- 今月の旅人
- 山根基世(『NAGOMI Setouchi』案内人。元NHKアナウンサー)
『NAGOMI Setouchi』スタート時より、番組の案内人を務めている山根基世さんが、今月の旅人。瀬戸内生まれ、育ちの山根さんが、愛媛県道後をベースに、松山、しまなみ海道を旅していきます。その旅の背景にあるのは、種田山頭火。九州に生まれ育った山頭火は、晩年を松山で過ごし、その地で没しています。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
『NAGOMI Setouchi』スタート時より、番組の案内人を務めている山根基世さんが、今月の旅人。瀬戸内生まれ、育ちの山根さんが、愛媛県道後をベースに、松山、しまなみ海道を旅していきます。その旅の背景にあるのは、種田山頭火。九州に生まれ育った山頭火は、晩年を松山で過ごし、その地で没しています。
旅人・山根基世さん、
今回の瀬戸内旅の最後に向かったのは、「一草庵」――。
「一草庵」、ここは、放浪の俳人、歌人、旅する文学者、種田山頭火が人生の最後の時間を過ごした場所。各地を旅した山頭火は1939年10月1日、終の住処を求め、四国松山の地に降り立ちました。古くからの知人や友人たちの尽力によって山頭火は、その年の12月15日に、この「一草庵」に入居します。
1882年、種田山頭火は、山根基世さんの郷里と同じ山口県、現在の防府市に生まれました。「自由を愛し、旅に生きた山頭火の言葉に、わたしはずっと“光”を感じてきた」と山根さんは言います。「それは、わたしの裡にも確かにある、瀬戸内の光、青く輝く海の波光」。
大正6年5月の句会で、種田山頭火は、こんな句を詠んでいます。
「海よ海よ ふるさとの海の青さよ」――
けれど一方で山頭火は、里山を愛し、野山を旅した人でした。
昭和7年1月27日の日記には、こう記しています。
「なるたけ早く山路へ入ってゆこう。山また山の姿は嬉しい」
さらに、2月2日の日記には、こう。
「海も悪くないと思う。しかし私としては山を好いている」
冷たい雨が降る朝でした。山根基世さんは種田山頭火が没した場所、松山の「一草庵」を訪れました。NPO法人「まつやま山頭火倶楽部」事務局長の太田和博さんが、山根さんを待っていてくださいました。
山頭火の世界を愛し、深く研究し、知り尽くした太田和博さん。いろいろなお話、エピソードを聞かせてくださいました。
太田さんとともに迎えてくださった現代俳句協会の岩崎美代子さんは、美味しいお茶を点ててくださいました。
同じ景色を、山頭火も見ていたはずです。
山頭火日記『行乞記』昭和5年9月14日より
「私はまた旅に出た、
所詮、乞食坊主以外の何者でもない私だった、
愚かな旅人として一生流転せずにはいられない私だった、
浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、
みじめなやすらかさを享楽している私をあはれみ且つよろこぶ、
水は流れる、雲は動いて止まない、風がふけば木の葉が散る、
魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、
それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け、
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れ、
うつりゆく心の影をありのままに写そう、
私の生涯の記録としてこの行乞記を作る」
1948年、山口県生まれ。1971年、NHKにアナウンサーとして入局。大阪勤務、その後東京NHK放送センター・アナウンス室に。主婦や働く女性を対象とした番組、美術番組、旅番組、ニュース、ナレーション多数を担当。2005年、女性として初のNHKアナウンス室長に。2007年、NHKを定年退職。LLP「ことばの杜」設立。2013年「ことばの杜」解散後、地域作りと言葉教育を組み合わせた独自の活動を続けている。東京大学客員教授、女子美術大学特別招聘教授歴任。学校法人桑沢学園理事。学校法人順心広尾学園理事。公益財団法人文字・活字文化推進機構評議委員。シチズン・オブ・ザ・イヤー選考委員会委員長。「感じる漢字」「ことばで『私』を育てる」ほか、著書多数。TOKYO FM「感じて、漢字の世界」JFN全国38局ネットで放送中。
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