11月30日O.A.「 LA LA LA LOVE SONG」久保田利伸 with ナオミ・キャンベル
今日は、久保田利伸さんの曲、「 LA LA LA LOVE SONG」久保田利伸 with ナオミ・キャンベル
をお届けしました。
久保田利伸さん、今年6月にデビュー30周年を迎えましたが・・・、本日、コラボレーションベストアルバム「ザ・バッデスト〜コラボレーション〜」がリリースになりました。
これまで、久保田さんが他のアーティストとデュエットやコラボレーションしてきた曲の中から
30曲を集めたアルバムです。
ちなみにどんなアーティストとコラボしてきたかというと・・・
KREVAさん、MISIAさん、小泉今日子さん、JUJUさんや
ナイル・ロジャーズさん、ラファエル・サディークさん、マイケル・ベッカーさんなど
第一線で活躍する海外アーティストとも共演しています。
アルバムの初回限定版にはレコーディング時のエピソードをつづったブックレットも封入されています。
をお届けしました。
久保田利伸さん、今年6月にデビュー30周年を迎えましたが・・・、本日、コラボレーションベストアルバム「ザ・バッデスト〜コラボレーション〜」がリリースになりました。
これまで、久保田さんが他のアーティストとデュエットやコラボレーションしてきた曲の中から
30曲を集めたアルバムです。
ちなみにどんなアーティストとコラボしてきたかというと・・・
KREVAさん、MISIAさん、小泉今日子さん、JUJUさんや
ナイル・ロジャーズさん、ラファエル・サディークさん、マイケル・ベッカーさんなど
第一線で活躍する海外アーティストとも共演しています。
アルバムの初回限定版にはレコーディング時のエピソードをつづったブックレットも封入されています。
2016.11.30
11月29日O.A.「からっぽ」ゆず
今日は、フォークデュオ・ゆずの「からっぽ」をお届けしました。
1998年11月、3枚目のメジャーシングルとしてリリースされました。
この曲について、ファンの間で色々と歌詞の意味について考えられているんですが、
当時のインタビューなどを総合して、
「女性に告白されたけど断った。でもその後、その人に好きなっちゃったんだけど、諦めた曲」。
ちなみにリーダーの北川さんいわく、「路上でのポジションは、中堅の課長クラスの曲」だそうです。
そんな ゆず、先週の土日に東京ドーム公演を成功させました!
さらに、来年オールタイムベストアルバムのリリースと、自身初のドームツアーの発表もありました。今年10月から、20周年イヤーに入っている ゆず。
いまや親子でファンという方もいらっしゃるアーティストかもしれませんね。
。
1998年11月、3枚目のメジャーシングルとしてリリースされました。
この曲について、ファンの間で色々と歌詞の意味について考えられているんですが、
当時のインタビューなどを総合して、
「女性に告白されたけど断った。でもその後、その人に好きなっちゃったんだけど、諦めた曲」。
ちなみにリーダーの北川さんいわく、「路上でのポジションは、中堅の課長クラスの曲」だそうです。
そんな ゆず、先週の土日に東京ドーム公演を成功させました!
さらに、来年オールタイムベストアルバムのリリースと、自身初のドームツアーの発表もありました。今年10月から、20周年イヤーに入っている ゆず。
いまや親子でファンという方もいらっしゃるアーティストかもしれませんね。
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2016.11.30
11月28日O.A.「The Modern Age 」 The Strokes
毎週、月曜日は、アーティストがスターへ登りつめるキッカケとなった曲や
デビュー曲をご紹介しています。
今日、紹介したのは、「ザ・ストロークス」、「ザ・モダン・エイジ」です。
1990年代後半、内省的な音楽やヒップホップが音楽シーンの中心を占めていたところに
タイトなビートとストレートなギターを鳴らし登場したザ・ストロークス!
2001年、3曲入りのシングル「ザ・モダン・エイジ」を発表すると瞬く間に人気が爆発。
続いてリリースしたデビューアルバム『イズ・ディス・イット』も世界中で大ヒットを記録しました。ザ・ストロークスの登場以降、世界中からギター・ロックが登場し、”ロックンロール・リバイバル”と呼ばれる大きなムーブメントが巻き起こります。彼らからの影響を公言するアーティストも多く、まさに2000年代の幕開けを切った。2000年代を象徴するバンドと言えますね。
メンバーそれぞれのソロ活動、サイドプロジェクトも活発なザ・ストロークス。
先日、ギタリストのニック・ヴァレンシのサイド・プロジェクト「CRX(シー・アール・エックス)」のファースト・アルバムがリリースされました!
現在製作中、2017年にリリースかと噂されるザ・ストロークス本体のニュー・アルバムも楽しみなところです!
