- 今月の旅人
- アーサー・ビナード(詩人、翻訳家)
アメリカ合州国ミシガン州生まれのアメリカ人で、現在は広島に暮らし、日本語(そして英語)で詩を書く詩人、アーサー・ビナードさんが、自身が暮らす街、広島を旅します。ヒロシマと広島のあいだをいつも行き来しているアーサーさんと歩く広島の街。広電に乗って、自転車に乗って、アーサーさんは、第二の故郷ヒロシマを旅していきます。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
アメリカ合州国ミシガン州生まれのアメリカ人で、現在は広島に暮らし、日本語(そして英語)で詩を書く詩人、アーサー・ビナードさんが、自身が暮らす街、広島を旅します。ヒロシマと広島のあいだをいつも行き来しているアーサーさんと歩く広島の街。広電に乗って、自転車に乗って、アーサーさんは、第二の故郷ヒロシマを旅していきます。
ここは、「READAN DEAT(リーダンディート)」。原爆ドームからすぐ。相生橋を渡ったところの古い雑居ビルの2階にあります。
「READAN DEAT」
「Read=読む」。
つまり、本屋さんであり・・・
器や皿、カップ、テーブルウエアと、その周辺の日常の雑貨類もあります。「皿や器=Eat」つまり「食べること」。
「READAN DEAT」とは、「Read and Eat」、「読むことと、食べること」の店。ここは、書店であり、器を扱うライフスタイル・ショップでもあります。とても、とても素敵な店。やって来ると、しばらく時間を忘れてあれこれ見入ってしまいます。セレクトされたCDもあります。
けっして広くない店内の一画が、ギャラリー・スペースになっていて、ここでは定期的に展覧会を開催しています。
店主の清政光博(せいまさ・みつひろ)さんと言葉を交わす、アーサー・ビナードさん。もちろん、この店ができてすぐの頃から、アーサーさんのここは広島での大のお気に入りの店。「READAN DEAT」で取り扱っている本は、新刊書と古書の両方。新刊はリトルプレス、いわゆるインディペンデントな出版社の本やZINEのような自費出版物を中心に。古書はアートやデザイン、写真、食や暮らしにまつわる本たち。清政さんがきちんとセレクトして並べた本棚。すべてにおいて、きちんと編集されています。器がたくさん並ぶのは、「自分が器好きで……」と笑う、清政さん。
ZINEもたくさん並びます。数年前、30歳になった清政光博さんは、東京でまったく異なる仕事をしながら、思い悩んでいたそうです。「新しいことに挑戦するなら今だ、でもいったい何をするべきなのか?」……何かを始めたい、でもその「何か」がクリアにならない。誰しも思い当たる経験です。その年は、3/11東日本大震災、そして東京電力福島原発の大爆発事故もありました。そんな折、広島に住んでいた頃大好きで通っていた書店が「閉店する」という記事を清政さんは見かけたそうです。故郷の文化的な場所が減っていくことへの怒りのような悶々とした感情がわき起こり、その感情はやがて、「じゃあ、自分で新しい場所を創ろうじゃないか」という衝動へ。それから間もなく、清政さんは東京の書店で「本屋を営むための修行」として働き始めます。そして修行と研鑽を積み、故郷へと戻り、この店を開いた、というわけです。
いつも、本やノートをはじめ、いろんなモノがたっぷり入って、超重たいアーサーさんのバックパック。そのバッグが、どうやらこの店を出る頃には、さらに重たくなっていそうです。ブック・ハンティングに夢中の、アーサーさんです。
アーサー・ビナードさんの、(今では)故郷であるヒロシマを巡る短い旅。この旅の最後の場所へやって来ました。
店主自らが、20年近いフランス暮らしで見つけ、集めたアンティークを中心に、骨董や、新しいものまで、皿や器、置物、ジュエリー……
そして、同じようにこだわってセレクトされた衣服が並びます。香りのものも売られていて、店内に入ると、ふわっと、心地よい香りが漂っていて、身体と心を弛緩させてくれるよう。
鈴木良さんと、奥さまの沖真美さん、お2人が営む店、「cite’」。シテ、とはフランス語で、「街」のような意味。shop & gallery「cite’」のホームページにはこう書かれています。「市内の喧噪をはなれ、古くは街道として栄えた京橋通りの交差点にお店を構えています。常設では暮らしや生活にまつわる美しいものを、企画展では様々な分野の素晴らしい作り手や活動をご紹介しています。国や時代を問わず、心や感覚を豊かにしてくれる物や活動を集め、お伝えします」。鈴木さんと沖さんは、写真家としても活動しています。
ああ、広島にも、こんな場所・空間があったのか。ニューヨークやパリ、ロンドン、バルセロナなどからやって来た異国の旅人が、そんなふうに感銘を受けるかもしれません。東京を軽々と飛び越えて、時代も時間も気にせずに、「世界」や「人々」と繋がる空間が、ここにはあります。そう、ここは、ユニバーサルな場所。地球の街。
「cite’」
店に入った瞬間に、どこかの森のような香りに気づき、「うわぁ、いい香り!」と呟いたアーサーさん。置かれている物、衣服に強い興味を感じ、ひとつずつ見ていきました。
店主の鈴木さんが(きっと)「一緒に暮らしたい、一緒にありたい」と思うモノたちが、ここにはあるに違いありません。
旅が、そろそろ終わろうとしています……
旅の最後に、アーサーさん、詩を一篇、書いてくれました。今回の短い「ヒロシマを巡る旅」を経ての、詩です。
[水に流せない]アーサー・ビナード
わが家から原爆ドームまで徒歩百秒くらい、
全力疾走なら一分を切る。
けれど今晩は熱帯夜、
ゆっくり歩いて手前の相生橋の上に
立ち止まり、川風にしばらく吹かれる。
石の欄干にさわると、ぼくの体温とほぼ同じ余熱。
汐がだいぶ引いているので、ドームの前の川底の
石たちが黒々した頭を出している。
気づくと上流からペットボトルが一本流れてきて、
また木の板もすいすいすぎて遠ざかり、それから
回りながらマシュマロみたいな発泡スチロールの塊も……
どんどん海へ進むので、もう二度と合えないと思ったら
そうとはかぎらない。
間もなく引き汐から
満ち汐にきりかわる。
おっつけ川の方向もかわり
海からこっちへ流れてくる。
流したつもりのものたちが
またどんぶらと現れる、
今晩の発泡スチロールも
八月六日の夜の灯篭も
あの八月六日につぎつぎと川へ入った人びとも。
引いたあと満ちてくるので、去っても戻れる。
消されたことを幾度となく
川がここまで運んでくれる。
広島にもし記憶が残っているとしたら
それは汐がもたらしたのだ。
橋の上で
待つと
くる。
1967年アメリカ合州国ミシガン州生まれ。ハイスクール時代から詩を書き始める。ニューヨーク州コルゲート大学英米文学部を卒業。1990年に来日後、日本語での詩作を開始。2001年、第一詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞受賞。『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞、詩集『左右の安全』(集英社)で山本健吉文学賞、『さがしています』(童心社)で講談社出版文化賞絵本賞を受賞。『ゴミの日』(理論社)、『くうきのかお』(福音館書店)、『日々の非常口』(新潮文庫)、『空からきた魚』(集英社文庫)など、著書や翻訳書は多数。