正面を向いている有名なポスターですが、当初はトトロとの出会いのシーンとして、向かい合った構図だったそうです。当時は、映画の1シーンをポスターに掲載するのが主流だったため、向かい合うシーンで話は進められていました。しかし糸井さんは、差し出がましいとは思いつつも、「正面を向いていた方が面白いですよね〜」と提案。すると、宮崎監督もすぐに納得され、採用されたそうです。糸井さんはいつも、“スタッフそれぞれに役割はあっても、1つの作品に関わるスタッフとして誰がアイデアを言っても良い”と考えていらっしゃいます。この時、宮崎監督も糸井さんのアイデアを柔軟に受け入れ、それ以降のジブリ作品は、正面を向いているポスターが多いそうです!確認してみてくださいね!
 
 
糸井さんが、企画・シナリオ・プロデュースを手掛けたゲーム『MOTHER』シリーズ(1989年〜)。ゲーム好きの川島さんにとっても、他のRPGとは一線を画す、忘れられないゲームだそうです。
糸井さんは昔、『ドラゴンクエスト』にハマっていました。その時すでに“自分で作った方がもっと面白いかも!”というゲーム制作への意欲が芽生えていたと言います。“鎧を着た昔の物語ではなく、現代設定が方がいいのでは?”と考えたり、同時期にスティーブン・スピルバーグ監督の映画を観ていて、“スピルバーグ監督の映画の世界観がゲームになったらもっとやりたくなるな”と感じていたそうです。
任天堂から発売された『MOTHER』ですが、糸井さんが声を掛けてもらったきっかけは、深夜番組『11PM』に出演したことでした。出演時に糸井さんはゲームについて、「昔は大学生が電車で漫画を読んでいたら“けしからん”と言われていたが、今、ゲームも同じ現象になっている。しかし将来は、ゲームを作ることは凄いことだと言われるようになる。」と熱弁。すると、それを観ていた当時の任天堂の社長・山内溥さんが、お話する機会をご用意してくださいました。糸井さんは、その際に自分のゲーム案を提出すると、担当の方を紹介してくださることに。そこで出会ったのが、「マリオシリーズ」「ゼルダの伝説シリーズ」を手掛けたゲームプロデューサー・宮本茂さん(現・代表取締役フェロー)でした。糸井さんが企画を説明すると、宮本さんから“どう作るかが問題だ”ということを言われたそうです。アイデアは良くても、現物にしていくのはとても大変なゲーム。それを最後までやり遂げる覚悟を持っているかを確認されました。宮本さんは本気で取り組もうと考えていたからこそ、発したお言葉でしたが、糸井さんはアイデアを出したら「すぐやりましょう!」と褒められると思っていたらしく・・・糸井さんは少し怒られた気分になりだんだん悲しくなってきたそうで・・・帰りの新幹線で涙を流されたそうです・・・。実は糸井さん、怒られることが(宮本さんは怒っていませんが・・・)本当に苦手だそうです!笑
その後、チーム編成の目処が立ち、本格的にゲーム制作が動き出します。制作メンバーは、糸井さんのことを“めったに会えない人で、アイデアを出した後は現場に任せる人”だと勘違いしていたのか、顔合わせの日に、ものすごい量の質問を投げかけてきました。糸井さんとしては、これから一緒に作っていくつもりでいたのに、“なんで、最初からこんなに細かいことまで聞いてくるんだ?もっと楽しく作りたいな・・・このチーム嫌だな・・・”と感じていたそうです。笑
その後も、制作チームの人たちは糸井さんが現場に来るとは思っていなかったため、糸井さんに連絡することもなく・・・糸井さん自身も“声掛からないな〜”とすれ違いが生まれる日々。笑 最終的には、糸井さんから「頑張ってくださっている皆さんを激励しに行きます!」とアポを取り、現場へ訪問!そんなやり取りを続けていくうちに、お互いの誤解(!?)が解消され、チーム一丸となってゲーム制作が進行しました。糸井さん自身も、現場でアイデアを出し、それが形になることが本当に楽しかったと語られます。こうした経緯で生まれたのが名作『MOTHER』だったのです。
『MOTHER2
ギーグの逆襲』に関して糸井さんが大事にしたのは、“悲しい”という要素。糸井さんにとって“悲しい”とは、面白いことの基盤になるもの。ショートケーキでいうところの“カステラ”は、華やかなモノ(クリームやイチゴ)の基盤になる悲しい部分だけど、必要なもの。『MOTHER2』は、悲しい気持ちと嬉しい気持ちが複雑に交わる心理状態で世界を1周する物語。両極端の感情が同時に存在するこの世界の真理を、子供達にちょっとでも感じてもらいたい、というメッセージが込められていました。だからこそ、たくさんの人の心の中に残っている作品なのですね!
(1998年、「ほぼ日」創刊の時の糸井さん)
 
