EDC 営業日誌(過去のお客様)
2021年4月10日放送
本日のお客様は、佐久間宣行様
1975年生まれ、福島県出身。早稲田大学卒業後、テレビ東京に入社。『TVチャンピオン』などで経験を積みながら、入社3年目に異例の若さでプロデューサーデビュー。その後、『ゴッドタン』や『ウレロ☆シリーズ』、『あちこちオードリー〜春日の店あいてますよ?〜』など数々の人気番組を手掛けています。また、2019年から『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ゼロ)』でレギュラーラジオパーソナリティーに就任。
この春、テレビ東京を退社して、フリーのTVプロデューサー・演出家・ラジオパーソナリティーとしてご活躍されています。
 
 
今年の3月末で、テレビ東京を円満退社された佐久間さん。
退社の理由は、現場でディレクターを続けたいから。数年前から最年長のディレクターとなり、スタジオでカンペを出している40代のディレクターは佐久間さんだけだったそうです。会社内では、部下の育成を担う立場になる時期でしたが、まだまだディレクターをしたいという気持ちが勝り、独立をしてテレビ東京の番組に関わること(レギュラー番組は変わらず担当)を決めました。退社前から、他局でラジオ番組を持つなど、他局への出演も多かった佐久間さん。出演依頼が来た時は人事部に相談しますが、「前例はないけど、この先もこのような事(出演依頼が社員に来ること)は無いだろうから良いよ!」と、特例で出演許可が下りていました。フリーになって不安なことは、仕事のことよりも保険などの事務手続き。いかに会社が守ってくれていたかを今、実感されています。
(テレビ東京に内定を頂いたときの証明写真)
 
 
佐久間さんは幼少期からテレビが大好きでした。特に中学時代に観た、ダウンタウンとウッチャンナンチャンが出演していた、フジテレビの深夜バラエティ番組「夢で逢えたら」には大きな衝撃を受けました。その後、この2組がどんどん売れていく姿を観て、テレビには夢がたくさん詰まっている!と感じたそうですが、福島県いわき市出身の佐久間さんは、芸人になろうという気持ちは芽生えませんでした。関東や関西のように、吉本興業など芸能事務所が身近な存在では無いため、芸人を目指す選択肢は考えもしなかったそうです。ちなみに、いわき市出身の主な芸人さんは、あかつ、ゴー☆ジャス、アルコ&ピースの平子さんらしいです。(クセが強め・・・!?)
(大学時代の佐久間さん)
テレビ業界に対しては、自分が関わるつもりはなく、ただの趣味だと思っていた佐久間さん。大学時代も特にクリエイティブな活動はしていませんでした。就職活動では、募集時期が早いフジテレビへ応募する人が周りに多かったため、佐久間さんも記念受験の感覚で応募。当時、クリエイティブな職業に自信がなかった佐久間さんは、制作部ではなく、事業部を受けたそうです。フジテレビの面接で、面白いテレビについて聞かれた際、テレビファンとして様々な番組を熱弁すると、面接官から「今日面接に来た人の中でダントツに詳しいね。制作部を受けた方がいいよ」と言われます。この言葉をきっかけに、制作部を受けてみようと思った佐久間さんは、その後、応募がギリギリ間に合った、テレビ東京の制作部を受け、見事内定を頂きました。その時、すでに内定をもらっていた商社とテレビ東京、どちらに就職するか最後まで悩みましたが、子供の頃から心に抱いていた「あの場所楽しそうだな」という気持ちが勝り、テレビマンになることを決めました。
 
