- 今月の旅人
- 長塚圭史(劇作家、演出家、俳優)
長塚圭史さんが、広島県の瀬戸内海サイドを旅します。造船と基地の街・呉から、古き町並みが残る酒蔵の街・竹原へ。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
長塚圭史さんが、広島県の瀬戸内海サイドを旅します。造船と基地の街・呉から、古き町並みが残る酒蔵の街・竹原へ。
今週の「NAGOMI Setouchi」WEBサイトは、
「長塚圭史さん=文」による「特別編」でお送りします。
「ひどい雨だね」
「雨ですね。このNagomiで雨なんてことは大変珍しいことですよ」
「ああ、それはそうですか」
「はい、それはそうですね。確か出発の前に、僕は晴れ男なのできっと晴れるでしょうというようなことを仰っていませんでしたか」
「や、それはあんまりだ」
「あんまりですか」
「あんまりですとも。こうしてすこぶる雨の日に、晴れ男に残念ですね、というようなことは、それはあんまりでしょう」
「あんまりですか」
「せめて雨男と」
「雨男ですね」
「そう、雨男ですね、まさしく」
「しかし雨で港が霞んで」
「灰色ベールに包まれて」
「この世のものともおもえませんね」
「戦艦大和が見えますか」
「戦艦大和が見えますね」
「それは悲しいばかりではないのかもしれません。悲しいと片付けてしまえば、ああして甲板で命をかけている方々にあんまりというものでしょう」
「明るい日本を思っていましたかね」
「明るい日本を思っていたかもしれません」
「あれ、ラッパが」
「日暮れどきに呉の港に響くラッパを鳴らしているのは、現在の自衛官の皆さんですね」
「ええ。毎日の営みなのですね」
「や、大和は霞に去ってゆきましたか」
「去ってゆきました、去ってゆきました」
「暮れても呉の雨は止んでくれませんね」
「こうして雨男が歩いていますのでね」
「利根で酒でも飲みましょう」
「呉に利根とね」
「戦艦利根ではありません」
「利根のいずれが呉に流れ着きましたか」
「あのお母さんはかつてここで働いていましたとね」
「店を開いたのではなく」
「そうではなく、戦後、ここでアルバイトをしていたとね」
「それで主人が故郷へ帰ると」
「馴染もあるのでいっそ継ごうと」
「広島から呉に疎開して幸か不幸か生き抜いて」
「それからこうして店を切り盛りして、まさか平成のそのまた先まで跨いでゆくことになろうとは」
「立派なものだなあ」
「雨は止みませんね」
「雨はもう止みませんよ」
「あそこの屋台でしのぎましょうか」
「呉に屋台がありますか」
「呉は屋台が醍醐味なのです」
「や、鉄板ですか」
「広島ですもの」
「お好み焼きますか」
「お好み焼きますとも」
「どこの屋台もお好み焼きますか」
「お好み焼くのはこの屋台ばかりです」
「およそ代々焼いてきたのでしょうな」
「いいえ、流れ流れて焼いているそうです」
「しかし足跡とあるゆえ長い歴史の足跡と」
「いえいえ現在ここでこうして美味しく喋って飲み食いして」
「そうしてこの店に足跡を残してゆくと」
「残した足跡にまた思いを馳せるような」
「そうです雨男」
「呉に残した足跡を思い残しておいてくれとね」
「利根もよかった」
「しかし止みませんね」
「止みませんよ」
「傘でしのいでみましょうか」
「傘は野暮さ」
「あそこの傘でも野暮ですか」
「あそこの傘かね」
「あそこの傘さ」
「この足跡の隣の傘かね」
「隣の傘です」
「まさしく傘なる屋台だね」
「あれ、賑やかな」
「雨男が来て雨漏りしなけりゃいいけれど」
「これだけ明るい店ならきっと」
「雨男の心も晴れるか」
「これだけ好かれる傘なら安心でしょう」
「これだけ好かれる傘なら安心だ」
「雨は止んだね」
「どうにかこうにか止みました」
「しかしからりと晴れたというわけでもなく」
「しかしからりと晴れたというわけではありませんね」
「曇天男と呼んでくれ」
「曇天男と呼びましょう」
「夕べの雨宿りで、はしゃぎすぎたか」
「いっそ飲みますか珈琲でも」
「きっと名案だね珈琲は」
「あそこに名うての珈琲屋が」