 
ドライブも終盤。いよいよ、川島さんが最も印象に残っている“徳川埋蔵金発掘企画”のお話へ。
TBSの番組『ギミア・ぶれいく』の企画「糸井重里・徳川埋蔵金発掘プロジェクト」とは、江戸時代末期の1867年に江戸幕府が大政奉還に際し、密かに埋蔵したとされる幕府再興のための軍資金がどこかに眠っている!という伝説も基に、埋蔵金を発掘する企画。実は当初は別の企画から始まっていました。
アメリカに、行方不明者を探す際に警察から要請を受ける超能力者がいることを聞きつけた番組ディレクター。この超能力者を日本に招き、事件解決だけではなく、「パチンコ店で当たる台を探す」「競馬で勝つ馬を予想する」という少々下世話な企画を発案!糸井さんも面白そうだと思ってこの企画に乗りますが、パチンコも競馬も全く当たらず・・・そこで、次の企画として発案されたのが徳川埋蔵金発掘プロジェクトでした。
埋蔵金発掘プロジェクトチームは、赤城山で3代100年以上に渡って、埋蔵金を探し続けていた水野家の敷地内にある「源次郎の井戸」に埋蔵金があると推定し探しますが、井戸すら見つからない状態・・・しかし、番組は埋蔵金伝説を信じて必死に探し続けます!しかし、その後も見つけられず・・・第1回では、ゲストとして参加していた糸井さんでしたが、第2回からは、「次はどこどこを掘ろう!」と提案するプロジェクトの中心人物になってしまいました!その後も探し続けましたが、埋蔵金は見つからず、別のものが発掘されるだけでした・・・。しかし、この番組は大反響を呼び、お正月では視聴率が20%を超える人気番組となったのでした!
 
 
最近、糸井さんが力を入れているのは、『ほぼ日の學校』。人との会話から学びを得る場所を作りたいと思い開講され、現在はコロナ禍のため、配信を中心に授業を行っております。普段出会えないような人たちのいろんな話を聞ける場として、過去には、脚本家の三谷幸喜さん「おもしろいってなんだろうを、しつこく」、スーパーボランティアの尾畠春夫さん「必死で「學ぶを學んできた」スーパーおじさん」などなど、数多くの著名人がさまざまテーマで講義をされています。糸井さんの考える“人と人が会う、面白さ”とは、呼び捨ての関係の二人が「あのさ〜」から始める会話。一緒に居ることで、話は転がっていき新たな発見が生まれます。『ほぼ日の學校』は自由な雰囲気でトークがさまざまな方向に転がってゆきます。みなさん是非チェックしてみてくださいね!
今後の計画もお聞きしました。糸井さんの計画は『ほぼ日の學校』が遠い影響として、
「今ある普通の学校教育が変わった」と言われるようになること。「ほぼ日」のキャッチフレーズは『夢に手足を。』
糸井さんは最後に「夢はフワフワ飛んでいるイメージだが、飛んでいるまま一生を終えてしまうことがある。手を動かして、足を動かして実現することが楽しいこと。」と語ってくださいました!これまで数々の夢をカタチにしてきた糸井さん、今も新たな夢=計画に向かっています!
 
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