4月16日O.A.「 SMILE」 NAT KING COLE
今朝お送りした曲は、ナット・キング・コール「スマイル」。
多くのシンガーに愛され、歌われ続けている名曲ですが、
この曲を作ったのはイギリスの映画俳優であり、映画監督、
コメディアン、脚本家、映画プロデューサーでもある
チャールズ・チャップリンです。
チャップリンは、1889年の実は今日、4月16日が誕生日。
この曲は、 1938年の映画『モダンタイムス』の主題曲で、
その後1954年に歌詞が付けられて
ナット・キング・コールの歌によって大ヒットしました。
心に静かな微笑みをもたらしてくれるような曲。
今日もあなたの1日が映画のワンシーンのように
美しくありますように。
多くのシンガーに愛され、歌われ続けている名曲ですが、
この曲を作ったのはイギリスの映画俳優であり、映画監督、
コメディアン、脚本家、映画プロデューサーでもある
チャールズ・チャップリンです。
チャップリンは、1889年の実は今日、4月16日が誕生日。
この曲は、 1938年の映画『モダンタイムス』の主題曲で、
その後1954年に歌詞が付けられて
ナット・キング・コールの歌によって大ヒットしました。
心に静かな微笑みをもたらしてくれるような曲。
今日もあなたの1日が映画のワンシーンのように
美しくありますように。
2013.04.16
4月15日O.A.「Got To Be Real」Cheryl Lynn
今朝、お送りしたのは、シェリル・リン、「ガット トゥー ビー リアル」です。
もともと彼女は教師になることを目指していましたが、
当時アメリカでの名物オーディション番組『ザ・ゴング ショウ』に出演し、
予選を勝ち抜き、本選で見事満点を獲得し、それがきっかけとなりレコード会社と契約。
そして、1978年、このデビュー・シングル「ガット トゥー ビー リアル」をリリース!
いきなり、ビルボードR&Bチャート、1位を記録。
ディスコクイーンとして一躍スターダムへ登りつめました。
それも、そのはず、この曲のプロデュースはTOTOのメンバーであるデヴィッド・ペイチとデヴィッド・フォスター!
当時はディスコブームでしたが、ディスコからクラブに変わった今でも、
不滅の名曲としてラジオから流れ続け、またフロアを沸かせています。
そして、2005年、『Dance Music Hall of Fame』、殿堂入りを果たします。
ディスコクラシックとして、これからも世代を超えて語り継がれる曲ですね。
この曲のリズムのようにハッピーに今日のスタートを切って下さい!
もともと彼女は教師になることを目指していましたが、
当時アメリカでの名物オーディション番組『ザ・ゴング ショウ』に出演し、
予選を勝ち抜き、本選で見事満点を獲得し、それがきっかけとなりレコード会社と契約。
そして、1978年、このデビュー・シングル「ガット トゥー ビー リアル」をリリース!
いきなり、ビルボードR&Bチャート、1位を記録。
ディスコクイーンとして一躍スターダムへ登りつめました。
それも、そのはず、この曲のプロデュースはTOTOのメンバーであるデヴィッド・ペイチとデヴィッド・フォスター!
当時はディスコブームでしたが、ディスコからクラブに変わった今でも、
不滅の名曲としてラジオから流れ続け、またフロアを沸かせています。
そして、2005年、『Dance Music Hall of Fame』、殿堂入りを果たします。
ディスコクラシックとして、これからも世代を超えて語り継がれる曲ですね。
この曲のリズムのようにハッピーに今日のスタートを切って下さい!
2013.04.15
4月12日O.A.「チェリー」スピッツ
金曜日は月替わりのテーマで、リクエストとメッセージをご紹介しています。
今月は「出会い」をテーマに、リクエストとメッセージを募集中です。
今朝は、神奈川県のラジオネーム〔ノアノア〕さん、30代女性から頂いたリクエストにお応えしました。
スピッツ、「チェリー」。
春になるとよく耳にするスタートアップソングですよね。
スピッツ、1996年のナンバーです。
リクエストを下さった〔ノアノア〕さんからは、こんなメッセージも添えて頂いています・・・
「私の出会いエピソード・・・高校入学して、私のクラスは知らない顔だらけでした。
人見知りで引っ込み思案だった私は、自分から声をかけることもできずにいました。
そんな私に初めて声をかけてきてくれた子がいました。隣の席だった女の子です。
『ミスチルとスピッツがすきなの、一緒だね』。
どうやら自己紹介のために書いたカードをチラ見したようです。
『私もすきなんだよね!』という一言に、何だか張り詰めていたものが解け、
安心したのを覚えています。
それからはその子を通して次々に友達ができ、高校生活は想像していた以上に、
楽しい思い出でいっぱいになりました!
