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EDC 営業日誌(過去のお客様)

2021年6月19日放送

Passenger

尾野真千子

本日のお客様は、尾野真千子様。
1981年、奈良県出身。中学生の時、地元で撮影を行なっていた河瀨直美監督にスカウトされ、映画『萌の朱雀』で女優デビュー。高校卒業後、本格的に女優活動をスタートさせ、2007年には再び河瀨監督とタッグを組んだ映画『殯の森』に出演。この作品はカンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリを受賞されます。2011年にはNHK連続テレビ小説『カーネーション』のヒロインに抜擢され、2014年には映画『そして父になる』で、第37回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得。その後も様々な話題作に出演をされています。現在公開中の4年ぶりの主演映画『茜色に焼かれる』では、コロナ禍のなかでも様々な苦難に懸命に立ち向かうシングルマザー役を演じておられます。
そんな、日本トップ女優の尾野真千子さんのルーツを川島ドライバーが探りました。

 

 

〜尾野さんの人生を変えた映画『茜色に焼かれる』〜

現在公開中の映画『茜色に焼かれる』は、尾野さんにとって4年ぶりとなる主演映画です。今作の撮影は、1回目の緊急事態宣言が開けた直後で、スタッフの人数も最低限で行われましたが、人数が少なかった分、作品にかける想いを共有でき、チームワークは余計に良くなりました。尾野さんは、自主映画を撮っている感覚に似た気持ちになったそうで、スタッフと距離をとりながらの撮影でも、心の繋がりを強く感じたそうです。“みんなが1つになる”という言葉は、このことだ!と感じる程で、こんな気持ちになる撮影現場は久しぶりだったとおっしゃいます。

実は尾野さんは、コロナの影響で一度休業を決意されていました。会話シーンやキスシーンなど距離の近いシーンもある俳優業にとって、コロナは天敵。尾野さんは、会話シーンなどで“距離が近くなるのが人間らしさだ”という演技論をお持ちになられていて、このままでは、私は(自分らしい)仕事が出来ない、私の人生終わりかも・・・と絶望されたそうです。そんな時に届いたのが、「茜色に焼かれる」の脚本でした。コロナ禍の他にもたくさん伝えなければならないことが書かれていたこの脚本を読み進めるにつれ、尾野さんの気持ちに変化が現れます。今という時代を伝えるために必要な作品だと感じた尾野さんは、“今やらなきゃどうするんだ!” と奮起され、出演することを決めました。尾野さんの人生が変わった映画と言っても過言ではない映画『茜色に焼かれる』。これまでも、“伝える”ということを大事なテーマとして、様々なドラマ・映画に出演されてきましたが、その考えがより一層強く感じれる作品となったのでした。


(『茜色に焼かれる』の1シーン)

 

 

〜女優への道〜

尾野さんは、河瀨直美監督の『萌の朱雀』という映画で女優デビューされますが、監督との出会いは運命的なものでした。この映画の撮影場所だったのが、尾野さんの地元・奈良県五條市。河瀨監督は、映画のヒロインはこの地で生まれ育った子を起用したいと考えており、ヒロインを探しに訪れたのが尾野さんの通う中学校でした。そこで、当時15歳の尾野さんと出会い、スカウトします。高校受験のタイミングでもあり、少し反対気味だった尾野さんのお父様を河瀨監督は直接説得され、尾野さんの女優デビューが決まりました。尾野さんはそれまで演技経験は無く、撮影当初は芝居が楽しいとは思えず、演技アドバイスを頂いても意味を理解することすら出来ませんでした。しかし撮影を続けるにつれ、東京から来たスタッフの方々と過ごす時間が楽しくなっていきます。このスタッフの方々とまた会いたいと思い、尾野さんは高校卒業後、上京して、本格的に俳優活動を始めます。東京に出たら何か仕事があると思い、なんならアイドルぐらいになれるかなと思っていた尾野さん。しかし、待てど暮らせど仕事は来ず、どう頑張ったらいいのか分からない状況になりました。とりあえずオーディションには参加しましたが、昔から芝居の勉強をしていた訳ではない尾野さんは苦戦し、合格を貰えない日々が続きます。オーディションに苦手意識を抱いてしまい、自ら受けに行ったにも関わらず、不機嫌な顔になっていた時もあったと、笑いながらお話し下さりました。

