”アートと過ごす刺激的なひととき”について語っていただきます。
今日のゲストは、先週に引き続き
80年代のアイドルブームに始まって、90年代にかけては幅広いジャンルの
アーティストに詞を提供し、数々のヒット曲を生み出してきた作詞家の売野雅勇さんです!
【売野雅勇】
1951年生まれ。コピーライター、ファッション誌編集長を経て、1981年に河合夕子「東京チーク・ガール」、ラッツ&スター「星屑のダンスホール」などを書き、作詞家として活動を始める。
1982年、中森明菜の「少女A」の大ヒットにより作詞活動に専念。
チェッカーズを始め近藤真彦、河合奈保子, シブガキ隊などに作品を提供し、80年代歌謡曲黄金時代の一翼を担う。90年代以降も坂本龍一、矢沢永吉、ゲイシャガールズ、森進一ほか幅広いジャンルのアーティストへ作品を提供。
2016年には作詞活動35周年を迎えた。また、映画・演劇にも活動の場を広げ、脚本・監督・プロデュース業においても才能を発揮し続けている。
コピーライターの時期を経て、作詞家の道へと進んだ売野さん。
その経験は、作詞家に生きたのか?
「文章を書くのが好きなわけではなかった」と語る売野さん
コピーライター時代は、レコードのコピーを書いていたそうなんです。
「レコードのコピーは、レコードの内容をイメージで語るということ」と言うように
詩的であり、何も無いところからイメージで書いていく…それは、作詞家に通ずるものがあったようです。
ジャズ、クラシック、ロック…と、様々な音楽を聴いた売野さん。
振り返ってみると、それがトレーニングとなりました。
ひたすら、音楽を聴いてキャッチコピーをつけていく、それまで苦手だった音楽も聴き、なおかつスピードも求められる。
1週間40本のキャッチフレーズとボディコピーを書く生活、本当に大変で、途中嫌になって辞めてしまった時期もあったそうです。
コピーライターを続ける中で、シャネルズのコピーを書いていた時のこと
それを見ていたディレクターが、「売野さん、詩を書いたらいいのに」ということで、作詞の道へ進むことになりました。
ご本人は「成り行き人生」と仰っていますが、それは必然に近いものに感じられます。
「当時から分かっていたことは、自分の中にあるものにしか言葉にはならないから、自分の中で一番美味しいところを出そうと思いました。
明るくて、ハッピーで笑うことが一番好きで、ポップアートみたいな詩を作りたいなと思ったんです」
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【ゲスト情報】
「売野雅勇 - Facebook」
「売野雅勇プレゼンツ 渋谷でおとなのレイディオショウ vol.2 『音楽は、夢を語る〜出逢いは億千万の胸騒ぎ〜』」