デビュー曲をご紹介しています。
今日、紹介したのは、「ザ・ストロークス」、「ザ・モダン・エイジ」です。
1990年代後半、内省的な音楽やヒップホップが音楽シーンの中心を占めていたところに
タイトなビートとストレートなギターを鳴らし登場したザ・ストロークス!
2001年、3曲入りのシングル「ザ・モダン・エイジ」を発表すると瞬く間に人気が爆発。
続いてリリースしたデビューアルバム『イズ・ディス・イット』も世界中で大ヒットを記録しました。ザ・ストロークスの登場以降、世界中からギター・ロックが登場し、”ロックンロール・リバイバル”と呼ばれる大きなムーブメントが巻き起こります。彼らからの影響を公言するアーティストも多く、まさに2000年代の幕開けを切った。2000年代を象徴するバンドと言えますね。
メンバーそれぞれのソロ活動、サイドプロジェクトも活発なザ・ストロークス。
先日、ギタリストのニック・ヴァレンシのサイド・プロジェクト「CRX(シー・アール・エックス)」のファースト・アルバムがリリースされました!
現在製作中、2017年にリリースかと噂されるザ・ストロークス本体のニュー・アルバムも楽しみなところです!
2016.11.28
11月25日O.A.「Sweet Emotion」 Aerosmith
今日ご紹介したのは、エアロスミスの 「スウィート・エモーション」です。
この曲は、1975年のアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』からの1曲で、
ライブにおいても重要な曲として演奏されることも多い名曲です。
そのエアロスミスのフロントマン、スティーブン・タイラーが、
ソロとして初となる来日公演が発表されました。
通常、AEROSMITHとしては数万人規模のスタジアム級でのライヴしか行わない彼ですが、
4月8日にZepp Osaka Bayside、4月11日に日本武道館にて開催!
また、Steven Tyler本人とのミート&グリートができる"VIP アップグレードチケット"の販売も
決定していて、本人に会える貴重な企画です。ソロツアーのセットリストをみてみると、
カントリー・ロックを基調としたソロアルバムからの曲はもちろん、エアロスミスの名曲まで披露。
この曲も演奏されています!
この曲は、1975年のアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』からの1曲で、
ライブにおいても重要な曲として演奏されることも多い名曲です。
そのエアロスミスのフロントマン、スティーブン・タイラーが、
ソロとして初となる来日公演が発表されました。
通常、AEROSMITHとしては数万人規模のスタジアム級でのライヴしか行わない彼ですが、
4月8日にZepp Osaka Bayside、4月11日に日本武道館にて開催!
また、Steven Tyler本人とのミート&グリートができる"VIP アップグレードチケット"の販売も
決定していて、本人に会える貴重な企画です。ソロツアーのセットリストをみてみると、
カントリー・ロックを基調としたソロアルバムからの曲はもちろん、エアロスミスの名曲まで披露。
この曲も演奏されています!
2016.11.25
11月24日O.A.「 I Can Here Music」 Larry Lurex
今日お送りしたのは、Larry Lurex(ラリー・ルーレックス)の、「I Can Hear Music」です。
今日11月24日は、クイーンのフレディー・マーキュリーが亡くなった日。今年で25年になります。四半世紀が経った今も追悼コンサートが行われるなど、愛され続けているフレディー・マーキュリーですが、彼の実質的なデビュー曲が、じつは、このラリー・ルーレックス名義の
この曲です。
1966年にロネッツが唄い、1969年ビーチボーイズのカバーでヒット。
ちょうどクイーンがファースト・アルバム「戦慄の王女」をレコーディングしていた1973年、
ロビン・ケーブルというプロデューサーに依頼されて、
フレディーと、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、クイーンの3人によってレコーディング。この曲のリリースが、「戦慄の王女」のリリース日に近かったこともあって、
ラリー・ルーレックスという名前でリリースされたんです。
一歩違えば「クイーン」という名前より「ラリー・ルーレックス」という名前が、
世に残っていたかもしれませんね。
今日11月24日は、クイーンのフレディー・マーキュリーが亡くなった日。今年で25年になります。四半世紀が経った今も追悼コンサートが行われるなど、愛され続けているフレディー・マーキュリーですが、彼の実質的なデビュー曲が、じつは、このラリー・ルーレックス名義の
この曲です。
1966年にロネッツが唄い、1969年ビーチボーイズのカバーでヒット。
ちょうどクイーンがファースト・アルバム「戦慄の王女」をレコーディングしていた1973年、
ロビン・ケーブルというプロデューサーに依頼されて、
フレディーと、ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラー、クイーンの3人によってレコーディング。この曲のリリースが、「戦慄の王女」のリリース日に近かったこともあって、
ラリー・ルーレックスという名前でリリースされたんです。
一歩違えば「クイーン」という名前より「ラリー・ルーレックス」という名前が、
世に残っていたかもしれませんね。
2016.11.24