EDC 営業日誌(過去のお客様)
2021年9月25日放送
本日のお客様は、堂島孝平様。
1976年、大阪府生まれ。1995年に「俺はどこへ行く」でメジャーデビュー。1997年にはアニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のテーマソング「葛飾ラプソディー」が全国区で注目を集めます。また、KinKi
Kids、藤井フミヤ、Sexy
Zone、PUFFY、藤井隆など数多くのアーティストへの楽曲提供やサウンドプロデュースも行っています。2014年には映画『さよならケーキとふしぎなランプ』で俳優に初挑戦し主演を務めるなど、シンガソングライター・音楽家・俳優と、幅広い活躍をされている多彩な方です!
 
 
昨年、藤井隆さんのプロデュースアルバム『SLENDERIE ideal』に収録された楽曲「where are
you」で歌とサックスに挑戦した川島さん。この曲を作曲されたのが堂島さんでした。以前から堂島さんの楽曲を聴いていた川島さんにとっては驚きで、自分の為に曲を作ってくださったことがとても嬉しかったそうです。
お二人が初めて出会ったのは、藤井隆さん主宰レーベル“SLENDERIE RECORD”が企画する音楽イベント『MUSIC COLLECTION bonus stage
2019』でした。こちらのイベントで川島さんは、普段カラオケでよく歌う、フジファブリックの「若者のすべて」を披露。すると、それを観ていた藤井さんの奥様・乙葉さんが、川島さんの「若者のすべて」を絶賛され、「曲を出した方がいい!」と藤井さんに勧めます。実はこの時、乙葉さんはフジファブリックの原曲を聴いたことがなかったそうです・・・。
その後、アルバム『SLENDERIE
ideal』には川島さんによる「若者のすべて」のカバーが収録されることに。しかし、カバー曲だけでは寂しいからという理由で新曲も制作する流れになり、堂島さんにお声が掛かかりました。「where
are you」に関して堂島さんは、藤井さんの“川島君の歌声を皆さんに届けたい!”という熱い想いに添って、自分自身もやり遂げた曲だと振り返りました。
そして車内では、堂島さんと川島さんを引き合わせた藤井隆さんの話題に!
(堂島さんと藤井さんのお写真!『堂島孝平 × SOLO TOUR
2019-2020「秋昧」』にて)
川島さんから見た、堂島さんと藤井さんは、兄弟のように仲が良い関係!川島さん曰く、「藤井さんは芸人の中でもボケなのか、ツッコミなのか?芸人なのか、ミュージシャンなのか、俳優なのか?・・・様々な顔を持つ、類を見ない方。後輩からするとちょっと理解するのに時間がかかる人・・・3文字で言えば“サイコ”!笑」。それでも川島さんは昔から藤井さんを
“ステキな兄さん”
“まるでパワースポットのような人!”として慕っています。そして堂島さんも藤井さんととても波長が合うそうです。堂島さんにとって藤井さんは、お仕事でご一緒される前から大好きな芸人さん。また、島田珠代さんとのユニット名義「T&T」(珠代と隆)の世界観がたまらないそうです。笑
一緒に仕事をされ始めたのは8年ほど前からですが、それ以前にも藤井さんとはご縁がありました。堂島さんは、乙葉さんのデビュー曲「一秒のリフレイン」を作曲されており、この曲を歌番組で歌っている乙葉さんに藤井さんは好意を持たれたそうです!また、藤井さんが出演されている番組のテーマ曲を堂島さんが担当されていたことも!その後、一緒にお仕事されるようになり、堂島さんは藤井さんから“気付き”をもらうことが多いとおっしゃいます。「where
are
you」のレコーディング現場に立ち会った堂島さんは、急遽、藤井さんのお願いでコーラスとして参加することになりました。堂島さんが収録を終えレコーディングブースを出ると、そこには手で顔を覆う藤井さんが・・・!堂島さんは冗談だと思い、「何、泣いてるんですか〜?」と尋ねたところ、藤井さんは本当に目に涙を溜めてこう言いました。
「作曲された方が、コーラスとして参加して頂くことはとても贅沢で、あり得ないことだと思います。本当にありがとうございます。」
堂島さんにとって、歌やコーラスを収録することは本業なので、ごく当たり前のことでしたが、藤井さんのその反応を見てハッとします。ミュージシャンとして常に鮮度高くいようと思っていても、どこかで慣れが出てきてしまっている。音楽を作る上で、“今やっていることは、今しか出来ない特別なことなんだ”と、初心を思い出すキッカケを藤井さんから頂いたそうです。
(島田珠代さんとのお写真。本編では紹介しきれませんでしたが、『MUSIC
COLLECTION bonus stage 2019』で共演されました!)
 
