川島明 そもそもの話

TOKYO FM/JFN 37 Stations
Every Saturday 17:00-17:55
FM愛媛 Every Saturday 18:00-18:55
エフエム青森 Every Saturday 19:00-19:55

そもそも、なんでこの世界に?
そもそも、有名になったきっかけは?そもそも、あの作品を手がけた理由は?
芸人、俳優、ミュージシャン、漫画家、映画監督、スポーツ選手、料理人……
誰でも知ってるあの人の、意外と知らない“そもそもの話”。
平日の喧騒を逃れた土曜日。
バリトンボイスの聞き巧者 麒麟・川島明がおくるインタビュー番組。
様々な質問や相談に川島明が答えていきます。

番組では、リスナーからのメッセージも募集中!

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On Air Report

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11 Jan 2024

【#11】ゲストはaikoさん!【2023.12.16 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月16日放送のゲストは、シンガーソングライターのaikoさんでした!
川島さんも若手時代、なんばのCDショップの試聴機でaikoさんの曲をたまたま聴いて、思わずCDを手に取って買ったことがあるそう。

◆デビュー25周年◆
デビュー25周年を迎えたaikoさん。応援してくれているファンの方々の人生もついつい気になってしまうそうで、”他のバンドの曲聴いてへんかな…”と、束縛してしまうこともあるのだそう。

◆オーディション◆
そんなaikoさんはそもそも、どうしてシンガーソングライターとなったのか?ここからは、aikoさんの”そもそもの話”をたっぷりと伺うことに。
もともとアーティストになりたくて、高校時代はバンドをやっていたaikoさん。卒業する時に、後輩に「デビューしたらCD買います!」と声をかけられたそうで、この時初めて”デビューせな!”と思ったとか。
これがきっかけで初めてオーディションを受けたaikoさん。「ティーンズミュージックフェスティバル」というこのオーディションで、aikoさんは近畿大会で優勝できなかったものの、敗者復活戦をのし上がり、東京・渋谷公会堂で行われる全国大会に進むことができました。このステージには椎名林檎さんも出ており、当時はカバーを歌っていたとか。

◆ラジオDJ◆
デビュー前にはラジオDJもされていたaikoさん。そのきっかけは、「ティーンズミュージックフェスティバル」のオーディション会場にラジオ局の関係者がおり、少し話をしたことだったとか。
その後、半年程経ってから「ラジオ局に遊びに来ない?」と呼ばれて行ったところ、その場でオーディションが始まったそう。オリジナル・ラブの楽曲のイントロにのせて曲紹介をしてみてと言われてやってみたところ、次の日に番組が決まったのだとか。
こうして始まったaikoさんの番組は深夜2時~朝5時の音楽チャート番組。スタジオにはaikoさんのほかにディレクター、ミキサーの合計3人だけ。なかなか放送が思うようにいかないこともあったそうですが、それでも4~5年ほど、深夜のラジオDJを務めあげました。

◆デビュー◆
1998年にメジャーデビューを果たしたaikoさん。そこに至るまでの”そもそもの話”もたっぷりと。
もともとインディーズでCDを出していたところに、当時の事務所の方から「映画の主題歌を歌ってくれる人を探している」というお話が舞い込んできたそう。そのお話に乗っかってレコーディングしたところ、レコーディングスタジオで「これがデビューです」と言われ、デビューが決まっていたのだとか。
しかし、この時は”ワンショット契約”と呼ばれる、1枚きりの関係だったそう。ただ、大阪のラジオ局でパワープレイされたこともあり、売り上げで結果を出すことができ、契約が延長されたのだとか。
2枚目のシングル「ナキ・ムシ」を経て、3枚目を出す際、レインボーブリッジでレコード会社の担当者に「CDって3枚目が勝負なんだよね。」と言われたことを今でも覚えているといいます。この3枚目のシングルこそ、今も愛される名曲「花火」でした。大阪の夏の風物詩・淀川の花火大会に行けなかったことがきっかけで生まれたこの曲は大ヒットを記録!この曲がaikoさんの人生を大きく変えていきました。

