第483話 自分だけのジャンルをつくる
-【群馬県にまつわるレジェンド篇】画家 竹久夢二-
Podcast
[2024.11.30]
大正ロマンを代表する、美人画で有名な唯一無二の画家がいます。
竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)。
数え年・51歳で亡くなった夢二は、晩年、群馬県の伊香保の地に「榛名山美術研究所」を建設するという構想を発表していました。
榛名湖畔にアトリエを構え、いよいよ着工するというときに、念願だった海外外遊の機会を得ます。
帰国後に本腰を入れて建設に携わろうと目論んでいましたが、体調を壊し、やがて逝去。
結局、美術研究所は夢のまま、終わってしまったのです。
夢二が初めて群馬県伊香保の存在を知ったのは、28歳の時。
一通のファンレターでした。
加藤ミドリという少女からの手紙に、彼は返事を書きました。
当時、夢二の人気はうなぎのぼり。
ようやく画集が刊行され、美人画というジャンルに光明を得た頃でした。
女性ファンからの熱烈な手紙が毎日届いていました。
その中で、なぜ、このミドリという少女の手紙に返事を書いたのか。
真相はわかっていません。
ミドリは、伊香保で出会った画家を夢二と勘違いしたようです。
夢二の返事は、『竹久夢二伊香保記念館』に所蔵されています。
「愛らしいお手紙うれしくうれしく拝見しました。
イカホとやらでお逢ひになったのは私でありません。
それが私であったろうならと心惜しく思はれます」
夢二が実際に伊香保を訪れるのは、手紙からおよそ8年後。
36歳の時でした。
彼は、悩んでいました。
美人画では、誰も追随できない境地に達し、「夢二式」ともてはやされましたが、人気にかげりが見え始め、本の装幀、雑誌の表紙、詩や童話、ポスターやチラシのデザインなど、さまざまなジャンルに手を広げても、焦りと不安はぬぐえません。
そんな彼が、あらたなジャンルの着想を得たいと望み、訪れたのが、伊香保だったのかもしれません。
美術学校にも行かず、師匠も持たず、孤高の道を進んだ彼にとって、自分だけのジャンルを開拓することだけが、生き残る術だったのです。
独特の画風で今も多くのファンに愛されるレジェンド、竹久夢二が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
美人画の大家、竹久夢二は、1884年9月16日、岡山県邑久郡本庄村、現在の瀬戸内市に生まれた。
生家は、東京世田谷に建てたアトリエの復元と共に、「夢二郷土美術館 夢二生家記念館・少年山荘」として保存されている。
実家は、酒造りを生業とする商家。
自然豊かな環境で育つ。
幼いころから絵を画くのが大好きな夢二は、3歳にして、馬の絵を描き、周囲を驚かす。
幼少期、彼に二つの出会いが待っていた。
ひとつは、母方の祖父。
母の実家は、染め物屋だった。
夢二は着物を見るのが好きだった。
さまざまな紋様。あふれる色彩。ワクワクした。
祖父は、そんな夢二を面白がり、模様や色の組み合わせ、生地の肌触りを教えた。
当時、男の子は、外で泥だらけになって遊ぶのが当たり前。
着物に興味を持つ子は変わっていると思われがちだったが、祖父は、根気強く、いつまでも夢二に着物を見せた。
もうひとつの出会いは、地元の小学校の教師、服部先生。
服部は、瞬時に夢二の才能を見抜く。
自然を描くことだけではなく、鉛筆画で、身近な素材、たとえば、靴などを画かせた。
「いいかい、色でごまかしてはいけないよ。
まずは、デッサン。鉛筆でほんとうの線を見つけるんだ。
ほんとうの線っていうのはね、描く物体の全てを表わすことができるんだ。
キミになら、みつけられるよ、きっと」
竹久夢二は、親元を離れ、叔父がいる兵庫県神戸の中学校に入学。
しかし、稼業が傾き、わずか8カ月で中退を余儀なくされる。
たった8カ月だったが、異国情緒あふれる神戸の街は、生涯、夢二の脳裏に刻まれた。
いつか海を渡り、海外に行ってみたい。そこで絵を画いてみたい…そんな思いが心に広がる。
父は酒造りを諦め、一念発起。
九州の八幡製鉄所で働くことを決める。
一家で移住。
夢二は、製鉄所内の製図室で、筆耕という仕事につく。
毎日毎日、暗く狭い部屋で文字を書く日々。
製鉄所の風景は故郷とは違い、無機的で色がない。
このまま、ここで終わりたくない…
彼は家出を計画するようになった。
2年あまりを経て、少しずつお金を貯める。
やがて、18歳の夏。
夢二は、母と姉にだけ告げ、東京に向かった。
竹久夢二には、生涯ぬぐえないコンプレックスがあった。
それは、美術学校を出たわけでもなく、高名な師匠もいないということ。
画家として成功するための王道は、もはや歩めない。
最初から、裏道、あるいは自分で作った道を行くしかない。
晩年、彼は中学生向けの雑誌に、こんなコメントを寄せた。
「将来、絵でその身を立てたいと思うなら、私のような道は歩かないほうがいい。
正規のルートで美術学校に入り、名立たる展覧会に応募して賞を獲るがいい。
ゆめゆめ、私のような裏道は、万人に向かない」
家出して上京。
生活の糧を得るため、絵や詩を懸賞に応募。
新聞配達、車夫、書生など、お金のためならなんでもやった。
食費をけずって、スケッチブックを買い、鉛筆や絵具を買った。
どんなにつらくても、自分で選んだ道なら耐えることができた。
画家になることなど、夢のまた夢。
ただ、当時は、たったひとり東京で生きているだけで奇跡だった。
苦学しながら、早稲田実業学校本科を卒業。
あるコマ絵が、懸賞で一等賞に選ばれたことから、道が開けた。
自分には、後ろ盾がない。経歴も頼る師匠もいない。
だから、自分でジャンルをつくる。
自分にしかできないジャンルを探す。
「芸術はもうたくさんだ。
ほんとに人間としての悲しみを知る画かきが出てきても好いと思ふ」
竹久夢二
【ON AIR LIST】
◆宵待草 / ダークダックス
◆母 / 鮫島有美子
◆松原 / 石田徹(歌)、小倉知香子(ハープ)
◆風の子供 / 澤畑恵美(歌)、谷池重紬子(ピアノ)
◆花をたずねて / 石田徹(歌)、小倉知香子(ハープ)
すべて竹久夢二の作詞です。
★今回の撮影は、「公益財団法人 竹久夢二伊香保記念館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
開館時間など、詳しくは公式HPにてご確認ください。
竹久夢二伊香保記念館 公式HP
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