- 2017
- 06/10
マンガ家・ヤマザキマリの瀬戸内紀行
「男木島、女木島、直島。猫と島とスケッチブック」02
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
- 今月の旅人
- ヤマザキマリ(マンガ家)
北イタリア、パドヴァに暮らすヤマザキマリさん。年に何回か仕事で日本へやって来ます。5月の数日、瀬戸内の旅へ行きました。向かったのは、男木島、直島、女木島。ヤマザキさんの希望は、「猫充」(猫で充実)。パドヴァの自宅には猫がいて、いつも一緒に過ごしています。日本へ帰ってくると、猫に逢えない日々が続き、次第にストレスが溜まるといいます。「瀬戸内の島には、猫がたくさんいると聞きました。猫とひたすら戯れたい。他には特にリクエストはありません」とヤマザキマリさん。小さなスケッチブックを携えての瀬戸内の旅が、こうして始まりました。
岡山県宇野港や、香川県高松港から定期船が出ている、直島。高松港から海上タクシーに乗れば、40分ほどで到着します。ベネッセハウス・ミュージアムや、地中美術館、家プロジェクト、直島銭湯「I♡湯」など、数多のミュージアム、ギャラリー、アート作品が島の暮らしに溶け込んでいます。「アートの島」として今では知られ、国内外から大勢の旅行者が毎日訪れます。
初めての直島で、ヤマザキマリさんが最初に向かったのは、直島小学校。
オーケストラのヴィオラ奏者をしていた母親のもと、北海道札幌郊外の自然豊かな場所で育った、ヤマザキマリさん。昆虫や鳥、動物が大好きな女の子でした。中学生のとき、たったひとりで1ヶ月間、ヨーロッパ旅行。そして、絵を学ぶため、17歳でイタリアの学校に進学。その後…世界各地に暮らし、現在は北イタリア、パドヴァという大学貝に暮らしています。直島小学校の5年生のクラスで、今日は、「ヤマザキマリさんの1日先生」始まりです。
1時間目は、ヤマザキマリさんが、自分の子供の頃、小学生の頃のお話をしました。
皆さんそれぞれ、事前に質問を用意してくれていました。
2時間目は、みんなで絵を描きます。ヤマザキマリさん「じゃあ、自分の隣にいる人の絵を描いて」 みんな「えー、やだー、そんなのー!」 最初嫌がったり、(隣の男の子、女の子の似顔絵を描くことを)恥ずかしがっていた皆さんでしたが、そのうちどんどん夢中になっていきました。
「人の似顔絵は勉強になるし、知らない自分がそこに出てきて面白い」とヤマザキマリさん。マリさんは10代後半でイタリアへ渡ったとき、生活費を稼ぐために路上で似顔絵描きをよくしていたそうです。「似顔絵は、ときにその人の真実を伝えます」とヤマザキマリさん。
自分が描いた(隣の友達の)似顔絵をみんな手にして、記念撮影。
最後に、丸野美海さんと、お父さんの丸野ひさしさんが、歌を歌ってくれました。クラスの学級委員を務める美海さんが自分で作った曲、「ファンタジー ファンタジー」。
直島小学校5年生の皆さん、先生方、どうもありがとうございました!
旅人プロフィール
ヤマザキマリ
1967年4月20日、東京都生まれ。1984年にイタリアへ。フィレンツェの国立アカデミア美術学院に入学。1997年にマンガ家としてプロ・デビュー。比較文学を研究するイタリア人研究者との結婚を機に、シリア、ポルトガル、アメリカを経て、現在はイタリア在住。2010年、古代ローマを舞台にしたマンガ『テルマエ・ロマエ』で、第3回漫画大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。世界各国で翻訳される。著書に『ルミとマヤとその周辺』、『ジャコモ・フォスカリ』ほか。現在、講談社:ハツキスで『スティーブ・ジョブズ』、新潮45で『プリニウス』(とり・みきと共著)を、連載中。
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