◆KANさん◆
aikoさんが中学生の頃から大きく影響を受けたアーティストこそ、KANさん。
KANさんについて、aikoさんは「すっごいヘンな人」と話します。KANさんのペースにのまれると、全て見透かされているんじゃないか…というような、尊い存在でありながら、ダジャレが大好きなおちゃめな一面もあるのだとか。
ライブの演出にもとことんこだわっているKANさん。aikoさんもKANさんのライブを観るたびに、”自分もライブ中にお客さんが我に返る瞬間を1つでも無くす!”と決意していたそう。
そんなKANさんは先日、天国へと旅立たれましたが、aikoさんにとっては「今もいろんなサプライズをみんなに残している感じ」と、大好きなKANさんへの想いを話してくださいました。

◆人生に影響を与えた3曲◆
aikoさんの「人生に影響を与えた3曲」は、全てaikoさんの楽曲!「花火」「カブトムシ」「メロンソーダ」を選んでくださいました。
「花火」に続く4枚目のシングルとしてリリースされた「カブトムシ」は、10曲ほどの候補の中からスタッフによって選ばれたそう。当時、aikoさんはこの曲が選ばれた理由がよくわかっていなかったそうですが、この曲は多くの人に愛される恋愛ソングとして、今も歌い継がれる代表曲に。「過去の自分に感謝したい」と、この曲への想いを話してくれました。
「メロンソーダ」は、ラジオ局のキャンペーンソングとして書き下ろされた楽曲。1年間をかけて、少しずつ積み上げて作っていったそうで、Official髭男dismの藤原聡さんやマカロニえんぴつのはっとりさんなど、豪華なメンバーによってレコーディングされました。ライブでこの曲を歌うと、観客のみんなが笑顔になるそうで、その光景を見て”大事な曲書けたなあ”と感じるのだとか。

◆星の降る日に◆
aikoさんは、11月22日に44枚目のシングル『星の降る日に』をリリースされました!
そして、約5年ぶりのアリーナツアーも開催!
日程や会場など、詳しくはaikoさんのオフィシャルウェブサイトをチェック!

◆餃子の羽根とたくあん◆
最後に、川島さんは「aikoさんにとってアーティストとは?」と質問。するとaikoさんは考え込み、答えに悩んでいるご様子。
aikoさんは逆に「川島さんにとってお笑いとは?」と質問。川島さんは「餃子の羽根」と回答。”無くてもいいけど、あった方がいい”という理由からだそう。
これを受けて、aikoさんは「たくあん」と回答。「有事の際、音楽って何が救えるんだろう…?」と落ち込んだことがあったそうですが、それでも”みんなのそばにある、お漬物になれたら”という想いからのお答えでした。

♪オンエア・リスト♪
M1. ボーイフレンド / aiko
M2. アイツを振り向かせる方法 / aiko
M3. ラジオ / aiko
M4. 花火 / aiko
M5. 今度君に会ったら / KAN
M6. メロンソーダ / aiko
M7. 星の降る日に / aiko

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06 Jan 2024

【#10】ゲストはさらば青春の光 東ブクロさん!【2023.12.9 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月9日放送のゲストは、さらば青春の光 東ブクロさん!
川島さんいわく”人間性”が焦点になる55分!?
なかなか聴けない…かもしれない、東ブクロさんの”そもそも”を深掘りしていきました。

◆個人事務所 ザ・森東◆
現在、個人事務所「ザ・森東」に所属して活動されているさらば青春の光。設立10周年を迎えたこの事務所は、社長の森田さんとマネージャーが毎年会議を開いてその年の給料を決めるシステム。東ブクロさんはその会議には参加せず、後から”この金額に決まったよ”と知らさられるのだそう。
そのため、東ブクロさんは”働いても遊んでも、毎月決まった金額が入ってくる”という状況に。ゆえに「だからサボるでしょ!?」と話す東ブクロさん、一時期は”週5ゴルフ、週2仕事”という状況だったそうで…もはや自らの職業はゴルファーだとも冗談交じりに話していました…!

◆コンビのそもそも◆
そもそも、同志社大学在学中にお笑い芸人としての活動を始めた東ブクロさん。松竹芸能のタレント養成所に入ってからは、ピン芸人「ちらしずし半人前」として活動していました。
ピン芸人としてなかなか上手くいかず相方を探して、6年先輩の”偽デッカチャン”のような雰囲気の芸人と一度コンビを結成。ただ、その3日後に森田さんが当時組んでいたコンビを解散。かねてから森田さんとコンビを組みたいと思っていた東ブクロさんは、先輩の”偽デッカチャン”に正直に事情を告白。その先輩芸人の方から了承を得ることができたため、森田さんにコンビ結成のオファーをかけたそう。
しかし、なかなかオファーを受けてくれない森田さん…。それでも、粘り強く交渉を続け、なんとかコンビを組むことができたのだとか!ちなみに、初舞台はキングオブコント第1回の1回戦のステージだったとか。

