EDC 営業日誌(過去のお客様)
2021年7月24日放送
本日のお客様は、いしわたり淳治様。 1977年生まれ。青森県出身。作詞家・音楽プロデューサー・作家。1997年にロックバンドSUPERCARとしてデビュー後、数々の人気曲を世に送り出します。2005年のバンド解散後は、作詞家として、Superfly「愛をこめて花束を」、Little Glee Monster「世界はあなたに笑いかけている』他、SMAP、関ジャニ∞、矢沢永吉など多数のアーティスト楽曲の作詞を行い、音楽プロデューサーとしては、チャットモンチー、9mm Parabellum bulletなどを手掛けました。また今年からTHE BLACKBANDという名で、SUPERCAR以来となるバンド活動を再開。音楽活動以外の執筆業も行い、現在、朝日新聞デジタル『&M』で「いしわたり淳治のWORD HUNT」を連載中。昨年12月にはコラムをまとめた書籍『言葉にできない想いは本当にあるのか』を発売されました。
(『THE
BLACKBAND』 *中央がいしわたり淳治さん)
 
 
いしわたり淳治さんは、作詞家・音楽プロデューサーとしてご活躍中。音楽全体をプロデュースされる時も、音よりも歌詞に重点を置いて見ているそうです。また、作詞だけのプロデュースを行うこともあり、その時のイメージは、“歌詞のお医者さん”。病院の「生活習慣の改善→薬の処方→手術」といった治療の段階を、作詞家に置き換えると「他のアーティストの曲を参考にする聴き方・視点を教える(生活習慣の改善)→具体的に書き方を教える(薬の処方)→共作で一緒に歌詞を作る(手術)」となるそうです。基本的には、アーティスト本人の言葉を大事にされており、最低限のアドバイスで曲が出来上がるのが理想。歌詞で悩んでいるアーティストに対して、どの段階の治療(プロデュース)が必要なのかを見極めています。
また、いしわたりさんは今年3月に、盟友の音楽プロデューサー・野村陽一郎さん、作曲家・中村泰輔さんと一緒に『THE
BLACKBAND』を結成。レコード大賞受賞など数々の輝かしい経歴を持つお三方は、普段は裏方として“黒子”的な役割を持ち、そして実力は“黒帯”級、というダブルミーニングで『THE
BLACKBAND』というバンド名にしました。いしわたりさんにとっては、SUPER
CAR以来のバンド活動。若い世代に向けた楽曲が多い音楽シーンにおいて、若者の音楽を追いかけることが辛くなってきた同世代のリスナーに向けて、楽曲を作ることを心掛けているそうです。
 
 
地元の青森県十和田市で、小さい頃から野球に熱中していた、いしわたりさん。音楽はほとんど聴いていなかったそうです。高校ではスポーツが盛んではなく、野球部を辞め、お兄様の影響でギターを始めたのが高校2年生の時。その後、フルカワミキさん、幼馴染の中村弘二さん、中学時代の友人である田沢公大さんと共にSUPER
CARを結成されます。高校3年時に、思い出作りとして試しにソニー・ミュージックへデモテープを送ると、育成契約という返事を貰います!SUPER
CARのすべての作詞を手掛けていたいしわたりさんですが、科目として国語が特別得意だった訳ではなく、通われていたのは電気工学部。理系より文系の人の方が作詞能力は高いように感じますが、いしわたりさんは、「歌詞は限られた所に何を書くかというパズルだと思っている。文学的な表現はあまり意識しておらず、今でも“言葉のパズル”だと思っている。理系の人の方が作詞に向いているのではないか・・・」と考えています。そんないしわたりさんの学生時代について伺うと、中学時代に生徒会長として大きな革命を起こしていました!
いしわたりさんの地元の中学校は、放課後や土日を含め、私服で外出することが禁止されていました。町ではジャージ姿の生徒(他校も含め)しかおらず、お洒落に目覚める年頃ですが、ジャージが当たり前の文化として根付いていました。そこで立ち上がったのがいしわたり生徒会長!学校側に、1週間誰も遅刻をしなかったら、学校以外の時間は私服をOKにして貰う約束を取り付けます。そして全生徒の協力もあり、見事私服の着用許可を得たのでした!しかし、タンスに私服が入っていない生徒たちは逆に困り始めます。これまで需要が無かったため、町には若者が着る服は売っておらず・・・結局、いしわたりさんを含め周りの友達は、少し伸びた坊主頭で、おじさんの格好をするという不思議な現象が起きてしまったそうです。笑
(伝説のバンド・『SUPER
CAR』、右端がいしわたり淳治さん)
 
