「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!
3月9日放送のゲストは、なすなかにし 中西茂樹さんでした!
◆川島さんとの関係◆
大阪では同じ時期に賞レースでライバルとして競っていたお二人。ただ、当時はあまり交流は無かったそう。その後は2017年頃、AbemaTV『椎名ぴかりんのヤッてみるニュース』で共演し、本格的に再会。このとき、川島さんは”めちゃめちゃ柔らかくなってる…!?”と驚いたとか。この番組も終わってしまい、再び会えなくなるなぁ…という時期がありましたが、川島さんがMCを務めるTBS『ラヴィット!』で再び共演。飲みに行く仲にもなったそうですが、実は中西さん、全くお酒が飲めないのだとか。
◆お笑いの道へ◆
2001年、いとこの那須さんとコンビ「なすなかにし」を結成。お笑いを始めたきっかけは、中西さんいわく「那須さんと仲良すぎて、将来同じ仕事に就きたかった」から。幼少期から毎日のように一緒に遊ぶほど仲が良かったお二人は、電話で二人で話した後、その通話を録音して聴き返していたこともあったとか。そういったわけで、お笑いに詳しくはなかったお二人。たまたま見かけた養成所の募集のチラシが松竹芸能のものだったために、松竹芸能に入ることになったそう。
◆松竹VS吉本◆
当時の大阪お笑い界は、コンビ数だけで言うと吉本興業の方が多いものの、”少数精鋭”の松竹芸能のコンビも賞レースで結果を残しており、いい意味でバチバチとしていた状態でした。しかし、ここで”とろサーモン事件”が勃発。とろサーモンの漫才の中で、くだらないボケをした久保田さんに村田さんが「お前松竹行け」とツッコんだことで、大阪のお笑い界に大きな溝が生まれました。当時の中西さんはこのネタがウケている光景を見て、松竹芸能のアウェーな雰囲気を痛感し、ショックを受けたと言います。また、松竹の先輩芸人が自虐的なスタンスをとっていたこともツラかったとか。川島さんいわく、それ以来、賞レースの楽屋はピリピリした空気が漂っていたそうで…”マジで怖かった”と振り返っていました。
◆トガっていた頃◆
川島さんにとって、大阪時代の中西さんは”トガっていた”というイメージ。その理由について中西さんは”芸人ってこうじゃないとアカン”という意識が強すぎたと説明します。2007年のM-1グランプリの予選では”めちゃくちゃ”を超えた”めさくさ”のレベルで大ウケしたため、インタビューもカッコつけて、トガった雰囲気で答えたものの、蓋を開けてみれば不合格だったこともあったそう。
◆上京◆
性格的に”ネガティブになることが一切ない”と話すほどのポジティブシンキングだという中西さん。この“根拠のない自信”をあり、2008年、なすなかにしは東京に拠点を移します。が、仕事の頻度はライブの出番が月に2~3つ入っている程度になり、ゼロからやり直すことに…。
◆改名◆
上京して仕事が減る一方の中で、なすなかにしは飲み会のノリで決まったという「いまぶーむ」へとコンビ名を変更。しかし、これがきっかけで大阪のスタッフからの信頼も失い、”仕事がマジでゼロになった”と言います。「いまぶーむ」時代の1年間は”「いまぶーむ」を認めたくない”という意識から、楽屋の外で着替えたり、楽屋のお弁当を食べなかったりしていたほどだったとか。
◆アメ横の涙◆
こうした状況の中で、とうとうアルバイトをするようになった中西さん。そのうちの一つ、上野動物園の近くで肉まんを売るアルバイトをしていた最中、お使いを頼まれてアメ横を自転車で走っていた時、ふと大阪で忙しかったことや賞を獲ったりしていたことを思い出し、御思わず涙がこぼれました。その時、初めて”自分の力でここまで来たんちゃうわ、助けてもらってたんや…”と気づいたのだとか。
◆ブレイク◆
