- 2017
- 02/11
ギタリスト・村治佳織の瀬戸内紀行「ギターと温泉と漱石と」02
もしあなたが鳥になり、瀬戸内の空を飛んでいけば、あまりに美しいその景色に涙を流すことでしょう。青い湖のような瀬戸内海に、ぽこぽこと浮かんでいる島々。陸地には森や田畑が広がり、穏やかな海には漁船が行き交います。瀬戸内を旅すると、あなたは、海と山とがかくも近くに存在し合っていることに気づくでしょう。山が雲を集め、雨を降らせ、森を育み、流れる川は海へと注ぎ込みます。いのちの繋がり、多様性・・・瀬戸内は、そんなことを教えてくれます。シルクロードの命名者として知られる、ドイツの探検家・地理学者、フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェンは、明治維新直後、瀬戸内を旅し、日記にこう書きました、「これ以上のものは、世界のどこにもないであろう」。
- 今月の旅人
- 村治佳織(ギタリスト)
村治佳織さんが旅する瀬戸内は、愛媛県。島も海も大好き、何よりも旅することが大好きな村治さん、「憧れるのは、寅さん」と笑顔と真顔で語ります。そう、車寅次郎が、村治さんの旅の師匠なんだとか。「女寅さんになりたい」と笑う村治さんですが、もし渥美清さんが今も生きていて『男はつらいよ』が今も毎年撮られていたら、きっと村治佳織さんが「ギターを奏でるマドンナ」として出演する機会があった・・・かもしれません。
今月、村治さんは、ギターケースを肩にかけ、バッグには1冊の文庫本、すなわち夏目漱石の『坊ちゃん』をしのばせて、三津浜、道後温泉、内子町、下灘駅と、旅をします。
村治佳織さんが愛媛県の道後温泉に滞在したのは、1月のこと。ちょうど日本列島に強い寒波が訪れている週でした。滞在中、温暖な松山市もずいぶんと冷え込みました。それでも、「旅が大好き」と語る村治さんにはやはり「旅の神さま」がついているのか、ドラマティックに変化する天気はいつも村治さんの味方をしているようでした。道後温泉本館を訪ね、小さな窓を開けるとちょうど小雪が舞い始めてびっくりしたり、長い石段を歩いて上がって、丘の上にある古い神社に到着したら太陽顔を出して眩しく輝いたり。瀬戸内の旅の神さまが、村治佳織さんを祝福しているようでした。
路面電車の終点・始点、「道後温泉駅」。小さな列車を降りて古い駅舎を出ると、道後温泉商店街が始まります。土産物店を中心に、松山、愛媛の名物を扱った店が並びます。屋根のついたアーケードの商店街なので、雨が降っていてものんびり歩けますし、いつも明るくにぎやかです。そして、のんびり見ながら歩いても、あっという間にアーケードのもう片方の出口に出ます。こぢんまりした商店街です。そして、出たところに、「道後温泉本館」が待っています。
一見、古い温泉旅館のようにも見えますが、ここは共同浴場です。愛媛県松山市、道後温泉の中心にある、温泉浴場。日本三大古湯のひとつと言われる道後温泉、古くは『日本書紀』にも登場しているとか。そんな古の温泉地の中心にあり、シンボル的な存在になっているのが、この「道後温泉本館」です。1894年(明治27年)に完成。その翌年、明治28年の春に、教師・夏目漱石は松山に赴任し、この道後温泉を訪れています。『坊ちゃん』に描かれている温泉は、この道後温泉本館だと言われています。そのためこの温泉には「坊ちゃん湯」というニックネームもあります。大勢の観光客が訪れる場所ですが、地元住民の日々のお風呂場でもあります。
道後温泉
『坊ちゃん』の舞台として長く知られてきた道後温泉本館ですが、2001年の夏以降は、もうひとつ別の理由でこの温泉はさらに広く大きく世界中に知られることとなりました。宮崎駿監督の傑作映画『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋、「油屋」のモデルになったのが、この温泉浴場だと言われています。奇妙なトンネルを抜けまったく知らない異世界へたどり着いてしまった10歳の少女、千尋。そこは、八百万の神々が住む世界。千尋はそんな世界にある湯屋「油屋」で働くことになります・・・
道後温泉本館、入り口はこんな感じ。昔ながらの銭湯、共同浴場です。木の靴入れに自分の靴を入れ、鍵をかけたら番台さんのところでお金を払い、中へ入ります。番台さんのところで、小さな石けん、シャンプーなども買うことができます(タオルは有料で借ります)。地元の人たちは自分のお風呂セットを持ってやって来ますが、観光客の中には手ぶらで来てここでタオルなどを借りてパッと入る人もいます。近所の宿に泊まっている宿泊客たちは、宿に置いてあるお風呂セットを持って、やって来ます。浴衣に下駄姿でやって来る旅行者も大勢いて、朝や夕暮れどきには、路地に下駄の音が響きます。
道後温泉本館
「神の湯」と呼ばれるお風呂に入るだけの人は、410円を払って脱衣場へ。これは一般的な銭湯と同じです。道後温泉本館には2階に大広間があって、ここで休憩したり、一度ここで身体を冷ましてまたもう一度お湯につかったりもできます。これは「神の湯2階」と呼ばれるセットで840円。大広間には、お茶菓子のサービスがあり、のんびりくつろげます。
道後温泉本館を案内してくださったのは、松山市役所道後温泉本館職員の、柴田仁さん。そう、なんと、温泉はれっきとしたお役所管轄! とても丁寧にいろいろとお話ししてくださり、さらに、ふだん入れない場所までご案内してくださいました。ガイドの松波雄大さん、そして柴田仁さん、ありがとうございます。
