- 2017
- 04/08
チェリスト・溝口肇の瀬戸内紀行
「琴平、牟礼、仏生山。チェロとライカを連れて」02
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
- 今月の旅人
- 溝口肇(チェリスト、作曲家、プロデューサー)
チェロとライカをつれて、溝口肇さんが瀬戸内を旅しています。琴電こと高松琴平電気鉄道に乗って、琴平町へ。そこは、現存する中では日本最古と言われる芝居小屋、「旧金比羅大芝居」のある町。高松市の牟礼は、古来「石と石工の町」として知られてきました。そんな牟礼の丘の途中に、イサム・ノグチが愛し、晩年を過ごした家とアトリエがあります。「イサム・ノグチ庭園美術館」を、溝口肇さんは訪ねます。今ではうどん、でもその昔は「素麺の町」として知られていた仏生山。琴電の仏生山駅を出て少し歩くとそこに、「仏生山温泉」があります。あるとき、小さなこの町に湧き出した温泉、その誕生の秘密とは? 仏生山に生まれ育った若き建築家と、溝口肇さんは言葉を交わします。ライカのシャッターを切りながら、ときどきチェロを奏でながら、溝口肇さんのロード・ムービーのような瀬戸内旅です。
高松市の中心地から、車で30分ほど。牟礼(むれ)という場所があります。「イサム・ノグチ庭園美術館」は、そこにあります。ノグチは、1969年にここ牟礼町にアトリエと住居を構え、彼の成熟期の代表作となる岩を使った大型の彫刻作品制作に励みました。ノグチは、その人生最後の20年間、毎年半分ほどをここ牟礼の住居とアトリエで過ごしたそうです。
「イサム・ノグチ庭園美術館」
ミュージアムへやって来ると、最初に迎えてくれる場所、風景。この積み重ねられた岩壁の向こうに、未完も含めイサム・ノグチの作品、岩と石の彫刻作品が並んでいます。この場所から「イサム・ノグチ庭園美術館」の旅は始まります。
サーモンピンクの砂が、訪れた人々を誘う道を美しく描きます。この砂の道は、毎日幾度も、ここで働く石工やスタッフの皆さんよって、きれいに掃かれ、均されます。土の道はいつも、初めて歩くように、足跡ひとつない砂の道としてそこにあります。
石と石工の町、牟礼は、屋島を傍らに抱き、目の前には瀬戸内の海が広がります。
女木島、男木島が、海峡の向こうに。
イサム・ノグチ庭園美術館の丘の上から、屋島そして瀬戸内海を眺める溝口肇さん。
かつてイサム・ノグチが同じようにここに立ち、見ていたはずの眺めです。
今回、ミュージアムを案内してくださった、池田文さん。ゆっくり丁寧にいろんなお話を聞かせてくれました。イサム・ノグチ庭園美術館は、完全予約制。訪れた人たちはあらかじめ数人ずつのグループに分けられ、グループごとにスタッフの話に耳を傾けながら館内を巡るシステム。と聞くと、なんだか自由に回れないような印象を抱くかもしれませんが、けっしてそうではありません。巡回は実にゆっくり、訪問客のペースに合わせて進みます。また、興味深い話をいろいろうかがえる一方で、静かに黙って作品と対峙する時間もたっぷりあります。ミュージアムには、イサム・ノグチが愛した牟礼の静かな時間がゆったりと流れ、ノグチが感じたのと同じ風が流れています。
「イサム・ノグチ庭園美術館」
20世紀を代表する世界的な芸術家、イサム・ノグチは、1956年に初めて、香川県牟礼町を訪れました。牟礼は、花崗岩が掘れることから、古来、 石工、石工職人が多く暮らす場所として知られてきました。イサム・ノグチは、石を求めて、そして、自分とともに石を切り、作品作りを共にしてくれる石工を探して、ニューヨークからはるばる牟礼へとやって来ました。その地を大いに気に入ったイサム・ノグチは、牟礼の、瀬戸内の海と島を望む土地に、住居とアトリエを構えます。そして、当時25歳、牟礼に生まれ育った若き石工職人、和泉正敏(いずみ・まさとし)をパートナーに選び、いくつもの作品を作っていきました。
現在、イサム・ノグチ庭園美術館の理事長をつとめながら、石の芸術家としても活躍する 和泉正敏さん。溝口さんは、イサム・ノグチがかつて暮らした家に招かれ、和泉さんと言葉を交わしました。
「IZUMI STONE WORKS」
溝口肇さんがここを訪れたのは、3月でした。温暖と言われる瀬戸内ですが、この頃まだ空気は冷たく、冬と春がせめぎ合っているようなとき。でも、園内の梅の樹が花を咲かせ、早春を感じさせてくれました。愛用のライカで花と樹木を熱心に撮影する溝口肇さんは。園内の樹木や草花の多くが、イサム・ノグチ自身によって配置され植えられたそうです。ノグチも毎年春の始めに、この花を愛でていたはず。
旅人プロフィール
溝口肇
3歳からピアノ、11歳からチェロを始める。東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻卒業。学生時代から八神純子、上田知華とカリョウビン等のサポートメンバーを務め、大学卒業後スタジオミュージシャンとして6年ほどレコーディングに携わる。
24歳の時に自身が起こした自動車事故によってムチウチ症となり、その苦しみから逃れるため「眠るための音楽」を作曲し始める。スタジオミュージシャンとしての経験から「眠るための音楽」は自分自身のソロ楽曲として書きためられ、1986年『ハーフインチデザート』(Halfinch Dessert)でCBS SONYよりデビュー。以後、クラシック、ポップス、ロックなど幅広いジャンルで演奏・作曲活動を展開している。
作品には、映画音楽 やテレビ番組の音楽として用いられているものが多い。29年続いている番組「世界の車窓から」のテーマ曲はあまりにも有名。また、日本たばこピースライト、ギャラクシ-企業イメ-ジのCMにも出演し、多くの人々にその姿と音楽を、印象づけることになった。テレビ番組に自身が出演する機会も多く、特に旅番組には数多く出演している。
オフィシャルサイト
<株式会社グレース GRACE MUSIC LABEL>
溝口肇が主催する音楽制作会社。CD、コンサート他音楽に関わる全ての制作。レーベルはハイレゾ、DSDレコーディングに精通し、精力的に音楽性制作を行っている。Grace Music Storeから製品の購入もできる。