川島明 そもそもの話

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17 Dec 2023

【#9】ゲストは蛍原徹さん!【2023.12.2 OA】

蛍原さんスタジオ写真 1
「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月2日放送のゲストは、蛍原徹さん!
川島さんにとっては、お笑い芸人になる前から憧れていた存在。
そのルーツをたどっていきますが、ついついお二人が大好きな競馬の話題に!?

◆競馬◆
蛍原さんも川島さんも大の競馬好き!収録で一緒になると、楽屋では競馬の話しかしてないそう。
また、最近はプライベートでも一緒に競馬場に行ったそうですが、蛍原さんはメインレースの11Rが始まる直前に帰ってしまったとか。その理由を聞くと、「ちょっと子供と約束があって…」とのこと。「そんな直前まで打ちなさんな!」と話す川島さんでした。

◆幼少期◆
幼少期に漫才ブームを経験し、漫才師に憧れはずっと抱いていたという蛍原さん。高校卒業後、しばらくして”ちょっと真剣に何かに取り組みたい”と思った時に「漫才」を選び、NSCに入ったそう。
ここで、川島さんから「蛍原さんは(幼少期に)何の文化も通ってきてない!」という話が。すると、蛍原さんは「小学校の時に野球にハマって、とことん、それしか見えなくなった。」と言います。当時の蛍原少年は阪急ブレーブスの福本豊選手に憧れていたそうですが、憧れが強すぎるあまり、福本選手の背番号「7」が好きになり、「7」と書いた紙を壁に貼る…という奇行に走っていたのだとか…。

◆コンビ結成◆
NSC卒業後、雨上がり決死隊を結成!そのきっかけについてもたっぷりとお話を。
あるとき、心斎橋筋2丁目劇場でオーディションが行われることになり、蛍原さん、宮迫さんと同じアルバイトをしていた他の芸人に「一緒にやってみたら?」と薦められたことで、”ほんなら1回やってみよか”という雰囲気でコンビを組んでオーディションを受けたそう。蛍原さんいわく、そのオーディションに受かったためにコンビとしての活動が続いていったものの、もし落ちていたら、雨上がり決死隊のコンビ活動は続いていなかったかもしれないと言います。

◆明石家さんまさん◆
蛍原さんが若手時代に影響を受けた人物として挙げたのが、明石家さんまさん!初めてさんまさんを見たときの印象について、「光が何にもないのに、輝いて見えた」と話します。
今でも毎週のようにさんまさんとお会いする機会がある蛍原さんですが、未だにさんまさんとの共演は慣れないそう。これには川島さんも共感しているご様子で、「仕事が終わった後、こっちが元気になっている」「ちょっと仕事でしんどい時、さんまさんと一緒に仕事しようとしている」のだとか。まさに”パワースポット”のような、さんまさんの不思議な魅力について語り合うお二人でした。

◆京都発!吉本決死隊◆
1991年、雨上がり決死隊は当時の若手芸人を中心に結成されたユニット「吉本印天然素材」に参加。一大ムーブメントを巻き起こしますが、一旦落ち着いた後、今度は千原兄弟やジャリズムを中心とする”2丁目劇場ブーム”が到来。雨上がり決死隊をはじめとする天然素材のメンバーにとってはつらい時期が続きます。蛍原さんも「東京に行って、やってみてアカンかったらやめようか。」と当時の心境を振り返ります。
その時期に雨上がり決死隊とバッファロー吾郎の2組が京都で放送していたラジオ番組『京都発!吉本決死隊』は、川島さんもヘビーリスナーの一人でした。川島さんいわく、みなさん顔色がおかしい中で放送していたそうで…なかなかにカオスな放送が常に繰り広げられていたとか。番組内でムチャクチャな仕打ちを受けたバッファロー吾郎Aさんの一言があまりにも面白くて感動し、川島さんはお笑いの世界を目指したというお話も飛び出しました。

◆アメトーーク!◆
2003年4月にレギュラー放送がスタートしたテレビ朝日『アメトーーク!』は、現在も続く大人気番組!蛍原さんからは、番組が始まる”そもそも”のきっかけについて、意外な裏話が飛び出しました。
ある時、飲み屋さんで蛍原さん、宮迫さん、テレビ朝日の加地倫三プロデューサーが偶然それぞれ別々の席で飲んでいたことがあったそう。宮迫さんと加地さんが遭遇した際、何気なく「何かトーク番組でもやりたいですね」といった会話をしており、それを聞いたマネージャーが加地さんのもとに「やってくださいよ!?」と念押しの電話をしたことで、お試しの単発特番に繋がったのだとか!
当初は今のような「○○芸人」といったくくりもなく、ゲストを呼んで深掘りするトークバラエティーだったそう。蛍原さんいわく”くくりトーク”が生まれるきっかけとなったのは、『メガネ芸人』(2004年6月14日OA)の回。収録は大盛り上がりしたものの、この回の視聴率はあまり良くなかったのだとか。ただ、加地プロデューサーの”いや、これは面白いからもうちょっとやってみよう”という考えもあり、このスタイルを継続。今ではすっかり定着しました。
様々な企画がある中で、川島さんが印象的なのは”食シリーズ”。『あぶら揚げ芸人』(2008年8月21日OA)は、もともとは収録後の食事会でバッファロー吾郎Aさんがギャグのつもりで発したアイデアだったそうですが、深夜の食事会のテンションで”めっちゃ面白いやん!”となり、実際に放送まで漕ぎつけたのだとか…!
また、名物企画『運動神経悪い芸人』は川島さんもすっかりレギュラーメンバーとなっておりますが、実は1期生ではないのだとか!第1回の放送には呼ばれておらず、テレビの前でびくびくしていたそう。すると、第2回の収録に呼び出され、それが今に至るまで15年ほど続いているのだとか。今年の年末スペシャルでも『運動神経悪い芸人』の放送が予定されていますが、今年も川島さん、収録に呼び出されたそうです。どんな姿が見られるのでしょうか…!?

◆これから◆
最後に、蛍原さんのお笑い芸人としての今後の夢・目標について伺うと、蛍原さんからは衝撃のお答えが!
お笑い芸人としてのデビュー当時と今とでは夢や目標が変わってくると話す蛍原さんですが…今時点でのこれからについては「平日ゴルフ、土日競馬、でいいでしょう!」とキッパリ断言!「ほんとにそう思ってるんでね。」と、嘘偽りのない正直な想いをお話しいただきました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 雨上がりの夜空に / RCサクセション

M2. 競馬場で会いましょう / 忌野清志郎
M3. ジョイササイズ / ジョイマン
M4. 千の風になって / 秋川雅史
M5. Good Bye Natuilus/さよならノーチラス号 / スクーデリア エレクトロ
M6. 北の国から 遥かなる大地より~螢のテーマ / さだまさし

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