- 今月の旅人
- 池澤夏樹(作家)
作家の池澤夏樹さんが、敬愛する民俗学者宮本常一の故郷、山口県周防大島を訪ねています。戦中、戦後の日本をくまなく歩き、人々の暮らしを見つめ、記録した宮本常一。その故郷、周防大島からは、明治のころ、4000人近い島民が、海を越えてハワイに渡りました。今日は周防大島とハワイをつなぐ、海と人の不思議な物語。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
作家の池澤夏樹さんが、敬愛する民俗学者宮本常一の故郷、山口県周防大島を訪ねています。戦中、戦後の日本をくまなく歩き、人々の暮らしを見つめ、記録した宮本常一。その故郷、周防大島からは、明治のころ、4000人近い島民が、海を越えてハワイに渡りました。今日は周防大島とハワイをつなぐ、海と人の不思議な物語。
移民としてハワイに渡ったあとも、島民が故郷の島を忘れることはありませんでした。周防大島の南に浮かぶ沖家室島の蛭子神社にも、移住先のハワイから多くの寄進が寄せられました。「終戦後の窮乏していたときも、この島の人は困らなかった。ハワイからいろいろのものを送ってくるので、物資はあり余ったほどである。」宮本常一は著書にこう記しています。
そして周防大島とハワイを結ぶもう一つの絆が、大型の航海カヌー「ホクレア号」。ハワイからポリネシアへ。近代的な航海技術を使わずに、人は海を渡ることができるのか。壮大な航海実験を指揮した航海士ナイノア・トンプソンのチャレンジを、池澤さんは1995年その目で目撃しました。その「ホクレア号」が2007年にハワイを出航し、向かったのが、なんと周防大島でした。
若き日のナイノア・トンプソンは、隣人で日系二世の漁師カワノヨシオから、海と海洋文化を学びました。ハワイから日本に向けた2007年の航海は、そんなカワノヨシオの故郷を目指すチャレンジ。カワノヨシオの正確な故郷はいまだ明らかになっていませんが、ナイノアはここ周防大島、沖家室島がカワノの故郷だと直感。その魂が宿るカワノヨシオの自宅の石を、泊清寺の住職、新山玄雄さんに託しました。
新山住職はいまも大切にその石を保管し、祀っています。
周防大島とハワイのカウアイ島は姉妹島提携から53年。周防大島のリゾートホテル、サンシャインサザンセトは、まるでハワイのよう。
「サタフラ」は今年10年目を迎えました。7月と8月の土曜日、全国から愛好家が集い、自慢のフラを披露。いまやフラ愛好家の間では知らない人がいないイベントに成長しました。周防大島観光協会の江良正和さんと。
「サタフラ」は出演も観覧も無料。今年は全国からおよそ130チームが参加しました。「芝生の上でヤシの木と海をバックに踊れる機会はなかなかない。最高に幸せ。」
周防大島、ハワイ、そしてホクレア号。運命の不思議な縁を感じます。
来週は周防大島の西の端に浮かぶ笠佐島と、東の端に位置する伊保田地区が旅の舞台。笠佐のゴッドファーザーに池澤さんもたじたじ。
作家。1945年、北海道帯広市に生まれる。小学校から後は東京育ち。
30代の3年をギリシャで、4-50代の10年を沖縄で、60代の5年をフランスで過ごして、今は札幌在住。
ギリシャ時代より、詩と翻訳を起点に執筆活動に入る。
1984年、文明への懐疑と人間の性を描いた『夏の朝の成層圏』で長篇小説デビュー。1987年発表の『スティル・ライフ』で第98回芥川賞を受賞し、ワープロで書いた初めての芥川賞作家となる。その後の作品に『母なる自然のおっぱい』(読売文学賞)、『マシアス・ギリの失脚』(谷崎潤一郎賞)、『楽しい終末』(伊藤整文学賞)、『静かな大地』(親鸞賞)、『花を運ぶ妹』(毎日出版文化賞)など。自然と人間の関係について明晰な思索を重ね、数々の作品を生んでいる。
2014年より全著作の電子化プロジェクト「impala e-books」を開始。また「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」全30巻に続き、「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」全30巻の刊行を開始。
世界を辺境から見つめるのが池澤夏樹流。文学の眼鏡と科学の眼鏡を携えて、今日も旅先で執筆を続ける。
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