- 今月の旅人
- 長塚圭史(劇作家、演出家、俳優)
長塚圭史さんが、広島県の瀬戸内海サイドを旅します。造船と基地の街・呉から、古き町並みが残る酒蔵の街・竹原へ。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
長塚圭史さんが、広島県の瀬戸内海サイドを旅します。造船と基地の街・呉から、古き町並みが残る酒蔵の街・竹原へ。
朝8時。竹原へやって来ました。広島県竹原市。瀬戸内海地方、海辺の、呉と尾道の中間辺りのところにある小さな港町、竹原。岡山県の倉敷や、同じ広島県の御手洗のように、古い町並みが、江戸時代の面影を残す家並みが今も残る、独特の場所です。朝早くここへやって来た長塚圭史さん。早朝に訪れた理由がありました。
竹原の歴史保存地区の真ん中に、老舗の酒蔵、「竹鶴酒造」があります。蔵が建てられたのが、およそ270年前のこと。テレビドラマ『マッサン』によって、ニッカウヰスキー創始者、竹鶴政孝の実家として、この場所は広く知られるようになりました。
「竹鶴酒造が酒造りを始めたのが、280年ほど前のことです」そう語るのは、竹鶴酒造株式会社、代表取締役社長、竹鶴敏夫さん。「最初は別の場所で作っていたようですが、残念ながら記録がありません。その昔、竹原には塩田が広がっていました」。塩を作っていた家は、1733年から酒造業も手がけるようになり、「小笹屋竹鶴」を屋号に定めたといいます。長塚さんが竹鶴酒造を訪れたのは、2月。冬のさなか。新しい酒の 仕込みの真っ最中でした。蔵人たちは朝4時前から酒造りに励んでいました。早朝、長塚さんが訪れたとき、もう朝のひと仕事、ふた仕事は終わっていました。竹鶴敏夫さんが、酒蔵を案内してくれました。
竹鶴敏夫さんに
案内してもらっている最中……
「麹室(こうじむろ)」と呼ばれる室温を高くしている部屋から、上半身素っ裸で、汗を流しながら飛び出してきた、大男。
日本酒造りの世界では広くその名を知られる、竹鶴の杜氏、石川達也さんでした。
「日本酒界のゴジラ」とも呼ばれる、石川達也さん。広島県生まれ、東京の大学時代、酒が大好きでした。あるとき出逢った美味なる酒、「神亀」の酒に惚れ込み、自分で酒造りを試してみたいとその世界に飛び込みました。蔵人として働き、杜氏となり、その後、故郷・広島県の竹鶴酒造の杜氏になりました。杜氏として生きて、22年間。
「酒造界の大魔神」の異名も。
そして、お楽しみ(?)の、
利き酒タイム。
うーむ……
竹鶴敏夫さん、石川達也さん、
ほんとうにありがとうございました!