「いまぶーむ」から「なすなかにし」にコンビ名を戻した瞬間、仕事が増え始めたと言う中西さん。お笑い界に”コンビって仲良くてはいけない””合わせ技なんてもってのほか”という風潮が流れている中で、”おじさんが大合わせ技で乗り込んできた”という状況もあり、次第になすなかにしのお二人に注目が集まるように。中西さんいわく、『ウチのガヤ』でロケの才能を見出され、それが『笑神様は突然に…』のロケ企画に繋がり、それを『ラヴィット!』が一気に拡散したのだと言います。川島さんもロケバスで常に周囲を気遣う様子が印象的だと話していました。
◆渡辺徹さん◆
中西さんが40代になってから影響を受けた人物が、渡辺徹さん。LINEで言われた「ついていけんわと言わせるくらい自分で笑ってしまう事をやりなさい」という言葉が中西さんを支えたと言います。そもそも、徹さんとは楽屋で偶然バッタリ会って、「今度ご飯行こうよ!」と言われて、その日に連絡先を交換したことから交流が始まったそう。時には徹さん主催のライブに呼ばれたり、時には徹さんと二人きりで帝国ホテルでカレーを食べたり…何かと気にかけてくれた方だとか。徹さんは「中西くんは勘がいいから、空気を読んでお客さんに一番に合わせにいってしまう」といい、それに続いて先ほどの言葉をかけてくれたとか。今でも保存していると言うほど、中西さんが大切にしている言葉なのです。
◆那須さん◆
最後に、現在療養中の相方・那須さんのお話を。先月の川島さんのお誕生日、那須さんから長文のLINEが川島さんのもとに届いたそうで、”那須さんの脳に刺激を与えないようにしなくちゃ…”と返信に悩みつつ、那須さんからのプレゼントが嬉しかったとか。現在、順調に回復しているという那須さん。焦らず、ゆっくりと戻ってきてくれるその日を、みんなで待ちましょう…!
♪オンエア・リスト♪
3月9日放送のゲストは、なすなかにし 中西茂樹さんでした!
◆川島さんとの関係◆
大阪では同じ時期に賞レースでライバルとして競っていたお二人。ただ、当時はあまり交流は無かったそう。その後は2017年頃、AbemaTV『椎名ぴかりんのヤッてみるニュース』で共演し、本格的に再会。このとき、川島さんは”めちゃめちゃ柔らかくなってる…!?”と驚いたとか。この番組も終わってしまい、再び会えなくなるなぁ…という時期がありましたが、川島さんがMCを務めるTBS『ラヴィット!』で再び共演。飲みに行く仲にもなったそうですが、実は中西さん、全くお酒が飲めないのだとか。
◆お笑いの道へ◆
2001年、いとこの那須さんとコンビ「なすなかにし」を結成。お笑いを始めたきっかけは、中西さんいわく「那須さんと仲良すぎて、将来同じ仕事に就きたかった」から。幼少期から毎日のように一緒に遊ぶほど仲が良かったお二人は、電話で二人で話した後、その通話を録音して聴き返していたこともあったとか。そういったわけで、お笑いに詳しくはなかったお二人。たまたま見かけた養成所の募集のチラシが松竹芸能のものだったために、松竹芸能に入ることになったそう。
◆松竹VS吉本◆
当時の大阪お笑い界は、コンビ数だけで言うと吉本興業の方が多いものの、”少数精鋭”の松竹芸能のコンビも賞レースで結果を残しており、いい意味でバチバチとしていた状態でした。しかし、ここで”とろサーモン事件”が勃発。とろサーモンの漫才の中で、くだらないボケをした久保田さんに村田さんが「お前松竹行け」とツッコんだことで、大阪のお笑い界に大きな溝が生まれました。当時の中西さんはこのネタがウケている光景を見て、松竹芸能のアウェーな雰囲気を痛感し、ショックを受けたと言います。また、松竹の先輩芸人が自虐的なスタンスをとっていたこともツラかったとか。川島さんいわく、それ以来、賞レースの楽屋はピリピリした空気が漂っていたそうで…”マジで怖かった”と振り返っていました。
◆トガっていた頃◆