◆元相方・カズレーザー◆
さらば青春の光を組む前の、大学時代のエピソードについて伺うと…”カズレーザーさんと一時期コンビを組んでいた”というお話が!
元々は別々のコンビで活動していたのですが、カズレーザーさんの方から誘う形でコンビを結成。サークル内では”スベり知らず”の最強コンビで、サークル内のライブでは2年程毎回1位だったとか。その勢いのまま、いくつかのお笑い事務所のオーディションを受けるも、なかなか思うような結果が出ず…”東ブクロさんの方からカズレーザーさんを振る”という形でコンビを解消したのだと言います。

◆上京、そして…◆
さらば青春の光は2012年、『キングオブコント』で準優勝!しかし翌年、所属していた事務所を離れることに。川島さんも当時、お笑い界には衝撃が走ったと言いますが、この真相についても伺います。
大阪時代から、”東京に出るなら事務所を変えても良いのでは…?”と話していた森田さん。キングオブコント準優勝を機に、”東京支出しよう。事務所も出よう。”とより一層言うようになり、事務所を離れて東京進出しました。
ただ、しばらくしてから東ブクロさんは人づてにこの背景にあった”とある理由”を耳にしました。それは、”森田さんの当時の彼女が東京への転勤が決まり、森田さんもついて行きたかったために、事務所を離れ東京に出てきた”というもの。当然、東ブクロさんとしては”どういうことや!?”となったのですが、その直後に東ブクロさんが起こした”2クリックくらいで出てくるとあるスキャンダル”が明るみに。結局、コンビ間のパワーバランスは変わらなかったのだそう。

◆芸名◆
番組の事前アンケートで、”キャリアにおける大きな出来事”として「2017年に改名したこと」を挙げた東ブクロさん。
もともと本名の「東口宜隆」を名乗っていましたが、ある時出演したバラエティ番組の生放送で、占い師に「画数が芸能人としては最悪。改名した方が良い。」と言われ、その場で改名する流れに。その占い師の方がその時にフクロウの指輪をつけていたことから「東フクロウ」という案が上がったものの、画数が悪いために却下。ならば「東ブクロ」はどうか?となったところ、「画数が最高」との診断が!最終的には視聴者投票で「東ブクロ」に決まり、実際に改名しました。
ちなみに、この一連のエピソードを話す際、誰の番組なのか話しても大体どの番組でもカットされていたそうなのですが、最近はよく使われるようになったと話す東ブクロさん。実はこの番組、FUJIWARAの藤本さんが出演していた『フジモンが芸能界から干される前にやりたい10のこと』というタイトルだったそう…。

◆これから◆
タレントとしての今後については「なるようにしかならない」と考えているという東ブクロさん。
冒頭で”本当の職業はプロゴルファー”というお話がありましたが、もちろん実際には難しい道。
タレントとして、「やれと言われたこともやるし、番組やらせていただけるのならやらせていただく」と力強くお話しいただきました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 夜明けのBEAT / フジファブリック
M2. 嗚呼、青春の日々 / ゆず
M3. 遠く遠く / 槇原敬之
M4. 全部だきしめて / KinKi Kids

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17 Dec 2023

【#9】ゲストは蛍原徹さん!【2023.12.2 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

12月2日放送のゲストは、蛍原徹さん!
川島さんにとっては、お笑い芸人になる前から憧れていた存在。
そのルーツをたどっていきますが、ついついお二人が大好きな競馬の話題に!?

◆競馬◆
蛍原さんも川島さんも大の競馬好き!収録で一緒になると、楽屋では競馬の話しかしてないそう。
また、最近はプライベートでも一緒に競馬場に行ったそうですが、蛍原さんはメインレースの11Rが始まる直前に帰ってしまったとか。その理由を聞くと、「ちょっと子供と約束があって…」とのこと。「そんな直前まで打ちなさんな!」と話す川島さんでした。

