- 今月の旅人
- 坂田明(ジャズ・サクソフォン奏者)
72歳にして今も国内はもちろん世界中を旅して演奏をしている坂田明さん。瀬戸内の旅の舞台は、生まれ故郷の港町、呉。実家のある長浜の海辺でサクソフォンを吹き、とびしま海道をドライブしてアイランド・ホッピング。さらに、広島県のお隣、山口県の瀬戸内の島、周防大島へも足を伸ばして。サクソフォンをケースに入れての、島旅が始まります。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
72歳にして今も国内はもちろん世界中を旅して演奏をしている坂田明さん。瀬戸内の旅の舞台は、生まれ故郷の港町、呉。実家のある長浜の海辺でサクソフォンを吹き、とびしま海道をドライブしてアイランド・ホッピング。さらに、広島県のお隣、山口県の瀬戸内の島、周防大島へも足を伸ばして。サクソフォンをケースに入れての、島旅が始まります。
1945年、広島県呉市の長浜で生まれた坂田明さん。坂田さんは、その場所を、昔も今も「広(ひろ)」と呼んでいます。今回、呉っ子の坂田さんに呉の街を案内するのは、こちらも呉生まれ、呉育ちの、小野香澄(おの・かずみ)さん。1984年生まれなので、坂田さんとは「親子」のような年の差ですが、なんだか、懐かしい同級生同士が再会したような雰囲気が(笑)。小野さんは、NPO法人「呉サポートセンター くれシェンド」の、プロジェクト・マネージャーを務めています。東京の大学を卒業後、そのまま東京でテレビの仕事をしていましたが、年々「故郷への思い」が募り、2年ほど前、生まれ育った呉の街に戻ってきたそうです。
「呉サポートセンター くれシェンド」
待ち合わせた時間が午前11時半。まずは腹ごしらえということで、小野香澄さんが坂田明さんを案内したのは、呉の市街地にある老舗食堂「いせ屋」。カツ丼、呉の細うどん、定食もビールもお酒も、何でもあります。
呉の細うどん。讃岐うどんと違って、うどんは柔らかめ、スープが甘め。独特の美味しさです。「昔は金がなかったからな、素うどんにいなり寿司というセットが、一番豪華な昼飯だったな」と坂田さん。
こちらも人気メニュー、いせ屋独特の「かつ丼」。
食後のデザートも忘れずに。こちらは「呉のソウルフード」と呼ばれ市民に愛され続けてきた「フライケーキ」。
いわゆる揚げ饅頭ですが、呉ではこれをフライケーキと呼んでいます。小さいから、ひとつくらいはさくっと軽く食べられます。揚げたてなので気をつけて。
かつて海軍のエリア、その後進駐軍のエリアだった呉の歴史地区をぶらりしていると、坂田さん、「自分を発見!?」
大ヒットした映画『この世界の片隅に』は、呉が舞台。この映画のロケ地巡りで訪れる人々が大勢いるそうです。
JR呉線の線路脇に……
「なかなか遺産」が!
築80年以上という、古い木造建築の洋館。船の舳先を思わせるその顔。もともと日本海軍が所有し、戦後は進駐軍に使用され、その後、呉YWCAの所有に。
軍港として栄えた呉。今も毎日たくさんの船が行き交う港町。そんな呉の港は、夕陽、夕景がきれいな場所としても知られます。
夜ごと、呉の街の川沿いには屋台の灯りが。お好み焼き屋台、おでん屋台、もつ焼き屋台、ラーメン屋台……などなど、いろんな屋台がぽつぽつと並んでいて飽きません。坂田明さん、お気に入りの一軒に入ると、小野香澄さんと、世代を超えて「呉トーク」に花が咲き、今宵も気がつけば、アラウンド・ミッドナイト。
1945年、広島県呉市生まれ。広島大学水産学科卒業。1972~79年山下洋輔トリオに参加。80年より「Wha ha ha」「SAKATA TRIO」を結成し独立。ヨーロッパ・ツアーへ。以降様々なグループの形成解体を繰り返しながら、世界中をあちこちぐるぐるしながらあれこれして今に至る。アルバム『どうでしょう?!』『海』『SCENIC ZONE』『FISHERMAN’S COM』ほか。著書『私説ミジンコ大全』『ジャズ西遊記』『クラゲの正体』ほか。
オフィシャルサイト