- 2017
- 02/25
ギタリスト・村治佳織の瀬戸内紀行「ギターと温泉と漱石と」04
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
- 今月の旅人
- 村治佳織(ギタリスト)
村治佳織さんが旅する瀬戸内は、愛媛県。島も海も大好き、何よりも旅することが大好きな村治さん、「憧れるのは、寅さん」と笑顔と真顔で語ります。そう、車寅次郎が、村治さんの旅の師匠なんだとか。「女寅さんになりたい」と笑う村治さんですが、もし渥美清さんが今も生きていて『男はつらいよ』が今も毎年撮られていたら、きっと村治佳織さんが「ギターを奏でるマドンナ」として出演する機会があった・・・かもしれません。
今月、村治さんは、ギターケースを肩にかけ、バッグには1冊の文庫本、すなわち夏目漱石の『坊ちゃん』をしのばせて、三津浜、道後温泉、内子町、下灘駅と、旅をします。
愛媛県南予地方の町、内子町。江戸時代初期から明治時代にかけて、木蝋(もくろう)の生産によって栄えてきました。一部の通りには、その時代に建てられた町屋や豪商の屋敷が、建てられた当時のまま、今も軒を連ねています。村治さんを案内してくれた内子町役場の林愼一郎さんは、こう言います。「一歩進むごとに、時がさかのぼる感覚があります」。
「重要伝統的建造物保存地区」にある、黒い格子戸が特徴的な屋敷の前で。
村治佳織さんが立ち寄ったのは、標高11メートル、JR四国予讃線の駅のひとつ、「下灘駅」。今、駅の眼下には国道が走っていますが、かつてそこに道はなく、ホームのすぐ真下に瀬戸内の波が打ち寄せていたそうです。当時、「日本一、海に近い駅」と呼ばれていたとか。現在も、「世界で一番眺めのいい駅」「一生に一度は降りてみたい駅」など、海外のWEBサイトや旅サイトで絶賛され、日本国内はもちろん、世界中からカメラを持った旅行者が日々やって来ます。
撮影しながら、そして、番組の収録をしながら、無人駅のホームに立っていると……。びっくり! ちょうど列車が入ってきました……!
思わず乗りそうになる村治さん。気持ちはわかりますが、乗っちゃだめ!(笑) この後、まだ取材で移動が続きます。もしこの列車に乗ってしまったら、松山へ戻ってしまいます。
ほっとするスタッフ一同。一両編成の可愛い列車は、松山方面へ出発しました。この後、間もなくすると、反対側から宇和島行きの列車が到着します。
村治佳織さんは今回の旅に、夏目漱石の『坊ちゃん』文庫本を持ってきていました。道後温泉で始まった村治さんの瀬戸内紀行、松山そして道後温泉と言えば、漱石であり、『坊ちゃん』の舞台として広く知られています。『坊ちゃん』を旅のガイドブックにして、道後温泉、三津浜と旅した村治さん。そして、村治さんが「旅の師匠」と呼んでいるのが、「寅さん」こと、車寅次郎。ギターケースを肩にかけて無人駅のプラットホームに立つ村治さんは、そのまま、風の吹くまま気の向くまま、何処かへ旅立ってしまいそうです。
「女寅さんになって、日本中を旅してみたい!」と(本気で)熱く語った村治佳織さん。「ギターを持った渡り鳥」ならぬ、「ギターを持った女寅さん」として、新シリーズ誕生も、けっして夢では……ないかも?(笑)
村治佳織さんの愛媛県「瀬戸内紀行」も、そろそろクライマックス。内子町、下灘駅と旅をして、やがて松山市へと車で帰る途中、高速道路を走っていると、ちょうど夕陽の時間で、西の空があかね色に染まり始めました。いくつもカーブを描く松山自動車道。とあるカーブを曲がると、左手に、夕陽に染まる瀬戸内海が見えました。無数の島影がぽこぽこと浮かび上がります。「あ、きれい!」と村治さん。走りながらシャッターチャンスをうかがう車内の一同。と、そのときちょうど、サービスエリアが! 「あそこにきっと、展望のいいところがあるはず」ということで、車を停めて外に出ると、建物の向こう側が小さな展望地になっていて、松山と瀬戸内の海が広がっていました。ちょうど、サンセット・タイムです。
「女寅さん、ここにあり」。三津浜で、坊ちゃんのごとく艀(はしけ)に乗って始まった村治佳織さんの瀬戸内紀行。三津浜から道後温泉へ。松山城を眺めつつ、羊水のような湯に浸かり、路面電車に揺られ、梅の花びらを愛でて。内子町の古い町並みをのんびり歩き、内子座でギターを奏で。下灘駅で碧くきらめく瀬戸内と、島影を眺め・・・そして、夕日に染まっていく松山市、瀬戸内の海の広がりを前に、「旅の郷愁」「旅の愛おしさ」にひたる、村治佳織さんでした。「やっぱり旅って、素晴らしいですね」と村治さん。そして、「海、島、山、森と広がっていく瀬戸内。豊かで美しい、また戻ってきたい旅先でした」