◆幼少期◆
幼少期に漫才ブームを経験し、漫才師に憧れはずっと抱いていたという蛍原さん。高校卒業後、しばらくして”ちょっと真剣に何かに取り組みたい”と思った時に「漫才」を選び、NSCに入ったそう。
ここで、川島さんから「蛍原さんは(幼少期に)何の文化も通ってきてない!」という話が。すると、蛍原さんは「小学校の時に野球にハマって、とことん、それしか見えなくなった。」と言います。当時の蛍原少年は阪急ブレーブスの福本豊選手に憧れていたそうですが、憧れが強すぎるあまり、福本選手の背番号「7」が好きになり、「7」と書いた紙を壁に貼る…という奇行に走っていたのだとか…。

◆コンビ結成◆
NSC卒業後、雨上がり決死隊を結成!そのきっかけについてもたっぷりとお話を。
あるとき、心斎橋筋2丁目劇場でオーディションが行われることになり、蛍原さん、宮迫さんと同じアルバイトをしていた他の芸人に「一緒にやってみたら?」と薦められたことで、”ほんなら1回やってみよか”という雰囲気でコンビを組んでオーディションを受けたそう。蛍原さんいわく、そのオーディションに受かったためにコンビとしての活動が続いていったものの、もし落ちていたら、雨上がり決死隊のコンビ活動は続いていなかったかもしれないと言います。

◆明石家さんまさん◆
蛍原さんが若手時代に影響を受けた人物として挙げたのが、明石家さんまさん!初めてさんまさんを見たときの印象について、「光が何にもないのに、輝いて見えた」と話します。
今でも毎週のようにさんまさんとお会いする機会がある蛍原さんですが、未だにさんまさんとの共演は慣れないそう。これには川島さんも共感しているご様子で、「仕事が終わった後、こっちが元気になっている」「ちょっと仕事でしんどい時、さんまさんと一緒に仕事しようとしている」のだとか。まさに”パワースポット”のような、さんまさんの不思議な魅力について語り合うお二人でした。

◆京都発!吉本決死隊◆
1991年、雨上がり決死隊は当時の若手芸人を中心に結成されたユニット「吉本印天然素材」に参加。一大ムーブメントを巻き起こしますが、一旦落ち着いた後、今度は千原兄弟やジャリズムを中心とする”2丁目劇場ブーム”が到来。雨上がり決死隊をはじめとする天然素材のメンバーにとってはつらい時期が続きます。蛍原さんも「東京に行って、やってみてアカンかったらやめようか。」と当時の心境を振り返ります。
その時期に雨上がり決死隊とバッファロー吾郎の2組が京都で放送していたラジオ番組『京都発!吉本決死隊』は、川島さんもヘビーリスナーの一人でした。川島さんいわく、みなさん顔色がおかしい中で放送していたそうで…なかなかにカオスな放送が常に繰り広げられていたとか。番組内でムチャクチャな仕打ちを受けたバッファロー吾郎Aさんの一言があまりにも面白くて感動し、川島さんはお笑いの世界を目指したというお話も飛び出しました。

◆アメトーーク!◆
2003年4月にレギュラー放送がスタートしたテレビ朝日『アメトーーク!』は、現在も続く大人気番組!蛍原さんからは、番組が始まる”そもそも”のきっかけについて、意外な裏話が飛び出しました。
ある時、飲み屋さんで蛍原さん、宮迫さん、テレビ朝日の加地倫三プロデューサーが偶然それぞれ別々の席で飲んでいたことがあったそう。宮迫さんと加地さんが遭遇した際、何気なく「何かトーク番組でもやりたいですね」といった会話をしており、それを聞いたマネージャーが加地さんのもとに「やってくださいよ!?」と念押しの電話をしたことで、お試しの単発特番に繋がったのだとか!
当初は今のような「○○芸人」といったくくりもなく、ゲストを呼んで深掘りするトークバラエティーだったそう。蛍原さんいわく”くくりトーク”が生まれるきっかけとなったのは、『メガネ芸人』(2004年6月14日OA)の回。収録は大盛り上がりしたものの、この回の視聴率はあまり良くなかったのだとか。ただ、加地プロデューサーの”いや、これは面白いからもうちょっとやってみよう”という考えもあり、このスタイルを継続。今ではすっかり定着しました。
様々な企画がある中で、川島さんが印象的なのは”食シリーズ”。『あぶら揚げ芸人』(2008年8月21日OA)は、もともとは収録後の食事会でバッファロー吾郎Aさんがギャグのつもりで発したアイデアだったそうですが、深夜の食事会のテンションで”めっちゃ面白いやん!”となり、実際に放送まで漕ぎつけたのだとか…!
また、名物企画『運動神経悪い芸人』は川島さんもすっかりレギュラーメンバーとなっておりますが、実は1期生ではないのだとか!第1回の放送には呼ばれておらず、テレビの前でびくびくしていたそう。すると、第2回の収録に呼び出され、それが今に至るまで15年ほど続いているのだとか。今年の年末スペシャルでも『運動神経悪い芸人』の放送が予定されていますが、今年も川島さん、収録に呼び出されたそうです。どんな姿が見られるのでしょうか…!?

