4月30日O.A.「NEVER GONNA LET YOU GO」SERGIO MENDES
今朝は、昨日から明後日までの4日間、ゴールデンウィークを迎えたビルボードライブ東京で来日公演を行っているセルジオ・メンデス、1983年に全米4位を記録するヒットとなった、
「NEVER GONNA LET YOU GO」でした。
今からちょうど30年前の曲ながら輝きを失わない名曲です。
セルジオ・メンデスは、ブラジル・リオデジャネイロの出身。
1965年にアメリカに活動の場を移し、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった
世界的なボサノヴァ・ブームの推進役となりました。
特に1966年に発表したアルバム『Sergio Mendes & Brasil '66』と、
収録曲の「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)」が大ヒット、
世界的にセルジオ・メンデスの名前が知れ渡りました。
そこから70年代には「ブラジル77」などと名前と音を進化させ、
常に第一線で活躍、ボサノバの枠にとどまらない、新しい音楽にチャレンジし続けています。
「NEVER GONNA LET YOU GO」でした。
今からちょうど30年前の曲ながら輝きを失わない名曲です。
セルジオ・メンデスは、ブラジル・リオデジャネイロの出身。
1965年にアメリカに活動の場を移し、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった
世界的なボサノヴァ・ブームの推進役となりました。
特に1966年に発表したアルバム『Sergio Mendes & Brasil '66』と、
収録曲の「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)」が大ヒット、
世界的にセルジオ・メンデスの名前が知れ渡りました。
そこから70年代には「ブラジル77」などと名前と音を進化させ、
常に第一線で活躍、ボサノバの枠にとどまらない、新しい音楽にチャレンジし続けています。
2013.04.30
4月29日O.A.「Karma Chameleon」Culture Club
今朝の1曲は、1983年、昭和58年にリリースされた、
カルチャークラブ、「カーマは気まぐれ」でした。
「カルチャークラブ」は1981年イギリス・ロンドンで結成。
ヴォーカル・ボーイ・ジョージはビュジュアル系の出で立ちでも人気を集め、
その美貌は誰もが女性と見間違うほどでした。
もちろん、ファッションだけではなく、モータウンの影響を強く受けたサウンド、
ヴォーカル・ボーイ・ジョージの歌唱力は定評がありました。
実は、ボーイ・ジョージは、親日家としても知られていて、
他の曲、『ミス・ミー・ブラインド』のミュージックビデオでは漢字や日本人女性が登場、
『戦争の歌』の一部で“戦争反対”と日本語で歌っていたりもするほどでした。
写真家のハービー山口さんはロンドンで活動していた時代、
なんとデビュー前のこのボーイジョージとルームシェアしていたそうで、
お互いに芸術やファッションの刺激を与えあったったそうです。
もしかするとそんな日本人ハービーさんの影響もあっての、「漢字好き」の
気持ちが芽生えたのかもしれませんね!
カルチャークラブ、「カーマは気まぐれ」でした。
「カルチャークラブ」は1981年イギリス・ロンドンで結成。
ヴォーカル・ボーイ・ジョージはビュジュアル系の出で立ちでも人気を集め、
その美貌は誰もが女性と見間違うほどでした。
もちろん、ファッションだけではなく、モータウンの影響を強く受けたサウンド、
ヴォーカル・ボーイ・ジョージの歌唱力は定評がありました。
実は、ボーイ・ジョージは、親日家としても知られていて、
他の曲、『ミス・ミー・ブラインド』のミュージックビデオでは漢字や日本人女性が登場、
『戦争の歌』の一部で“戦争反対”と日本語で歌っていたりもするほどでした。
写真家のハービー山口さんはロンドンで活動していた時代、
なんとデビュー前のこのボーイジョージとルームシェアしていたそうで、
お互いに芸術やファッションの刺激を与えあったったそうです。
もしかするとそんな日本人ハービーさんの影響もあっての、「漢字好き」の
気持ちが芽生えたのかもしれませんね!
2013.04.29
4月26日O.A.「神様の宝石でできた島」MIYA YAMI
「ノエビア Song of Life」では、今月は「出会い」をテーマに、リクエストとメッセージを募集しました。
今朝のリクエストは、1994年リリース。
ザ・ブームの宮沢和史、ジャマイカのシンガー、ヤミ・ボロによるユニット、
ミヤ&ヤミの、「神様の宝石でできた島」。
ラジオネーム〔酒恋人〕さんからは、この曲へのリクエストとともに、
こんなメッセージも・・・
「私の最高の出会いは19の時。高校卒業後、石垣島から沖縄本島の那覇市に出て、
スポーツクラブで仕事をした時のメンバーです。
今は千葉で仕事してるのでなかなか里帰り出来ませんが、
今でも帰る時は必ず集まって、一緒に飲んでくれます。
島を離れて早や20年。上京する時に仲良しメンバーが港に見送りに来てくれました。
その船で流れていたのが、ミヤ&ヤミの「神様の宝石でできた島」でした。」
多感な頃を一緒に過ごした仲間は、一生の友になります。
いまこの歌を聞きながら、その時の船での旅立ちを思い出しているのでは??