仕事がなかった尾野さんは、役者としての給料は1ヶ月に500円あるかないかの生活だったそうです。野菜などの食材は実家から仕送りしてもらいましたが、その他の生活費はバイトで補っていました。新しい服を買う余裕は無く、オーデションには毛玉の付いたトレーナーでよく行っていたそうです。しかし、そんな苦しい生活のなかでも、尾野さんは一度も俳優業を辞めようとは思いませんでした。尾野さんは10代でデビューを果たしていたこともあり、自分は“人に伝える力”があると信じていました。また、20代前半の頃に知り合いの方から言われた「真千子は、30歳になったら仕事あるよ」という言葉が頭に残り続けていました。その場では、冗談として流しましたが、その言葉も頑張り続ける力をくれたそうです。そしてちょうど30歳の時、NHK連続テレビ小説『カーネーション』のヒロインに抜擢されます!その少し前から、お仕事は徐々に増えていましたが、ここまで大きい役を勝ち取れるとは思っていなかったそうです。日本中の誰もが知っているNHKの朝ドラに出演することで、長年、心配を掛け続けたご両親へようやく親孝行が出来たと感じました。ちなみに、「30歳になったら仕事あるよ」と未来を的中させた方は、言ったことすら忘れていそうなので、会った際もその話には触れないそうです。笑

 

 


(今までで釣った一番大きい魚・1m程のヒラマサとのお写真)

〜釣りが好き!〜

釣りに出会うまでは、趣味と呼べるものが無かったと語る尾野さん。きっかけは、事務所の先輩・田中隆三さんの釣りの番組に、映画の番宣をかねて出演したことでした。尾野さんは、その日初めて釣り竿を握ったそうですが、5種類ほどの魚をたくさん釣ることが出来ました!また、釣った鯵をその場で捌いて頂き、その美味しさに感動したことで、釣りに興味を持ち始めました。その後、釣り好きの事務所の社長さんと一緒に行くなどして、どっぷり釣りの世界にハマった尾野さん。人気釣りYoutuber「釣りよかでしょう。」の動画に出演するなど、積極的に釣り関連の番組に出演されるようになります。これまでに釣った一番の大物は、1メートル程のヒラマサ!海なし県の奈良県出身の尾野さんは、その反動なのか、、、船が好き!釣りの中でも、特に船釣りがお好きだそうです。

 

 

〜ご家族との思い出〜

尾野さんの思い出の場所は、四姉妹で訪れた東京ディズニーランド。尾野さんは四姉妹の末っ子。それまで四人揃ってお出掛けをしたことが無かったため、お姉さまが結婚される前に四人で訪れたそうです。また、もう一つの思い出の場所が、ご家族全員で訪れた三重県鳥羽市。これもお姉様の結婚されるタイミングで、今後、家族全員で集まれる機会が減るだろうと思い、企画されました。尾野家にとって旅行と言えば鳥羽だそうです!尾野さんは家族6人で過ごしたこの日の思い出を大切にされています。今では、お姉様方にお子さんが生まれ、家族全員集合すると16人ほどになるそうです!
そんな尾野さんが人生の中で見つけたエウレカ(気付き)は、“家族って大事だな”ということ。尾野さんにとって家族とは、血の繋がっている家族だけではありません。いつも仕事を共にする事務所の方々なども家族です。それは、コロナ禍で、人との関わりが減った今だからこそ、改めて感じる大切な気付きでした。

 

 

〜今後の夢は女優!?〜

尾野さんは、18歳で東京に出てきてからずっと、夢を女優と言い続けています。
既に日本を代表する女優である尾野さんが、女優を目指しているとはどういうことか?川島ドライバーが真相を伺いました。
尾野さんは、「まだ、なぜか女優になりきれていない気がする。役者として伝えることは無限にある、演じる役も無限にある。母親役だけを考えても、今回の『茜色に焼かれる』は、“コロナ禍を生きる母親役”ですが、他にも様々な状況の母親役がある。だからこそ様々な役を演じたい!観てくれる方に何かを伝えたい、届けたい!という気持ちを持ち続けなければいけないと思う。」と教えて下さいました。様々な賞を獲得されてもなお“夢は女優”と言い続けられる尾野さんだからこそ、私たちは尾野さんの演技に引き込まれてしまうのですね。

 

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PLAYLIST
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