◆これから◆
最後に、蛍原さんのお笑い芸人としての今後の夢・目標について伺うと、蛍原さんからは衝撃のお答えが!
お笑い芸人としてのデビュー当時と今とでは夢や目標が変わってくると話す蛍原さんですが…今時点でのこれからについては「平日ゴルフ、土日競馬、でいいでしょう!」とキッパリ断言!「ほんとにそう思ってるんでね。」と、嘘偽りのない正直な想いをお話しいただきました。

♪オンエア・リスト♪
M1. 雨上がりの夜空に / RCサクセション

M2. 競馬場で会いましょう / 忌野清志郎
M3. ジョイササイズ / ジョイマン
M4. 千の風になって / 秋川雅史
M5. Good Bye Natuilus/さよならノーチラス号 / スクーデリア エレクトロ
M6. 北の国から 遥かなる大地より~螢のテーマ / さだまさし

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27 Nov 2023

【#8】ゲストはタカアンドトシのトシさん!【2023.11.25 OA】

「なぜこの世界に?」「有名になったきっかけは?」などなど…誰でも知ってるあの人の意外と知らない“そもそもの話”を、麒麟・川島明が紐解いていくラジオ番組『川島明 そもそもの話』!

11月25日放送のゲストは、タカアンドトシトシさん!
川島さんにとっては”昔からお世話になっている兄貴”のような存在!
そんなトシさんの”そもそもの話”をたっぷりと伺いました。

◆タカさん◆
今回はトシさんおひとりでのご出演ですが、相方のタカさんは”コンビでないと出演したくない”と考えているとか。
そのきっかけは、川島さんも出演していたテレビ朝日『アメトーーク!』の『おばあちゃん子芸人』でのこと。タカさんピンでの出演オファーがあり、当時のマネージャーの後押しもあって意気揚々と出演したタカさんですが、一人では本領を発揮できず…収録後、楽屋で落ち込むタカさんに、マネージャーもどう言葉をかけていいかわからなくなってしまい、元気づける言葉をかけるべきところ、「すみませんでした。」と謝ってしまったのだとか。

◆学生時代◆
そもそも、タカアンドトシのお二人は中学の同級生。
もともとタカさんは学校の人気者。中学2年でトシさんが転校してきた当時、タカさんはすでにトシさんとは他の同級生と「アンバランス」というコンビを組み、文化祭でショートコントを披露して大爆笑をかっさらっていたとか。
ただ、そのアンバランスもほどなくして解散。タカさんが相方を探していた中、プロレスの話を立て板に水のように話しているトシさんを見つけ、コンビに誘ったそう。タカさんはコンビを組んだ翌日から毎日トシさんの家まで迎えに来るようになり、別々の高校に進学してからも週末はどちらかの家でネタ合わせをするように。漫才ごっこをしてその様子をカメラで撮影し、その映像をテレビで見てはしゃいでいたと言います。
そんな中、高校3年生の時に吉本興業が札幌事務所を設立。当時放送されていたオーディション番組にはタカアンドトシも出場し、カメラで撮影していた”漫才ごっこ”の際にやっていたネタを披露したところ、会場は爆笑の渦に包まれたとか。にもかかわらず、3人の審査員による審査結果は、全員が不合格という結果に…。本番終了後には審査員の大平サブロー師匠には「結果はああなったけど、(タカアンドトシが)一番おもろい」とフォローの言葉をかけられたそうですが、”じゃあなんで不合格なんですか!?”と納得いかない部分があったとか。ただ、昨年サブロー師匠が”お笑いの終活”をしている中で、このことについて向こうから直々に謝って来てくれたともお話しくださいました。

