『川島明 そもそもの話』11月2日放送のゲストは、LiLiCoさん!
川島さん曰く”裏表のない、太陽のような人”だと言うLiLiCoさんのそもそもを解き明かしていきました。
◆演歌歌手だった頃◆
そもそもは”どさ回りをする演歌歌手”だったと言うLiLiCoさん。モデルを目指すも挫折したのち、演歌歌手を多く指導してきた先生のもとで歌のレッスンを受けることに。1989年5月2日、その先生の紹介で浜松のビアガーデンの営業ステージで歌ったのが、LiLiCoさんの初ステージだったと言います。のちになって、先生から話を聞いたところによると「この子はレッスンじゃない、場数を踏ますべきだ」と言う考えがあったのだとか。そんな中、当時のマネージャーと2人で上京。そこから車上生活を5年ほど続けていたと言います。ちなみに、この話を聞いた川島さんが「カタツムリのような状態」と例えると、まさかの例えに感動していました。
1992年には『過ぎてしまえば』で念願のCDデビューを果たします。映画『幻想のPARIS』主題歌にもなりましたが、それが何かに繋がったわけではなかったと言います。このように”どん底”を経験する中で、スウェーデンに帰ろうとは思わなかったのか?と川島さんが尋ねると、「帰るお金がなかった」とお答えに。ただ、この時の経験があるからこそ、「ちょっとした幸せがすごく幸せ」なのだとお話しされていました。
◆王様のブランチ◆
LiLiCoさんが芸能界で浮上するきっかけとなったのがTBS『王様のブランチ』に映画コメンテーターとして出演するようになったこと。アニメ『サウスパーク』の吹替声優を務めた際、雑誌のインタビューで好きな映画3本を挙げるコーナーがあり、そこで『サウスパーク/無修正映画版』『デンジャラス・ビューティー』『太陽の誘い』の3本を挙げたところ、ちょうど映画に詳しいタレントを探していた『王様のブランチ』のスタッフの目に留まり、抜擢されたのだとか!
ただ、スウェーデン出身でもともと日本語のネイティブスピーカーではないこともあって、映画を評論することには葛藤もあったと言います。そんな中で、映画のチケットプレゼントの応募に書かれていた番組の感想に勇気づけられたこともあったそう。
◆スタジオパークからこんにちは◆
LiLiCoさんにとって転機となったのが、東日本大震災の約2ヶ月後に出演したNHK『スタジオパークからこんにちは』の生放送だったと言います。震災直後の自粛ムードもまだまだ続く中での出演でしたが、”日本人から元気をもらってきたから、今度は私が元気をあげよう”という心意気で一生懸命番組を盛り上げたそう。すると、いつもよりも多くの数のメッセージが番組宛に届き、なおかつその多くが被災地からのメッセージだったそう!これをきっかけに”このまま行こう!”と思うようになり、バラエティ番組にも多数出演するようになったのだとか。
◆スウェーデン◆
今年、スウェーデンのテレビに初めて出演したと言うLiLiCoさん。スウェーデンのテレビの生放送では、スタジオ内にスタッフはおらず、カンペはプロンプターで表示されるスタイル。また、スタジオセットの転換がなく、3つのセットの間を司会者が移動して行き来するやり方なのだそう。今後もスウェーデンでの仕事をしていきたいと考えていて、ゆくゆくは”LiLiCoと行く日本ツアー”なんてものも実現したいと意気込んでいました!
◆サックス◆
最近、TBS『ララLIFE』の企画で長年夢見ていた「サックスの演奏」に挑戦したLiLiCoさん。楽器の演奏経験はあまりなかったそうですが、思いのほか上手くできたそうで、これからも続けていきたいと考えているそう。そのために、どうやってモチベーションを保てばいいか…サックスの先輩、川島さんに逆質問!川島さんは藤井隆さんに勧められて始めたのですが、その時点でサンリオピューロランドでのライブが決定していたのだそう。その話を聞いて、LiLiCoさんも「締め切りと言う言葉は人間の一番の才能を引き出す」と納得していました。LiLiCoさんのサックス奏者としての今後の活躍も楽しみですね!