「神様の宝石でできた島」、宝石とはそんな友人たちとの出会いだったのですね。
今朝のリクエストは、1994年リリース。
ザ・ブームの宮沢和史、ジャマイカのシンガー、ヤミ・ボロによるユニット、
ミヤ&ヤミの、「神様の宝石でできた島」。
ラジオネーム〔酒恋人〕さんからは、この曲へのリクエストとともに、
こんなメッセージも・・・
「私の最高の出会いは19の時。高校卒業後、石垣島から沖縄本島の那覇市に出て、
スポーツクラブで仕事をした時のメンバーです。
今は千葉で仕事してるのでなかなか里帰り出来ませんが、
今でも帰る時は必ず集まって、一緒に飲んでくれます。
島を離れて早や20年。上京する時に仲良しメンバーが港に見送りに来てくれました。
その船で流れていたのが、ミヤ&ヤミの「神様の宝石でできた島」でした。」
多感な頃を一緒に過ごした仲間は、一生の友になります。
いまこの歌を聞きながら、その時の船での旅立ちを思い出しているのでは??
「神様の宝石でできた島」、宝石とはそんな友人たちとの出会いだったのですね。
2013.04.26
4月25日O.A.「Dude(Looks Like A Lady)」 Aerosmith
今朝は、1987年のヒット曲から、エアロスミス、、、「DUDE(LOOKS LIKE A LADY)」。
1973年にデビューしたエアロスミスは、今年40周年を迎えました。
今年は、フロントマンの2人、スティーブン・タイラーとジョー・ペリーが、
ソングライターズ・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りするなどニュースが耐えない中、
その40周年のスタートを祝うかのようにリリースされた11年ぶりのアルバム
『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』をひっさげたワールドツアーが
いよいよ今月からスタートしています。
そして、先日、待望の来日公演も発表となりました。
8月11日が名古屋、8月14日、16日が大阪!
東京公演の詳細は未定ですが、期待しましょう。
今朝の曲「DUDE(LOOKS LIKE A LADY)」もコンサートでは、定番になっていますから
ライブでの演奏もたのしみですね。
1973年にデビューしたエアロスミスは、今年40周年を迎えました。
今年は、フロントマンの2人、スティーブン・タイラーとジョー・ペリーが、
ソングライターズ・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りするなどニュースが耐えない中、
その40周年のスタートを祝うかのようにリリースされた11年ぶりのアルバム
『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』をひっさげたワールドツアーが
いよいよ今月からスタートしています。
そして、先日、待望の来日公演も発表となりました。
8月11日が名古屋、8月14日、16日が大阪!
東京公演の詳細は未定ですが、期待しましょう。
今朝の曲「DUDE(LOOKS LIKE A LADY)」もコンサートでは、定番になっていますから
ライブでの演奏もたのしみですね。
2013.04.25
4月24日O.A.「 Blowin’In The Win」 Bob Dylan
今朝の1曲は、ボブ・ディラン、「ブローウィン・イン・ザ・ウィンド」。
1963年に出したセカンドアルバム、「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」からシングルカットされた
大ヒット曲。ハーモニカの音色が印象的な曲です。
実は今日、4月24日は、アメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディランが、
初めて「レコーディング」というものを行なった日!
とは言っても自分のアルバムのレコーディングではありません。
1961年、当時19歳のボブ・ディラン。はじめてのレコーディングは、
すでに6枚のアルバムと、2作の映画に出演して大スターとなっていた、
ハリー・ベラフォンテのアルバム「ミッドナイト・スペシャル」のレコーディング。
そこに“ハーモニカ” で参加しました。
これがボブ・ディラン、プロとして初めてのレコーディング。
このハリー・ベラフォンテ、現在86歳で、「ウィー・アー・ザ・ワールド」を歌ったプロジェクト
“USA for アフリカ”の提唱者です。
ボブ・ディランは、そんな偉大なアーティストのレコーディングに参加しましたが、
このあと、レコード会社との契約には半年、デビューアルバムの発表には11ヶ月かかっています。
ただそのアルバムも、期待された3分の1の売上げで、ほろ苦デビューだったようです。
グラミー賞をいくつも獲得して、ロックの殿堂にも入っているボブ・ディランに、
こんな下積み時代があったんですね。
1963年に出したセカンドアルバム、「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」からシングルカットされた
大ヒット曲。ハーモニカの音色が印象的な曲です。
実は今日、4月24日は、アメリカのシンガーソングライター、ボブ・ディランが、
初めて「レコーディング」というものを行なった日!
とは言っても自分のアルバムのレコーディングではありません。
1961年、当時19歳のボブ・ディラン。はじめてのレコーディングは、
すでに6枚のアルバムと、2作の映画に出演して大スターとなっていた、
ハリー・ベラフォンテのアルバム「ミッドナイト・スペシャル」のレコーディング。
そこに“ハーモニカ” で参加しました。
これがボブ・ディラン、プロとして初めてのレコーディング。
このハリー・ベラフォンテ、現在86歳で、「ウィー・アー・ザ・ワールド」を歌ったプロジェクト
“USA for アフリカ”の提唱者です。
ボブ・ディランは、そんな偉大なアーティストのレコーディングに参加しましたが、
このあと、レコード会社との契約には半年、デビューアルバムの発表には11ヶ月かかっています。
ただそのアルバムも、期待された3分の1の売上げで、ほろ苦デビューだったようです。
グラミー賞をいくつも獲得して、ロックの殿堂にも入っているボブ・ディランに、
こんな下積み時代があったんですね。
2013.04.24