- 2017
- 03/18
バイオリン奏者・古澤巌の瀬戸内紀行
「倉敷、児島、丸亀。古くて新しい風景を旅する」03
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
- 今月の旅人
- 古澤巌(バイオリン奏者)
古澤巌さんの旅は、岡山県倉敷市で始まりました。倉敷の川縁、そこは、ツアーで幾度も古澤さんが訪れてきた場所のひとつ。江戸の町並みが今に残る通称美観地区で、古澤さんの瀬戸内紀行がスタート。倉敷川の水はかつて瀬戸内へとつながり、海から山へ、山から海へと、物資を運ぶ水の道でした。今その川には、観光用の舟遊びの小舟が行ったり来たり。そんな旅人風情を楽しみながら、なじみの店や大好きな店へ顔を出し、ずっと行きたかった念願の場所で逢いたかった人と出会い、瀬戸内海の夕景を望む秘密の浜辺でバイオリンを奏で、そして、丸亀の山の中、森の樹木の世界へと・・・
愛用のバイオリンをつれての、古澤巌さんの瀬戸内です。
「うどん県」と呼ばれる香川県ですが、中でも丸亀はやはり、讃岐うどんの聖地(のひとつ)。とにかく、数多の個性的なうどん屋があります。「一家言ある」うどん屋、ディープなうどん屋、アバンギャルドなうどん屋が、いくつも存在しています。共通しているのは、「どこで食べてもおいしい」こと。何もかも、他で食べるうどんとは違います。こちらは、温玉入りのかけうどん。美味。
古澤さんにおいしい「うどんのはしご」ガイドをしてくれたのは、丸亀市にある浄土真宗の寺、真宗興正派善照寺の若き住職、三原貴嗣さん。21代目の住職です。24歳のときにお寺を継いだ若き住職、三原さんには、「へんも」というニックネームがあります。バレー部だった高校時代、先輩につけられたあだ名だとか。うどんはもちろん、音楽、スポーツ、アウトドアが大好きで、「フットバッグ」というストリート・パフォーマンスをするパフォーマーという一面も持っている、三原さん。「へんもブログ」というブログが大人気で、そこでは自分のプライベートなことを、あれこれ楽しく書いています。そのブログの中で住職・三原さんは、こう綴っています。
「ふだん、お坊さんだから特殊な生活をしているのかというと、そんなことはなく、結婚もし、肉や魚も食べ、インターネットもし、iPadも使います。PCはiMacを使っています。仏教の教えは、葬儀や法事の特別な時間にだけ役に立つのではなく、ごくごくふつうの生活の中に必要な智慧(ちえ)なんだということ、命終えるときまで忘れてはならん“生き方”なんだということをこのブログで感じ取ってもらえたらなぁと思っています」(「 」内は三原さんブログより引用)
アメリカ合州国オレゴン州で生まれた、比較的新しいスポーツ、「フットバッグ」。三原住職は、なんとその日本チャンピオン!
いわゆる「お坊さん」の印象、イメージが、大きく変わる異色のお坊さんです。
古澤巌さんのバイオリン演奏に合わせて、三原住職がフットバッグ。共演!
善照寺21代目の住職、三原貴嗣さんの「へんもブログ」は、アクセス数がものすごく多い有名ブログ。そう、三原さんは、「有名ブロガー」でもあります。
「へんもぶろぐ」
そして、三原住職に連れられて次にやって来たのは、丸亀のとある神社(お寺のお坊さんが神社に・・・という図式も、なかなかにアバンギャルド?笑)。その境内に、名物のうどん屋があるというのです!
それがこちら、「うぶしなうどん」。山奥にあるうどん屋、畑の中にぽつんと現れるうどん屋など、香川県にはユニークなうどん屋が数多くありますが、「うぶしなうどん」もかなりディープ。地元の人に愛されていて、お昼どきには並んでいることもしばしば。でも「うどん」という旗がなかったら、ちょっと気がつきません。
人気メニュー、「肉ゴボウうどん」。「肉ゴボウぶっかけ」も人気です。この日は寒かったので、温かいかけがぴったり。お餅の入った「宮うどん」も、名物です。
うどんで知られる丸亀から瀬戸大橋のたもとはすぐ。
古澤巌さんは、夕暮れ前、瀬戸内の海を眺めてから、宿へと戻りました。
旅人プロフィール
古澤巌
1959年東京生まれ、1962年よりバイオリンを始める。74年中学生の部全国第1位。78年~大学でヴェーグのマスタークラスを体験、ヴェーグのバッハ演奏に初めて衝撃を受ける。79年日本音楽コンクール第1位。82年卒業の夏の2カ月間、小澤征爾の招待で、夢のタングルウッド音楽祭のコンサートマスターも務める。その後、初来日のロザンドの公演後パーティーに参加、「君の眼は何かが…」の理由だけで演奏も聞かずに83年文化庁給費留学生としてカーチス音楽院に特別編入。チェリビダッケ、バーンスタインに音楽の両極学ぶ。フィラデルフィアのダウンタウンでストリート演奏を続けながら、夏には南仏でギトリスのキャンプに参加、パリでも長時間に及ぶ丁寧なレッスンを受ける。84年よりチューリッヒ、ロンドンでミルシテインに師事(~8年間)、80を越えて最高の奏法に唖然とする。1985年春、パームビーチコンクールで同い年のコレッティのビオラに衝撃を受け、彼の勧めで、その夏カーチスを卒業しザルツブルクのヴェーグに入門。あまりに厳しいレッスンと観たこともない奏法を2年間学び、「極東で受け継いでゆけ」と送り出され1987年に帰国。アバドコンクール優勝記念イタリアツアーも行う。 夏休み(86年)帰国中、木曽で出会った葉加瀬太郎とジプシーバンドを結成、バイオリニストとしての道を歩み始め現在に至る。TFC(東儀、古澤、coba)メンバー。 最新アルバムはFMジェットストリームのテーマ曲を含む「愛しみ(かなしみ)のフーガ」(HATS)。
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