♪オンエア・リスト♪
M1. The Final Countdown / ヨーロッパ
川島さん曰く”裏表のない、太陽のような人”だと言うLiLiCoさんのそもそもを解き明かしていきました。
◆演歌歌手だった頃◆
そもそもは”どさ回りをする演歌歌手”だったと言うLiLiCoさん。モデルを目指すも挫折したのち、演歌歌手を多く指導してきた先生のもとで歌のレッスンを受けることに。1989年5月2日、その先生の紹介で浜松のビアガーデンの営業ステージで歌ったのが、LiLiCoさんの初ステージだったと言います。のちになって、先生から話を聞いたところによると「この子はレッスンじゃない、場数を踏ますべきだ」と言う考えがあったのだとか。そんな中、当時のマネージャーと2人で上京。そこから車上生活を5年ほど続けていたと言います。ちなみに、この話を聞いた川島さんが「カタツムリのような状態」と例えると、まさかの例えに感動していました。
1992年には『過ぎてしまえば』で念願のCDデビューを果たします。映画『幻想のPARIS』主題歌にもなりましたが、それが何かに繋がったわけではなかったと言います。このように”どん底”を経験する中で、スウェーデンに帰ろうとは思わなかったのか?と川島さんが尋ねると、「帰るお金がなかった」とお答えに。ただ、この時の経験があるからこそ、「ちょっとした幸せがすごく幸せ」なのだとお話しされていました。
◆王様のブランチ◆
LiLiCoさんが芸能界で浮上するきっかけとなったのがTBS『王様のブランチ』に映画コメンテーターとして出演するようになったこと。アニメ『サウスパーク』の吹替声優を務めた際、雑誌のインタビューで好きな映画3本を挙げるコーナーがあり、そこで『サウスパーク/無修正映画版』『デンジャラス・ビューティー』『太陽の誘い』の3本を挙げたところ、ちょうど映画に詳しいタレントを探していた『王様のブランチ』のスタッフの目に留まり、抜擢されたのだとか!
ただ、スウェーデン出身でもともと日本語のネイティブスピーカーではないこともあって、映画を評論することには葛藤もあったと言います。そんな中で、映画のチケットプレゼントの応募に書かれていた番組の感想に勇気づけられたこともあったそう。
◆スタジオパークからこんにちは◆
LiLiCoさんにとって転機となったのが、東日本大震災の約2ヶ月後に出演したNHK『スタジオパークからこんにちは』の生放送だったと言います。震災直後の自粛ムードもまだまだ続く中での出演でしたが、”日本人から元気をもらってきたから、今度は私が元気をあげよう”という心意気で一生懸命番組を盛り上げたそう。すると、いつもよりも多くの数のメッセージが番組宛に届き、なおかつその多くが被災地からのメッセージだったそう!これをきっかけに”このまま行こう!”と思うようになり、バラエティ番組にも多数出演するようになったのだとか。
◆スウェーデン◆
今年、スウェーデンのテレビに初めて出演したと言うLiLiCoさん。スウェーデンのテレビの生放送では、スタジオ内にスタッフはおらず、カンペはプロンプターで表示されるスタイル。また、スタジオセットの転換がなく、3つのセットの間を司会者が移動して行き来するやり方なのだそう。今後もスウェーデンでの仕事をしていきたいと考えていて、ゆくゆくは”LiLiCoと行く日本ツアー”なんてものも実現したいと意気込んでいました!
◆サックス◆
最近、TBS『ララLIFE』の企画で長年夢見ていた「サックスの演奏」に挑戦したLiLiCoさん。楽器の演奏経験はあまりなかったそうですが、思いのほか上手くできたそうで、これからも続けていきたいと考えているそう。そのために、どうやってモチベーションを保てばいいか…サックスの先輩、川島さんに逆質問!川島さんは藤井隆さんに勧められて始めたのですが、その時点でサンリオピューロランドでのライブが決定していたのだそう。その話を聞いて、LiLiCoさんも「締め切りと言う言葉は人間の一番の才能を引き出す」と納得していました。LiLiCoさんのサックス奏者としての今後の活躍も楽しみですね!
♪オンエア・リスト♪
M1. The Final Countdown / ヨーロッパ
M2. 過ぎてしまえば / LILIKO
M3. True Colors / シンディ・ローパー
M4. これを愛と呼ぶのか? / 松崎しげる & LiLiCo
M5. I Do, I Do, I Do, I Do, I Do / アバ
LiLiCoさんをお迎えした今回の『そもそもの話』は
radikoタイムフリーで11月10日(日)朝5時までお聴きいただけます!
「タイムフリー30プラン」なら12月4日(水)朝5時まで聴けます。
次回の放送は、11月9日(土)17時から!
ゲストは、安齋肇さんです!