 
もともと、エレクトーンやピアノを習っていた堂島さん。しかしその時はまだ、“音楽を作る”という感覚はありませんでした。音楽作りを意識し始めたのは、小学6年生〜中学1年生にかけて。キッカケは、3歳年上のお兄様の影響で聴いた「THE BLUE HEARTS」!堂島さん曰く、当時の若者の3種の神器は“THE BLUE HEARTS・ダウンタウン・辰吉丈一郎”。みんなが待ち望んでいたヒーローが現れた感覚だったそうです!また、初めてテレビで観たTHE BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんは、坊主頭で、ボロボロのジーンズを履き、飛び跳ねながら“純粋な想いやコンプレックス”を歌詞に込めて歌っていました。当時、1988年頃のテレビの歌番組は華やかでキラキラした世界。そこに、ダメージジーンズ姿のTHE BLUE HEARTSが現れた衝撃は堂島さんのなかでとても大きく、自分も音楽を作って良いんだ!という感情が芽生えたそうです!
(堂島孝平 × SOLO
TOUR 2019-2020「秋昧」のお写真)
そして中学生の頃からまず歌詞を書き始めた堂島さん。学校や友達など身の回りのことを歌詞にするだけでなく、THE BLUE HEARTSの影響で、まだ実家暮らしの中学生にも関わらず、社会への不満も綴っていたそうです!中学3年間でひたすら書き続け、12曲でアルバム1枚として、通算9枚もの歌詞だけのアルバムが出来上がりました!ちなみに、1stアルバムのタイトルは「悲しみのブルース」(おそらく・・・笑) その歌詞カードが昨年発掘されたそうですが、最後の12曲目の歌詞を見たところ、“雨”について書かれていました。そこでは、雨に降られるのではなく降る方、つまり自分が雨という設定で感じたことを書き綴っていました。それを見た堂島さんは「もう怖くて・・・」と、“雨”になりきっていた昔の自分が恥ずかしくて、全ては読み込めなかったそうです。笑
(堂島孝平 × SOLO
TOUR 2019-2020「秋昧」のお写真)
作詞と並行してギターの練習もしていた堂島さんは、遂に中学3年生の12月にギターが弾けるようになります!そして高校3年間は、中学時代に作った歌詞のみのアルバムの“作曲”に励みます。その後、ご自身で作詞・作曲された曲で『ヨコハマハイスクール HOT WAVE Festival』というプロを目指す高校生の音楽コンテストの決勝まで残り、その才能がレコード会社の目に留まり、契約を結ぶことになります。
こうしてプロミュージシャンの道に歩むことになった堂島さん。1994年3月に高校を卒業し、翌年2月に「俺はどこへ行く」でメジャーデビューを果たします。若くしていきなりデビューとなった堂島さんはご自身を振り返り、「プロになってから本格的に音楽を学んだ。今では考えられない」とおっしゃいます。
そして、堂島さんの音楽人生のターニングポイントとなったのが、1997年にアニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のオープニングテーマとして作られた「葛飾ラプソディー」。当時はまだアニソンが今ほど流行っておらず、音楽業界とアニメ業界の垣根もあったため、曲自体を評価してもらった感覚はなかったそうです。しかし、“「こち亀」といえばこの曲!”
というほど浸透していき、今でも「あの時聴いてました!」
と言われることがとても多く、「過去の自分が、今の自分を助けてくれることもあるんだな」と身をもって感じたそうです。また、「葛飾ラプソディー」はご自身で歌っていますが、アニメのために作った提供曲。その後、KinKi
Kids・藤井フミヤ・PUFFYなど幅広く楽曲提供を行う堂島さんですが、その礎になったのがこの曲でした。皆さんも当時を思い出してもう一度聴いてみてくださいね!
 