 
いしわたりさんにとって、思い出の場所は「自由が丘」。2005年のSUPER CAR解散当時、いしわたりさんが住んでいたのが自由が丘でした。解散の正式発表がされるまでの1年間は、周りの人にも相談できず、ずっと家にいたそうです。音楽の話をしないで済むように、別の業界の友人と夕方5時から朝5時まで週5で飲みに行く、名付けて“トリプル5”の生活を送っていました。当時は、明日からどうしよう・・・と不安に駆られる日々でしたが、今振り返れば良い思い出になっているそうです。「人生は無駄な部分、寄り道した部分に、その人の個性が出る」と考えるいしわたりさんは、当時のもどかしい日々が、今に活きていると感じています。解散後、作詞家として進む道を探りましたが、当時はアイドルブームより前で、自作自演のバンドがほとんどでした。そんな時、所属していた事務所の社長からプロデューサー業を勧められます。そこで紹介されたのが3ピース・ガールズバンド『チャットモンチー』でした。しかし、ご自身のバンドにもプロデューサーを付けたことがあまり無く、プロデューサーの役割がよく分からなかったいしわたりさんは、最初、空回りしていたそうです。社長に、自分はプロデューサーに向いていないと相談したところ、「大丈夫だ。明日からプロデューサーの顔をして現場にいろ。」と言われます。いわば、プロデューサーっぽく振る舞う “プロデューサーごっこ”をしてみろと、アドバイスを受けたのでした。翌日から、ドンっと構えて“プロデューサーごっこ”を実践してみたところ、バンドは良い方向に転がり始めます。この経験から、「立場が人を育てると言われるように、役割を与えられた人がその役割っぽく振る舞うことで、周りの人たちは安心する」と気付いたのでした。そして、作詞家としての他のアーティストに詞の提供も始めたいしわたりさん。「作詞家は時代とアーティストの接点を探すこと。」と分析されており、世の中を俯瞰的に定点観測するのが好きないしわたりさんには適職でした。
 
 
いしわたりさんは、世の中を定点観測するという意味でも、家ではずっとテレビを付けているそうです。結局、流行語もどこで生まれようがテレビで使われないと流行語にはならない。そういった点も含めて、テレビは世の中を映す箱だと捉えています。最近テレビはつまらなくなったという意見もありますが、それは世の中がつまらなくなったから起こり得た事で、むしろそれを面白い現象としてテレビを観ています。絶対に見る番組は『激レアさんを連れてきた』。レアな体験談の数々に、毎回シビれているそうです。なかでも好きな回は、「小さい頃に家出して43年も山で暮らした人」の回。仮に同じエピソードをテーマに作詞したとしても、それを経験した人にしか言えないリアルな言葉は書けないため、そんな言葉が聞けるとシビれてしまうとのこと!もう1つお好きな番組は『あちこちオードリー』。こちらは芸能人版の『激レアさんを連れてきた』という感じで、見入ってしまうそうです。いしわたりさんは、オードリー・若林さんが好きなのかもしれませんね!
また最近、いしわたりさんが気になった曲はAdoの「うっせぇわ」。流行語が音楽から生まれて欲しいと以前から思っているいしわたりさんは、“うっせぇわ”が今年初めて流行語に選ばれるのではないか?と期待を寄せています。また、なかでも好きな箇所はサビの、“あなたが思うより健康です”という部分。ご自身だと
“正常です”などのワードを選びそうだが、唐突に“健康です“という言葉が出てくることで、何が健康なんだ?と思わせる、狂気じみた感覚を得たそうです。
 
 
いしわたりさんは、朝日新聞デジタル「&M」連載の人気コラム「いしわたり淳治のWORD HUNT」をまとめた本『言葉にできない想いは本当にあるのか?』を昨年発売されました。ご自身が、気になった言葉について考察されており、言葉の可能性を探っています。言葉のスペシャリストであるいしわたりさんの着眼点の鋭さを是非堪能して下さい!
 
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