川島さんにとって、大阪時代の中西さんは”トガっていた”というイメージ。その理由について中西さんは”芸人ってこうじゃないとアカン”という意識が強すぎたと説明します。2007年のM-1グランプリの予選では”めちゃくちゃ”を超えた”めさくさ”のレベルで大ウケしたため、インタビューもカッコつけて、トガった雰囲気で答えたものの、蓋を開けてみれば不合格だったこともあったそう。
◆上京◆
性格的に”ネガティブになることが一切ない”と話すほどのポジティブシンキングだという中西さん。この“根拠のない自信”をあり、2008年、なすなかにしは東京に拠点を移します。が、仕事の頻度はライブの出番が月に2~3つ入っている程度になり、ゼロからやり直すことに…。
◆改名◆
上京して仕事が減る一方の中で、なすなかにしは飲み会のノリで決まったという「いまぶーむ」へとコンビ名を変更。しかし、これがきっかけで大阪のスタッフからの信頼も失い、”仕事がマジでゼロになった”と言います。「いまぶーむ」時代の1年間は”「いまぶーむ」を認めたくない”という意識から、楽屋の外で着替えたり、楽屋のお弁当を食べなかったりしていたほどだったとか。
◆アメ横の涙◆
こうした状況の中で、とうとうアルバイトをするようになった中西さん。そのうちの一つ、上野動物園の近くで肉まんを売るアルバイトをしていた最中、お使いを頼まれてアメ横を自転車で走っていた時、ふと大阪で忙しかったことや賞を獲ったりしていたことを思い出し、御思わず涙がこぼれました。その時、初めて”自分の力でここまで来たんちゃうわ、助けてもらってたんや…”と気づいたのだとか。
◆ブレイク◆
「いまぶーむ」から「なすなかにし」にコンビ名を戻した瞬間、仕事が増え始めたと言う中西さん。お笑い界に”コンビって仲良くてはいけない””合わせ技なんてもってのほか”という風潮が流れている中で、”おじさんが大合わせ技で乗り込んできた”という状況もあり、次第になすなかにしのお二人に注目が集まるように。中西さんいわく、『ウチのガヤ』でロケの才能を見出され、それが『笑神様は突然に…』のロケ企画に繋がり、それを『ラヴィット!』が一気に拡散したのだと言います。川島さんもロケバスで常に周囲を気遣う様子が印象的だと話していました。
◆渡辺徹さん◆
中西さんが40代になってから影響を受けた人物が、渡辺徹さん。LINEで言われた「ついていけんわと言わせるくらい自分で笑ってしまう事をやりなさい」という言葉が中西さんを支えたと言います。そもそも、徹さんとは楽屋で偶然バッタリ会って、「今度ご飯行こうよ!」と言われて、その日に連絡先を交換したことから交流が始まったそう。時には徹さん主催のライブに呼ばれたり、時には徹さんと二人きりで帝国ホテルでカレーを食べたり…何かと気にかけてくれた方だとか。徹さんは「中西くんは勘がいいから、空気を読んでお客さんに一番に合わせにいってしまう」といい、それに続いて先ほどの言葉をかけてくれたとか。今でも保存していると言うほど、中西さんが大切にしている言葉なのです。
◆那須さん◆
最後に、現在療養中の相方・那須さんのお話を。先月の川島さんのお誕生日、那須さんから長文のLINEが川島さんのもとに届いたそうで、”那須さんの脳に刺激を与えないようにしなくちゃ…”と返信に悩みつつ、那須さんからのプレゼントが嬉しかったとか。現在、順調に回復しているという那須さん。焦らず、ゆっくりと戻ってきてくれるその日を、みんなで待ちましょう…!
♪オンエア・リスト♪
M1. WINNER! / 聖飢魔II
M2. 人はそれを情熱と呼ぶ / サンボマスター
M3. 涙をとどけて / トータス松本
M4. 人にやさしく / THE BLUE HEARTS
M5. あずさ2号 / 狩人
「川島明 そもそもの話」3/9 OA分 radikoタイムフリーで聴く方はこちらから!
3/17(日)朝5時まで聴くことができます。
次回3/16のゲストは、安田大サーカス クロちゃんです。お楽しみに!