お茶をいただきながら、柴田仁さんのお話に耳を傾ける村治佳織さん。道後温泉の由来、この道後温泉本館の歴史、夏目漱石のことなど、興味深い逸話がたくさん。
二階に上がって窓を開けると・・・小雪が舞っていました。地元の雄大さん、柴田さんもびっくりして、「松山は温暖なので、雪は滅多に降らないんですよね……」と目を円くしていました。とても美しい眺めでした。熱い温泉にゆっくり入って、そして外に出て雪が舞っていたら、それはさぞかし風情があることでしょう。そんな映画のワンシーンのような場面に居合わせた村治佳織さん、「なんだか魔法みたい。こんな風景に出逢えるなんて幸運ですね!」
道後温泉本館の、二階のさらに上に、屋根裏部屋のような、小さな赤い部屋がありました。この部屋は、外から見ると夜の灯台のように、いつもぼんやり赤く、小さな炎が灯っているように、見える小部屋。そこは一般の人は入れない特別な場所ですが、柴田さんのご案内で特別に入らせていただきました。温泉の歴史や物語に耳を傾け、温泉地に舞う雪景色に感動した村治さんは、柴田さんそして道後温泉へのお礼の意味も込めて、ギターケースからギターを取り出し、その赤い小部屋で弾き始めました。
Recuerdos de la Alhambra by Kaori Muraji
旅人プロフィール
村治佳織
東京都出身。3歳より父・村治昇の手ほどきを受け、10歳より福田進一に師事。1989年、ジュニア・ギターコンテストにおいて最優秀賞を受賞。'91年、学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。'92年ブローウェル国際ギター・コンクール(東京)及び東京国際ギター・コンクールで優勝を果たす。1993年、津田ホールにてデビューリサイタル。続いてデビューCD「エスプレッシーヴォ」をリリース。'94年には日本フィルハーモニー交響楽団と共演、協奏曲デビューを果たす。'95年、イタリア国立放送交響楽団の日本ツアーにソリストとして同行、同年、第5回出光音楽賞を最年少で受賞。'96年、村松賞受賞。同年5月、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招かれ、本拠地トリノにおいて共演、ヨーロッパ・デビューを飾る。このコンサートはヨーロッパ全土にテレビで放映された。
1997年よりパリのエコール・ノルマルに留学。'99年、ホアキン・ロドリーゴの前で彼の作品を演奏する機会を得る。同年、エコール・ノルマル卒業と同時に帰国、本格的なソロ活動を開始。 NHK交響楽団をはじめとする国内主要オーケストラとも共演を重ね、幅広い層からの支持を受ける。2001年、ロドリーゴ室内管弦楽団とスペイン、バレンシアにて初共演、翌2002年5月、ロドリーゴ生誕100年を記念し同楽団と日本ツアーを行う。以降国内外でのコンサート活動を積極的に行っている。
2003年11月、英国の名門クラシックレーベルDECCAと日本人としては初のインターナショナル専属契約を結ぶ。2004年7月に日本発売、2005年3月にヨーロッパ、韓国、香港をはじめ世界発売された第1弾『トランスフォーメーション』は、「レコード芸術」9月号にて特選として最高の評価を得るとともに、第19回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー<洋楽> を受賞した。第2弾『リュミエール』は'05年、'06年に日本及び世界発売、'06年6月には、DVD「村治佳織 生命の色彩・原色の響き コスタリカ」が発売され、同年10月にリリースされた第3弾『ライア&ソネット』では、ハリー・クリストファーズ率いる英国の合唱団、ザ・シックスティーンと共演。2007年4月に大島ミチルのストリングス・アレンジによるクロスオーヴァー・アルバム『アマンダ』を、10月にフルアルバムとしてDECCA第4弾となる『Viva! Rodrigo』を、11月にはDVD『Tres』をリリース。2008年、『KAORI MURAJI Plays BACH』(共演:ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ、指揮:クリスティアン・フンケ)を、2009年には、DECCA第6弾となるソロ・アルバム『ポートレイツ』をリリース。2010年には、ソロ・アルバム第2弾「ソレイユ〜ポ一トレイツ2」 をリリース。2011年はソロ・アルバム第3弾「プレリュード~ポートレイツ3」をリリース。NHKハイビジョン特集「白洲正子の旅路を村治佳織が往く」(神と仏に捧げる演奏)に出演。NHK「鶴瓶の家族に乾杯」(長崎県平戸市)に出演。2012年 シアターコクーン5月公演「シダの群れ」純情巡礼編(ギター演奏)に出演。これまでに、ビクターエンタテインメント株式会社より9タイトルのCD『エスプレッシーヴォ』『グリーンスリーブス』『シンフォニア』『パストラル』『カヴァティーナ』 『アランフェス協奏曲』『レスプランドール』『エステーラ(ベスト盤)』『スペイン(ベスト盤)』をリリース
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