◆デビュー、そして暗黒期へ◆
このオーディション番組での活躍により、高校卒業とともに札幌吉本の所属となったタカアンドトシ。コンビの活動は華々しいスタートを切ったものの、7年間の札幌時代の後半は”暗黒期”だったと言います。
ある時、吉本興業内で、全国各地からコンビを集めてユニットを作ることになり、札幌からはタカアンドトシと後輩の「アップダウン」というコンビが東京の劇場に向かい、オーディションを受けることになりました。当然、本命はタカアンドトシだったのですが、アップダウンがまさかの大ウケ。その空気に飲まれてしまったタカアンドトシは本領を発揮できず、結局そのユニットにはアップダウンが選ばれました。
トシさん曰く、この日を境にタカさんは”ダークサイド”へと堕ちてしまったと言います。コンビの仕事も減っていき、2ヶ月に1度の単独ライブくらいしか仕事が無いような状況に。そんな中で、2002年にタカアンドトシは上京を決意しました。
上京後もしばらくの間、お仕事の状況はあまり変わりませんでしたが、そんな中でトシさんが”唯一の希望”と話すのがNHK『爆笑オンエアバトル』!
『オンバト』では、札幌時代から毎回ギリギリの順位で受かり続け、なんとかオンエアを獲得し続けていたタカアンドトシ。1回でも落ちてしまうと、なかなか呼ばれなくなってしまう状況下で、何とか結果を出し続けることができたのは救いだったと話すトシさん。「アレ無かったら終わってた」とも話すほど、『オンバト』への思い入れは強いご様子でした。

◆M-1グランプリ◆
2004年、『M-1グランプリ』の決勝にラストイヤーで進出!この年の『M-1』では麒麟も敗者復活戦に残っていましたが、見事敗者復活戦を勝ち上がり、本戦に出場していました。そのことについて、どうやらトシさんが川島さんに言いたいことがあるようで…。
麒麟がネタを披露する前、タカアンドトシの順位は3位でした。しかし、敗者復活戦から勝ち上がった麒麟が見事ウケて、タカアンドトシの得点を上回り…その結果、麒麟が3位、タカアンドトシが4位という順位に。このことについて、トシさんは「(麒麟が)まくりやがったな!忘れんぞ!」と、今も若干根に持っている(?)ご様子。川島さんも「そこからですよね、気まずいのは。」と釈明して(?)いました。

◆欧米か!◆
その後、タカアンドトシは「欧米か!」のフレーズで大ブレイク!
実は、もし2004年の『M-1グランプリ』で最終決戦に残っていたら、「欧米か!」のもととなった「大人か!」とツッコむネタを披露する予定だったそうですが…麒麟がまくったために披露できず。結局、翌年の単独ライブで「欧米か!」とツッコむネタが初めて生まれました。「欧米」というお笑いではあまり聞かないフレーズを使ったツッコミは単独ライブの観客に大ウケ!そこから膨らませて、やがて「欧米か!」だけで一本のネタになっていったのだそう。

◆結成30周年◆
ついに今年、タカアンドトシは結成30周年を迎えました。
それを記念したイベントが、来年開催されます。

「タカアンドトシ結成30周年興行 道産子お笑いフェス福岡」
福岡県飯塚市の飯塚市文化会館 イイヅカコスモスコモン 大ホールで
2024年1月14日(日)に開催!

タカアンドトシの他、錦鯉、平成ノブシコブシ、とにかく明るい安村さん、EXIT、オズワルドといった北海道ゆかりのお笑い芸人たちが集結するほか、タカアンドトシゆかりの初恋タローさん、イチキップリンさんもご出演!
詳しくは、こちらから!

◆これから◆
最後に、トシさんの今後についてお話を伺いました。
現在、NGKの舞台にも立っているタカアンドトシ。トシさんの口からは「いつかはトリをやれるように…」という言葉が。”どうせ吉本にいるなら、吉本の看板になりたい!”と、その胸の内を語ってくださいました。これからも、漫才の舞台に立ち続けるであろうタカアンドトシ。今後もご活躍が楽しみですね!

♪オンエア・リスト♪

M1 Winter, again / GLAY
M2 新宝島 / サカナクション
M3 田園 / 玉置浩二
M4 君に幸あれ / タオルズ
M5 Sign / Mr.Children
M6 大空と大地の中で / 松山千春

「川島明 そもそもの話」11/25の放送を
radikoタイムフリーで聴くにはこちらから!

次回12/2の「川島明 そもそもの話」は、ゲストに蛍原徹さんが登場!
放送をお楽しみに!

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