- 今月の旅人
- 平野啓一郎(小説家)
小説家の平野啓一郎さんが瀬戸内を旅します。旅の舞台は、兵庫県、淡路島。島で生まれ育った人、外から移住してきた人、島にルーツのある人……。いろんな人たちが交差して、淡路島で生まれているいろいろなこと、そして、様々な場所。平野啓一郎さんが、「今、淡路島に生きる人たち」のライフ・ストーリーに耳を傾けます。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
小説家の平野啓一郎さんが瀬戸内を旅します。旅の舞台は、兵庫県、淡路島。島で生まれ育った人、外から移住してきた人、島にルーツのある人……。いろんな人たちが交差して、淡路島で生まれているいろいろなこと、そして、様々な場所。平野啓一郎さんが、「今、淡路島に生きる人たち」のライフ・ストーリーに耳を傾けます。
平野啓一郎さんがやって来たのは、古い倉庫のような場所。
田んぼと畑、森が広がるのどかな場所の小径沿いに、この場所はあります。
ここは、淡路島生まれ、育ちの建築家、平松克啓さんが営む「ヒラマツグミ」の拠点。平松さんが兄弟で仕事をする建築事務所と、ギャラリー、ショップ、カフェからなる複合施設。かつてここは牛舎だったと言います。古びた倉庫のような佇まいですが、中へ入ると世界はがらり、一変します。
売られているのは、淡路島を拠点に活動するアーティスト、作家、クラフトマンたちが手がけたものを中心とした、皿やインテリア雑貨、アクセサリー、飾り物などなど多彩。すべて「暮らし」に関係したもの、つまりライフスタイルに寄り添ったものたちです。「どれも、自分が好きなもの、近くにあって欲しいと思うもの、自分自身が手がける家や空間に置きたい、あって欲しいと感じるものです」と平松さんは語りました。
こちらは、カフェ・スペース。平野さんはここでランチをいただきました。予約制のランチはその日のコースでいただきます。島の旬の食材を使った、そのときの旬のお皿が順番に供されます。
島のズッキーニ、大根、ミント、ブルーベリー、オリーブオイルをかけて。フレッシュな、初夏の味わい。
甘くて滋味深い淡路島の新玉ねぎを使ったスープ。平野さんは今回の旅のあいだ、幾度となく島の玉ねぎを食べました。煮たり、茹でたり、揚げたり、カレーの下ごしらえに使われていたり。いろんな形でいただきましたが、どの玉ねぎも驚くほどの美味しさでした。滋養たっぷりの、淡路島の野菜、果物、魚、肉。地産地消と自給自足が持続可能な島なのです。
そして、この日のメイン・プレートは、鰆(さわら)。
ショップやギャラリー、カフェのある空間から、引き戸になった壁を隔てた向こう側に、平松さん兄弟が仕事をする建築事務所がありました。
1980年代生まれの若き建築家、
淡路島を拠点に活躍する、平松克啓さん。
「ヒラマツグミ」
ヒラマツグミの皆さん、ありがとうございました!
「ノマド村」で始まった平野啓一郎さんの淡路島を巡る旅。2泊3日の旅でしたが、様々な人たちに出逢い、いろんな言葉を交わしました。出逢った皆さんそれぞれが、自分の想いを胸に、信念と志を抱き、「オンリーワン」なモノづくりにチャレンジしている人たちでした。出逢った皆さん全員が、この島を愛し、この島に根を下ろし、この島に夢を抱いていました。そして誰もが、この島で生まれ育ついろんなもの(作物から樹木、人まで)に魅入られている人たちでした。人々を通して平野さんは「淡路島」という土地と出逢いました。淡路島に触れ、淡路島を感じた旅になりました。島からの帰り道、橋を渡りながら、対岸に神戸の街を望みながら、背後に過ぎ去っていく島のことを平野さんは考えました……
好きな人生「も」生きる
平野啓一郎
「自分らしく」生きるというのは、美しいけれども、ある意味では呪詛のような言葉である。
その「自分らしく」とは何かを考え、しばしば人は深刻に思い悩んでしまうし、現状に耐えられなくなってしまう。
けれども、一度しかない人生を、他の誰とも違って「自分らしく」、したいことをして生きるというのは、勿論、理想的だろう。
淡路島には、過去にも訪れたことがあった。その時は、徳島から足を伸ばしたのだったが、東京から新大阪まで新幹線で移動し、車で明石海峡大橋を渡った今回は、少し印象が違った。神戸や大阪といった都市との、簡単に行き来できるほどの近さを改めて実感したからだった。
そして、淡路島で出会った人たちは、それほど大都市から遠く離れているわけではない場所で、大都市にいるのとはまるで違った生活を楽しんでいた。
彼らは、いかにも「自分らしく」生きている感じがした。けれども、その「自分らしさ」と自分の全体とが過不足なくピッタリ合致しているのではなく、他にも色々なことをしながら、「自分らしくも」生きているのである。彼らは実にしなやかに分人化して、ただその最も好きな仕事が、自分の人生の中で最大化するように、上手に工夫していた。
どうしてそんなことが出来るのだろうか? それは、淡路島という土地のせいだろうか、と移動中、僕はずっと考えていた。
彼らの何人かは、実際にそうだと言った。
短い滞在だったが、忘れがたい印象が残った。
1975年愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒業。1999年大学在学中に文芸誌『新潮』に投稿した『日蝕』による第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表、各国で翻訳紹介されている。2004年、文化庁「文化交流使」として1年間パリに滞在。2008年より三島由紀夫文学賞選考委員。
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