- 2017
- 02/18
ギタリスト・村治佳織の瀬戸内紀行「ギターと温泉と漱石と」03
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
- 今月の旅人
- 村治佳織(ギタリスト)
村治佳織さんが旅する瀬戸内は、愛媛県。島も海も大好き、何よりも旅することが大好きな村治さん、「憧れるのは、寅さん」と笑顔と真顔で語ります。そう、車寅次郎が、村治さんの旅の師匠なんだとか。「女寅さんになりたい」と笑う村治さんですが、もし渥美清さんが今も生きていて『男はつらいよ』が今も毎年撮られていたら、きっと村治佳織さんが「ギターを奏でるマドンナ」として出演する機会があった・・・かもしれません。
今月、村治さんは、ギターケースを肩にかけ、バッグには1冊の文庫本、すなわち夏目漱石の『坊ちゃん』をしのばせて、三津浜、道後温泉、内子町、下灘駅と、旅をします。
「いよてつ」の愛称で親しまれる、伊予鉄道の路面電車。一両編成、小さな路面電車が松山市の街中を滑るように走っていきます。街の真ん中には、標高132メートルの小高い丘のような山があり、その頂に松山城があります。路面電車の路線は、その山をぐるっと回るような感じで走っています。乗り方は簡単。バス停のような駅に電車が到着したらそのまま乗車。バスと同じように降りたい場所で降車ボタンを押します。降り口は前方、運転席の横で、降りるときに運賃を払います。12歳以上は160円、1歳以上12歳未満なら80円。(おつりは出ませんので気をつけて!)
道後温泉駅から路面電車に乗って、ひとつめの駅が「道後公園」です。(あまりに近いので、道後温泉からなら電車に乗る必要はありません・笑) 松山市民にとっての憩いの場、散策スポットです。季節ごとの花が美しく、観光地としても人気です。桜の名所でもあるため、春には大勢の人が訪れるそうです。公園の一画に、松山市立子規記念博物館があります。正岡子規の俳句や短歌、小説、水彩画はじめ、松山と縁の深い文化人の資料などが保管・展示されています。
村治佳織さんが道後公園を散策したのは、1月の後半。この日、温暖な松山市も底冷えしていましたが、樹木や草花は春の気配を伝えてくれていました。ちょうど梅の花が咲き始めた頃でした。
生まれも育ちも松山市、松山っ子で道後も知り尽くした松波雄大さんが、次に連れていってくれたのは、伊佐爾波(いさにわ)神社。地元では「湯月八幡」「道後八幡」とも呼ばれ親しまれています。道後山の山腹、小高い丘の上にあり、道後温泉の町を見渡し、向かい側には松山城が。道後の守り神のような神社です。
翌日、村治佳織さんが向かったのは、内子町。松山市の南西およそ40kmのところにある小さな町で、古い商家が建ち並ぶ町並み保存地区は、海外からの観光客にも人気です。
村治佳織さんを待っていてくれたのは、内子町役場の、町並・地域振興課課長、林愼一郎さん。生まれも育ちも内子町で、村治さんがおいしいお蕎麦をいただいた「下芳我邸」の家に「子供の頃暮らしていた」という林さん。「あそこも歴史的建造物ですが、今のお店になる前、そこに一家で住んでいたんです」。
「内子座」は、内子町の重要伝統的建造物群保存地区「八日市護国」の近くにある歌舞伎劇場。1916年(大正5年)、大正天皇即位を祝い、内子町の有志によって建設されたそうです。2015年には国の重要文化財に指定されました。昨年10月、『松本隆の世界 風のコトダマin内子座』が開催され、その際、村治佳織さんは内子座の舞台でギターを奏でました。女優の若村麻由美さんが松本さんの詞の世界を朗読、村治さんと松本さんとのトークセッションなどなど、そのイベントの企画の中心にいたのが、林愼一郎さんです。
内子座
村治佳織さんは、内子座の舞台で、ギターを奏でました。曲は、「花は咲く」。
旅人プロフィール
村治佳織
東京都出身。3歳より父・村治昇の手ほどきを受け、10歳より福田進一に師事。1989年、ジュニア・ギターコンテストにおいて最優秀賞を受賞。'91年、学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。'92年ブローウェル国際ギター・コンクール(東京)及び東京国際ギター・コンクールで優勝を果たす。1993年、津田ホールにてデビューリサイタル。続いてデビューCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。'94年には日本フィルハーモニー交響楽団と共演、協奏曲デビューを果たす。'95年、イタリア国立放送交響楽団の日本ツアーにソリストとして同行、同年、第5回出光音楽賞を最年少で受賞。'96年、村松賞受賞。同年5月、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招かれ、本拠地トリノにおいて共演、ヨーロッパ・デビューを飾る。このコンサートはヨーロッパ全土にテレビで放映された。
1997年よりパリのエコール・ノルマルに留学。'99年、ホアキン・ロドリーゴの前で彼の作品を演奏する機会を得る。同年、エコール・ノルマル卒業と同時に帰国、本格的なソロ活動を開始。 NHK交響楽団をはじめとする国内主要オーケストラとも共演を重ね、幅広い層からの支持を受ける。2001年、ロドリーゴ室内管弦楽団とスペイン、バレンシアにて初共演、翌2002年5月、ロドリーゴ生誕100年を記念し同楽団と日本ツアーを行う。以降国内外でのコンサート活動を積極的に行っている。
2003年11月、英国の名門クラシックレーベルDECCAと日本人としては初のインターナショナル専属契約を結ぶ。2004年7月に日本発売、2005年3月にヨーロッパ、韓国、香港をはじめ世界発売された第1弾『トランスフォーメーション』は、「レコード芸術」9月号にて特選として最高の評価を得るとともに、第19回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー<洋楽> を受賞した。第2弾『リュミエール』は'05年、'06年に日本及び世界発売、'06年6月には、DVD「村治佳織 生命の色彩・原色の響き コスタリカ」が発売され、同年10月にリリースされた第3弾『ライア&ソネット』では、ハリー・クリストファーズ率いる英国の合唱団、ザ・シックスティーンと共演。2007年4月に大島ミチルのストリングス・アレンジによるクロスオーヴァー・アルバム『アマンダ』を、10月にフルアルバムとしてDECCA第4弾となる『Viva! Rodrigo』を、11月にはDVD『Tres』をリリース。2008年、『KAORI MURAJI Plays BACH』(共演:ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ、指揮:クリスティアン・フンケ)を、2009年には、DECCA第6弾となるソロ・アルバム『ポートレイツ』をリリース。2010年には、ソロ・アルバム第2弾「ソレイユ〜ポ一トレイツ2」 をリリース。2011年はソロ・アルバム第3弾「プレリュード~ポートレイツ3」をリリース。NHKハイビジョン特集「白洲正子の旅路を村治佳織が往く」(神と仏に捧げる演奏)に出演。NHK「鶴瓶の家族に乾杯」(長崎県平戸市)に出演。2012年 シアターコクーン5月公演「シダの群れ」純情巡礼編(ギター演奏)に出演。これまでに、ビクターエンタテインメント株式会社より9タイトルのCD『エスプレッシーヴォ』『グリーンスリーブス』『シンフォニア』『パストラル』『カヴァティーナ』 『アランフェス協奏曲』『レスプランドール』『エステーラ(ベスト盤)』『スペイン(ベスト盤)』をリリース
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