 
入社後、配属されたのはドラマ部。入社当時、初のテレビ東京制作の深夜ドラマがはじまるタイミングで、スタッフに欠員が出て、急きょドラマ部に配属となりしました。佐久間さんの最初の仕事は、ドラマ撮影のために五叉路で車を止めること。スタッフが不足していたこともあり、一人で止めなければなりませんでした。また、深夜ドラマの撮影はとても過酷で、週二日ほどしか家に帰れなかったそうです。翌年からバラエティ部へ移動し、入社3年目にはご自身の企画が通り、深夜番組「ナミダメ」のプロデューサーに!これは異例の若さで、当時の全テレビ業界内で最年少のプロデューサーだったそうです。この番組は半年で終わってしまったものの、優れた番組に贈られるATP賞(全日本テレビ番組製作社連盟)の新人賞を受賞されます。
(ナミダメのプロデューサー時代)
そして、入社7年目、29歳の時に「ゴッドタン」をまずは特番で立ち上げ、その後、レギュラー化して現在も大人気番組として続いています。川島ドライバーもゴッドタンに出演経験があります。最初に呼ばれた企画は、大喜利のお題と答えを自分自身で持ち寄る企画。ゴッドタンでは少し珍しい真面目で知的な企画でした。川島さんは収録の帰り、共演した博多華丸・大吉さんとともに、ゴッドタンってこれで良かったのかな・・・?と不安を感じます。いまいち手応えを感じられなかったため、もう呼ばれないかも・・・と思ったそうですが、その一ヶ月後、2人は「上品芸人ハメ外しクラブ」という企画で、再びゴッドタンに呼ばれます。この企画のきっかけは、佐久間さんが他のテレビを観ていて、場の空気を読んで共演者たちの話に合いの手を入れる2人が、本音で喋ってないと感じたから。(佐久間さん曰く、目が黄色く濁っていた・・・)
そこで、番組を成立させる(裏回し)事に長けている大吉さんと川島さんに、普段言えなかった本音をぶっちゃけてもらう企画を用意しました。川島さんは、この企画でひとつ殻が破れたと言います。2人とも今はメインMCとして活躍中ですが、当時はひな壇で番組のサポート役に回ることが多かった頃で、佐久間さんは、企画と2人の置かれていた当時の状況が見事にスウィングした、と振り返りました。
 
 
思い出の場所は、娘さんが幼稚園生の頃に毎年訪れていた軽井沢タリアセン。
自然がとても綺麗で、幼稚園児が遊べる安全な遊具もたくさんあります。なかでも、アヒルに餌を与えるスポットは一番の思い出で、娘さんが「パパ〜!アヒルのレストランだよ〜!」と言っている動画を撮り、辛い時はこの動画を観て、このアヒルのレストランを経営するために仕事を頑張ろう!と踏ん張ってこられました。今では娘さんは中学生になり、オススメのアニメを紹介してくれたり、佐久間さんの制作した番組の感想を言ってくれるそうです。子供を持つことは人生を生き直している感覚に近い、子供から学ぶことはたくさんある、と佐久間さんはおっしゃいます。
(娘さんとの思い出の場所・軽井沢タリアセン)
音楽好きの佐久間さんは、大学生だった1997年、第1回フジロックフェスティバルにも参加されています。開催前から、フジロック関連の掲示板に「会場で悪魔の槍を持っているのが佐久間です。声かけてください!」などと書き込みをするほど楽しみにされていました。ですが、当日は台風が直撃する最悪な天候!普段のライブ感覚で参加した佐久間さんの格好は、半袖・短パン、そして・・・・悪魔の槍!掲示板を見た人から「佐久間さんですか?」と声を掛けられていたこともあり、槍を捨てるわけにはいかない!と、土砂降りの雨のなか、凍えながら槍を持ち続けていたそうです・・・。
また、ひたちなか公園で開催されている、日本最大級の音楽フェスティバル、ROCK IN JAPAN
FESTIVALにも度々、参加されています。ADからディレクターになる時期は、心身共に大変辛い日々を過ごされていて、その時、リフレッシュも必要だと考え、無理やり仕事を休み、思いっきりフェスを楽しみました。
 
 
仕事をする上で、佐久間さんのルールは、出演者との距離を大事にすること。
「仲は良いが、仲良くなり過ぎない」絶妙な距離感が、番組として良い方向に進むと考えています。距離を置きすぎると相手が何を考えているか分からなくなり、距離が近過ぎると仕事とプライベートの境が曖昧になってしまいます。また企画に関しては、出演者の見たことない一面を引き出すために、出演者がやりたいことはあまり行わず、スタッフをやりたいことを出演者に提案するようにしています。
企画のアイデアが思い浮かばない時は、エクセルの左側にジャンル(グルメ・スポーツなど)、右側に面白いと思う単語(マジ・タイムリープなど)を並べ、ランダムで組み合わせて偶然からヒントを得ることもあったそうです。例)タイムリープグルメ
今後は、テレビで顔を出す機会も多くなりそうですが、あくまでお笑いとエンタメに関わることのみ。佐久間さん自身の経験と知識を求められる場であれば出演し、そのほかは裏方として制作を続けていきます。テレビマンとしての目標は、フォーマットとして世界に通用するバラエティ(ルールが面白い)を生み出すこと、そしてコメディーのドラマを撮ること。テレビ東京から独立したからこそ、その価値があるものを作り出したいと抱負を語る佐久間さん。今後、どのような番組を作ってくれるかとても楽しみですね。
 
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