PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2020年10月10日放送

Passenger

さかなクン

千葉県(1983)、岩手県(2013)、神奈川県(1999)

エウレカ・ドライブ・コーポレーション(通称EDC)
本日は、さかなクンの思い出の地、千葉県南房総市「川下港」、岩手県久慈市 「もぐらんぴあ まちなか水族館」、神奈川県鎌倉市大船 「すし川澄」をご案内しました。

 

最初の旅先は、1983年、千葉県安房郡白浜町の「川下港」。
ここは、さかなクンが子供の頃によく遊んでいた、思い出いっぱい海。

海の生き物の中で、まずタコに興味を持ったさかなクン。夏休み、いとこと一緒に、この海でタコ探しの毎日を送っていました。やっとの思いで見つけたタコは、1メートルはあろうかという大きなタコ!吸盤の力もすごい!初めて出会ったタコの迫力に圧倒されました。しかし、この時はまだ魚の知識がなく、飼おうと思って家に連れて帰ったけれど、すぐに死んでしまいました。
さかなクンが生き物の「命」について最初に学んだ経験でした。

 

 

続いての旅先は、2013年、岩手県久慈市 「もぐらんぴあ まちなか水族館」。
元々、「もぐらんぴあ」は、1994年にオープンした日本で唯一の地下水族館。
さかなクンは毎年イベントに出るため、この水族館を訪れていました。
訪れる度にみんなが「おかえり!」と迎えてくれる、心のふるさとのような場所。

しかし、2011年、東日本大震災で「もぐらんぴあ」は甚大な被害を受け、建物は壊れ、電気も止まり、魚たちは、200種3千匹いたうち、わずか8種20匹しか生き残ることができませんでした。
それでも「もぐらんぴあ」をいち早く再開させたい、というみんなの想いで誕生したのが「もぐらんぴあ まちなか水族館」。久慈駅前の家具屋さんを利用し、営業を再開しました。この時、さかなクンは、まちなか水族館のために魚を寄贈。そのなかにいたサザナミフグの「ポンちゃん」は今でも元気で、元の場所に戻った「もぐらんぴあ水族館」に行けば、2020年でもポンちゃんに出会えます。朗らかな表情にとっても癒される!


※さかなクン「もぐらんぴあ水族館」にて


※さかなクン「もぐらんぴあ水族館」にて

 

 

最後の目的地は、1999年、神奈川県鎌倉市大船 「すし川澄」

ここは、さかなクンがアルバイトをしていたお寿司屋さんで、大将の川澄健さんは、TVチャンピオン「全国寿司職人握り技選手権」で何度も優勝している有名な方!
※2020年現在、「すし川澄」はすでに閉店していて、川澄さんはお寿司教室の先生をされています。

「すし川澄」で働いていた当時、さかなクンは、魚の知識はあったものの、手先は不器用で、寿司はうまく握れず、皿洗いもガシャーン、バリーンと割ってばかり・・・
そんなさかなクンに対して、川澄さんは「じゃあ店の壁に絵を描いみて!」と言って、画材道具まで揃えてくれるという、なんとも寛大な対応!さかなクンが魚なら、川澄さんは海!川澄さんをはじめ、周りの方々に温かく見守られながら、さかなクンは壁に自由に好きな魚の絵を描きました。
それがたちまち近所で評判となり、テレビにも採り上げられ、現在のさかなクンの活動の原点となりました。


※さかなクンが描いた「すし川澄」の実際の外壁

最後に、川澄さんからのサプライズのお手紙に、ギョギョギョ!
川澄さんにとって、さかなクンは可愛い甥っ子のような存在で、当時から、キラキラした目で大好きな魚について話すさかなクンを見て、絶対テレビや絵を描く仕事に向いている!と感じていたそうです。

魚を一途に愛するとさかなクンと、そんなさかなクンを愛する周囲の方々の思いやりに触れた、今回の旅でギョざいました。

PLAYLIST
  • 「新宝島」
    サカナクション
  • 「青い海のある青い星 ~絶滅した、東京湾のアオギスくんがうたう歌~」
    さかなクン