旅人プロフィール
村治佳織
東京都出身。3歳より父・村治昇の手ほどきを受け、10歳より福田進一に師事。1989年、ジュニア・ギターコンテストにおいて最優秀賞を受賞。'91年、学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。'92年ブローウェル国際ギター・コンクール(東京)及び東京国際ギター・コンクールで優勝を果たす。1993年、津田ホールにてデビューリサイタル。続いてデビューCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。'94年には日本フィルハーモニー交響楽団と共演、協奏曲デビューを果たす。'95年、イタリア国立放送交響楽団の日本ツアーにソリストとして同行、同年、第5回出光音楽賞を最年少で受賞。'96年、村松賞受賞。同年5月、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招かれ、本拠地トリノにおいて共演、ヨーロッパ・デビューを飾る。このコンサートはヨーロッパ全土にテレビで放映された。
1997年よりパリのエコール・ノルマルに留学。'99年、ホアキン・ロドリーゴの前で彼の作品を演奏する機会を得る。同年、エコール・ノルマル卒業と同時に帰国、本格的なソロ活動を開始。 NHK交響楽団をはじめとする国内主要オーケストラとも共演を重ね、幅広い層からの支持を受ける。2001年、ロドリーゴ室内管弦楽団とスペイン、バレンシアにて初共演、翌2002年5月、ロドリーゴ生誕100年を記念し同楽団と日本ツアーを行う。以降国内外でのコンサート活動を積極的に行っている。
2003年11月、英国の名門クラシックレーベルDECCAと日本人としては初のインターナショナル専属契約を結ぶ。2004年7月に日本発売、2005年3月にヨーロッパ、韓国、香港をはじめ世界発売された第1弾『トランスフォーメーション』は、「レコード芸術」9月号にて特選として最高の評価を得るとともに、第19回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー<洋楽> を受賞した。第2弾『リュミエール』は'05年、'06年に日本及び世界発売、'06年6月には、DVD「村治佳織 生命の色彩・原色の響き コスタリカ」が発売され、同年10月にリリースされた第3弾『ライア&ソネット』では、ハリー・クリストファーズ率いる英国の合唱団、ザ・シックスティーンと共演。2007年4月に大島ミチルのストリングス・アレンジによるクロスオーヴァー・アルバム『アマンダ』を、10月にフルアルバムとしてDECCA第4弾となる『Viva! Rodrigo』を、11月にはDVD『Tres』をリリース。2008年、『KAORI MURAJI Plays BACH』(共演:ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ、指揮:クリスティアン・フンケ)を、2009年には、DECCA第6弾となるソロ・アルバム『ポートレイツ』をリリース。2010年には、ソロ・アルバム第2弾「ソレイユ〜ポ一トレイツ2」 をリリース。2011年はソロ・アルバム第3弾「プレリュード~ポートレイツ3」をリリース。NHKハイビジョン特集「白洲正子の旅路を村治佳織が往く」(神と仏に捧げる演奏)に出演。NHK「鶴瓶の家族に乾杯」(長崎県平戸市)に出演。2012年 シアターコクーン5月公演「シダの群れ」純情巡礼編(ギター演奏)に出演。これまでに、ビクターエンタテインメント株式会社より9タイトルのCD『エスプレッシーヴォ』『グリーンスリーブス』『シンフォニア』『パストラル』『カヴァティーナ』 『アランフェス協奏曲』『レスプランドール』『エステーラ(ベスト盤)』『スペイン(ベスト盤)』をリリース
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