その子とは20年近く経つ今も、仲良く何でも話せる関係です。
あの時、初めて声をかけてくれた日、『これ、もう買った?』と見せられたCD。
まだだと言うと、『じゃとりあえず貸すよ!』と渡されたのが、スピッツの『チェリー』でした。」
素敵なエピソードですね。
ほんの少しの勇気で「出会い」は未来へのドアを開いてくれます。
今月は「出会い」をテーマに、リクエストとメッセージを募集中です。
今朝は、神奈川県のラジオネーム〔ノアノア〕さん、30代女性から頂いたリクエストにお応えしました。
スピッツ、「チェリー」。
春になるとよく耳にするスタートアップソングですよね。
スピッツ、1996年のナンバーです。
リクエストを下さった〔ノアノア〕さんからは、こんなメッセージも添えて頂いています・・・
「私の出会いエピソード・・・高校入学して、私のクラスは知らない顔だらけでした。
人見知りで引っ込み思案だった私は、自分から声をかけることもできずにいました。
そんな私に初めて声をかけてきてくれた子がいました。隣の席だった女の子です。
『ミスチルとスピッツがすきなの、一緒だね』。
どうやら自己紹介のために書いたカードをチラ見したようです。
『私もすきなんだよね!』という一言に、何だか張り詰めていたものが解け、
安心したのを覚えています。
それからはその子を通して次々に友達ができ、高校生活は想像していた以上に、
楽しい思い出でいっぱいになりました!
その子とは20年近く経つ今も、仲良く何でも話せる関係です。
あの時、初めて声をかけてくれた日、『これ、もう買った?』と見せられたCD。
まだだと言うと、『じゃとりあえず貸すよ!』と渡されたのが、スピッツの『チェリー』でした。」
素敵なエピソードですね。
ほんの少しの勇気で「出会い」は未来へのドアを開いてくれます。
2013.04.12
4月11日「Jumpin’ Jack Flash」The Rolling Stones
今朝は、THE ROLLING STONESの「JUMPIN’ JACK FLASH」!
1968年のナンバーですが、昨年、木村拓哉さん主演のドラマ「PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜」の主題歌としてもリバイバルヒットしました。
THE ROLLING STONES、先日、ロンドンのハイドパークでのパフォーマンスを発表。
そのチケットが発売となったんですが、6万5千枚が3分で完売しました。
それを受けて、なんと追加公演が決定。明日、チケットの発売が行われます。
THE ROLLING STONESがハイドパークでライブをするのは、44年ぶりのこと。
1969年7月5日、メンバーだったブライアン・ジョーンズが亡くなった2日後に
フリーコンサートを開催し、なんと25万人を集めました。
その模様は映像作品として、いまだ語り継がれています!
今朝、お届けした「JUMPIN’ JACK FLASH」!は、44年前のハイドパークでもパフォーマンスされています。
1968年のナンバーですが、昨年、木村拓哉さん主演のドラマ「PRICELESS〜あるわけねぇだろ、んなもん!〜」の主題歌としてもリバイバルヒットしました。
THE ROLLING STONES、先日、ロンドンのハイドパークでのパフォーマンスを発表。
そのチケットが発売となったんですが、6万5千枚が3分で完売しました。
それを受けて、なんと追加公演が決定。明日、チケットの発売が行われます。
THE ROLLING STONESがハイドパークでライブをするのは、44年ぶりのこと。
1969年7月5日、メンバーだったブライアン・ジョーンズが亡くなった2日後に
フリーコンサートを開催し、なんと25万人を集めました。
その模様は映像作品として、いまだ語り継がれています!
今朝、お届けした「JUMPIN’ JACK FLASH」!は、44年前のハイドパークでもパフォーマンスされています。
2013.04.11
4月10日O.A.「 End Of The Road」 Boyz?Men
今朝お送りしたのは、ベイビーフェイスがプロデュースした、ボーイズ?メンの
全米シングルチャート、13週連続1位を記録した、大ヒットナンバー。
「 End Of The Road」。
ベイビーフェイスは1958年4月10日、アメリカ生まれ。
そうです、実は今日4月10日が55歳の誕生日なんです。
彼は70年代から80年代には、自身もボーカルを務めるバンドで活動していました。
80年代半ばからは、音楽プロデューサーとして頭角を表し、
ボビー・ブラウン、ホイットニー・ヒューストン、ボーイズ?メン、セリーヌ・ディオン、TLC、
エリック・クラプトン、マドンナ、ジェイZなどなどをプロデュース!
数多くのヒットを生みました。
「グラミー賞」でも、プロデューサーとして何度も受賞経験があります。
実はこのベイビーフェイスという名前、バンド活動している時に付けられた、
“童顔”つまり「ベイビーフェイス」と呼ばれたことから来ているそうです。
そして、現在も50代と思えない「若々しい姿」でステージでも活躍しています。
まさに音楽界の南雲先生!!若さの秘密を知りたいですね。
全米シングルチャート、13週連続1位を記録した、大ヒットナンバー。
「 End Of The Road」。
ベイビーフェイスは1958年4月10日、アメリカ生まれ。
そうです、実は今日4月10日が55歳の誕生日なんです。
彼は70年代から80年代には、自身もボーカルを務めるバンドで活動していました。
80年代半ばからは、音楽プロデューサーとして頭角を表し、
ボビー・ブラウン、ホイットニー・ヒューストン、ボーイズ?メン、セリーヌ・ディオン、TLC、
エリック・クラプトン、マドンナ、ジェイZなどなどをプロデュース!
数多くのヒットを生みました。
「グラミー賞」でも、プロデューサーとして何度も受賞経験があります。
実はこのベイビーフェイスという名前、バンド活動している時に付けられた、
“童顔”つまり「ベイビーフェイス」と呼ばれたことから来ているそうです。
そして、現在も50代と思えない「若々しい姿」でステージでも活躍しています。
まさに音楽界の南雲先生!!若さの秘密を知りたいですね。
2013.04.10