 
堂島さんの思い出の場所は、18歳で初めて一人暮らしを始めた、神奈川県横浜市の戸部駅。メジャーデビューする前からここに住み、お金が無くてとても苦労されたそうです。曲作りやライブに忙しく、アルバイトをする時間もありませんでした。
当時の服装は、お祖父様の形見の“阪神タイガース優勝記念Tシャツ”と、下は学生時代に使っていた緑のジャージ。ご本人は“人様に見せられない格好”とおっしゃっていましたが・・・毎日その格好で空腹に耐えながら街を歩いていると、見るに見かねた戸部駅の売店の方が牛乳をくださったり、近所のラーメン屋さんがタダで賄いを食べさせてくれたそうです。
また、風邪をひいてしまい病院に駆け込んだ際、フラフラの状態だったため、間違えて肛門科に行ってしまったことも・・・。肛門の検査を受けた後、お医者さまに「異常はないですね。どこの調子が悪いですか?」と聞かれ、四つん這いの状態で「熱があるんです〜・・・」とお答えになった堂島さん。笑
お医者さまは少し離れた同病院の内科にわざわざ連れて行ってくれました。
そんな優しさ溢れる戸部駅で堂島さんが忘れられない出来事は、メジャーデビュー後、ファンの方が増え始めてきた頃の事。帰宅途中、いつもの阪神タイガース優勝記念Tシャツと緑のジャージ姿でカップ焼きそばが入ったビニール袋を手に持った状態の時、ファンの方から「堂島孝平さんですよね?」と声を掛けられます。咄嗟に、夢を壊してはいけないと思った堂島さんは否定しようと思い、俯いたその瞬間、目に入ったのは、緑のジャージにしっかり刺繍されていた『堂島』という文字・・・。逃れようのない状況に、堂島さんは「はい・・」と答えるしかありませんでした。今では笑い話ですが、当時は応援してくださっているファンの方の夢を壊してしまったかな、と少し切なくなってしまったそうです・・・。
堂島さんの苦労時代を支えた戸部駅。当時お世話になった方に恩返しがしたいとおっしゃいます。ラーメン屋のお兄さん!肛門科の先生!1990年代半ばに
“阪神タイガース優勝記念Tシャツ”と“緑のジャージ”を着ていた青年に覚えがありましたら是非ご連絡を!笑
 
 
堂島孝平さんのエウレカは“気付き続けなければならない”ということ。「大きな1個の気付きで終わりではなく、日々色んなことを気付き続けなければならない。音楽制作においても様々なことをインプットする必要があり、仕事のやり方に対しても新たな気付きがあることで、自分自身を成長させてくれる。」と語ってくださいました。
現状に満足せず、常に成長を求める堂島さんだからこそ、幅広い活躍が出来るのですね!
 
堂島さんは、10月より2年ぶりのソロツアーを行います。
『堂島孝平×SOLO TOUR 2021「"SET UP"
PARTY!!」』では、弾き語りだけはなく、様々な工夫が満載だそうです!昼がTOPS公演、夜はBOTTOMS公演となっています。皆様、セットアップで参加してみてはいかがでしょうか!
また、11月には、『CMK presents A A Action! 堂島孝平×藤井隆「CRAZYMAMA FAMILY
CLUB」』が岡山県で開催されます。お近くの方は是非チェックしてみてくださいね!
https://djkh.jp/schedule/
 
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