「あれは八百屋だ」
「いいえあれこそ珈琲屋」
「いやいや八百屋だ八百屋だ」
「八百屋のようにしているだけで」
「なんとありゃ珈琲屋か」
「いつでも誰でも通えるように」
「八百屋よろしく珈琲を出すとね」
「利根も良かった」
「やあやあこれは」
「美味いですか」
「美味い美味い。もう一杯」
「どれにしましょう」
「これだけあると悩んでしまうが」
「色とりどりの野菜のような」
「とんだ珈琲屋があったものだなあ」
「や、曇天男の淀んだ空に青空が射して来ましたよ」
「美味い珈琲のおかげかな」
「腹が減ったね」
「腹が減りました」
「しかしあんまり時間もない」
「竹原へ行かねばなりませんから」
「あそこでうどんを喰らおうか」
「あそこのうどんを喰らいましょう」
「やけに細いね」
「呉のうどんは細いのです」
「するするいけるね」
「呉の男はするする喰らって海へ出るのです」
「これだけするするするなら間に合う間に合う」
「しかしお姉さん方にちょっかいを出しちゃいけませんよ」
「だって感じのいいヒトばかりだぜ」
「さあ、もう後少しで晴れ渡る。参りましょう」
「もう一杯おくれ」
「その一杯はまた今度にしておくれ」
「せめてまた来ておくれと言ってくれ」
「さあさ、さあさ」
「晴れたと思ったらまた曇ったね」
「こりゃほとんど雨ですね」
「竹原もまた雨だった」
「チクしょう、ゲンなりだ、と言わないで」
「や、遠くにもうもうと煙の煙突島がある」
「あの煙突がこの雨曇りを噴き出していますのでしょうか」
「そんなら一漕ぎ渡ってみようか」
「それより一杯いかがです」
「よし、煙突島は捨て置いて、一杯やろうか」
「あすこに老舗の造り酒屋」
「造り酒屋の竹鶴か」
「存じてらっしゃる」
「米も気温も毎年変わる」
「や」
「だのに酒の味だけ毎年変わらないという法はない」
「つ」
「竹鶴の味は毎年変わる」
「た」
「しかしイタズラにバラバラの味じゃない。きちんと躾をほどこして、そこからのびのび育てるのさ」
「まるで杜氏の」
「受け売りだよ」
「しかし聞けば聞くほど」
「味わいが増すものだなあ」
「ささ、もう一杯」
「大体酒の味わいってのは言い尽くせるものじゃないよ」
「またきた」
「すっきり飲みやすいね、この酒はあの肴と合うね、そんなものはデタラメで」
「ひゃ」
「美味い酒は、どんな肴にでも合うのさ」
「ほ、もう一つ冷たいのを」
「待ちねえ」
「あれ」
「竹鶴の酒は、そのまま飲むか、燗にするかだ」
「無骨な酒があるものだなあ」
「や、子供が竹を編んでるね」
「竹原だけに竹を編むのでしょうね」
「竹原の竹細工は新しい工芸だぜ」
「何でもよく知っていらっしゃる」
「しかし子供が竹を編んでいる」
「坊、よく竹を編むかい」
「へ、近頃はあまり編みません」
「どうして編まない」
「まだ自信がつかないもので」
「しかしそうして編んでいるじゃないか」
「まだ編んでおりません。編もうか編むまいか悩んでいるのでいるのでございます」
「悩みを編んでいたのかい。きりきり編んでしまいなさい」
「いや、どうもな」
「代々竹を編むのかい」
「代々竹は編みません」
「いつから竹を編むのだい」
「数年前から竹を編み、実は修行のためにこうして竹を編みに竹原へ」
「なに、竹原人ではないと」
「竹原人ではありません修行に参ったモノなのです」
「それなら尚更編みなさい」
「編みます編みます」
「編みませ編みませ」
「編みます編みます」
「どうしてそうして悩んでばかりでなかなか編まない」
「まだ自信がつかないもので」
「ではまず自信を編みなさい」
「自信をどうして編めましょう」
「恐れずにその竹を編めば自信もおのずと編み上がる」
カーンと遠くで竹が鳴る。
「時にはいいことを言いますね」
「時にはいいことも言うものさ」
「あの子の竹細工が楽しみですね」
「あの子の竹細工が楽しみだ楽しみだ」
「やあ、晴れました」
「うん、晴れた晴れた」
「やっぱり晴れ男は違いますな」
「そうだろうそうだろう。晴れ男は、やっぱりこうして良いものだろう」
story by KEISHI NAGATSUKA