- 今月の旅人
- ロバート キャンベル(日本文学研究者)
日本在住歴30年以上。日本をこよなく愛するキャンベルさんが今週訪ねるのは、広島県福山市鞆の浦。坂本龍馬が「いろは丸事件」の談判を行い、宮崎駿監督が『崖の上のポニョ』の構想を練った潮待ちの港を歩きます。
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
日本在住歴30年以上。日本をこよなく愛するキャンベルさんが今週訪ねるのは、広島県福山市鞆の浦。坂本龍馬が「いろは丸事件」の談判を行い、宮崎駿監督が『崖の上のポニョ』の構想を練った潮待ちの港を歩きます。
今日の散策は、鞆の港を見下ろす高台に立つ「福山市鞆の浦歴史民俗資料館」からスタート。
福山市鞆の浦歴史民俗資料館
館長の通堂博彰さんが旅の案内人です。
鞆の浦では、男の子が生まれると白馬の模型を作り、町中を引き回す伝統行事がありました。それが昭和の初めまで続いた「八朔の馬出し」。家が豊かになると白馬も大きくなったというのが、見栄っ張りの商人文化ならでは。
資料館の前に立つ万葉歌人、大伴旅人の歌碑。
「鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも」
江戸の面影を残す露地を歩いて、向かったのは・・
鞆の浦の名物、保命酒のお店「保命酒屋」。福山藩御用達の薬種で、いまも四軒の酒蔵がその味を守り続けています。「保命酒屋」はその一軒。
保命酒に付け込んだ十六種類の生薬。
「保命酒屋」7代目、岡本純夫さん。
江戸の港湾施設が残る鞆の浦。中央の塔は「常夜燈」と呼ばれる灯台。手前は、満潮時も干潮時も船を着けられるように工夫された「雁木」と呼ばれる階段状の船着き場。
鞆の港で午後の風を感じながら。
少年時代の想い出を語る通堂さんと岡本さん。
鞆の歴史と文化に触れたキャンベルさん。一句浮かんだようです。
なんと、四句でした!
潮待ちの港、鞆の浦には「待つ時間の豊かさ」がありました。
来週7/15はキャンベルさんが広島平和記念公園とその周辺の、知られざる平和遺産を訪ねます。
このモニュメントはいったい?
日本文学研究者。国文学研究資料館長。
近世・近代日本文学が専門で、とくに19世紀(江戸後期~明治前半)の漢文学と、漢文学と関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せている。テレビでMCやニュース・コメンテーター等をつとめる一方、新聞雑誌連載、書評、ラジオ番組企画・出演など、さまざまなメディアで活躍中。
ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業(B.A. 1981年)。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了、文学博士(M.A. 1984, Ph.D. 1992年)。
1985年に九州大学文学部研究生として来日。同学部専任講師(1987年、国語国文学研究室)、国立・国文学研究資料館助教授(1995年)を経て、2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授に就任(比較文学比較文化コース〔大学院〕、学際日本文化論〔教養学部後期課程〕、国文・漢文学部会(同学部前期課程)担当)。2007から同研究科教授。2017年4月から現職。
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