第496話 自分を冷たく突き放す
-【軽井沢にゆかりのある作家篇】池波正太郎-
Podcast
[2025.03.01]
軽井沢、「万平ホテル」を愛した、時代小説家のレジェンドがいます。
池波正太郎(いけなみ・しょうたろう)。
戦後の日本を代表する、時代小説、歴史小説の書き手であるだけでなく、味わい深く示唆に富んだエッセイでも有名です。
三大シリーズと呼ばれる、『剣客商売』『鬼平犯科帳』、そして『仕掛人・藤枝梅安』は、今も多くのファンに読み継がれ、何度も映像化されています。
池波が初めて軽井沢を訪れたのは、彼がまだ10代の頃でした。
小学校を出ると、家計を助けるため、すぐに仕事につき、13歳のときには、株式仲買店で働きながら、小説を書いていた池波。
友人と二人で行った夏の軽井沢は、ある意味、後の作家人生の伏線になるような、思い出深い旅になりました。
南アルプスで遊び、八ヶ岳山麓をめぐり、星野温泉に宿泊。
当時の軽井沢は、街並みに、江戸の宿場町の風情を残していました。
晩夏の街道に人影はなく、いかにも長脇差を腰に、さんど笠を被った「沓掛時次郎(くつかけ・ときじろう)」が歩いてくるようだったと、エッセイ『よい匂いのする一夜』に書いています。
『沓掛時次郎』とは、「股旅物」を世に広めた大家、長谷川伸(はせがわ・しん)の大人気戯曲。
そのときの池波は、のちに、自分が長谷川伸に弟子入りするとは、思いもしなかったことでしょう。
さらに、沓掛とは、江戸から数えて19番目の宿場で、そこは、現在の中軽井沢に位置します。
軽井沢は、池波の作家人生を支える、大切な場所になりました。
別荘を持たなかった池波ですが、特に軽井沢の「万平ホテル」は、彼にとって大きな存在でした。
10代で初めて「万平ホテル」に泊まったとき、年齢を偽って21歳としても、ホテルのひとは問いただすことはありません。
一人前の大人として扱ってもらったこと。
そのときの喜びと身が引き締まるような思いを、生涯、忘れませんでした。
池波は、師匠、長谷川伸に、いくつかの言葉をもらいますが、特に忘れられないものに、この言葉をあげています。
「絶えず自分を冷たく突き放して見つめることを忘れるな」
人情やユーモアを大切にして、常に弱い者の視点を貫いた池波の、根幹。
そこには、冷静に、己の生き様を見つめる眼がありました。
67年の生涯を「書くこと」に捧げた文豪・池波正太郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
作家・池波正太郎は、1923年1月25日、東京、浅草に生まれた。
父は日本橋の錦糸問屋に勤めていた。
池波が生まれた年に、関東大震災が起きた。
一家は埼玉の浦和に引っ越す。
やがて東京に舞い戻るも、父の商売がうまくいかない。
父は生来のおひとよしで、おまけに大酒飲み。
反対に母は勝気で働き者。
二人の間に溝ができ、離婚。
母に引き取られる。
江戸っ子で職人かたぎの祖父は、正太郎をたいそう可愛がった。
祖父に連れられて、よく芝居見物に通った。
チャンバラ映画と、少年向けの冒険小説を好んだ。
小学校を卒業するとき、担任は進学をすすめた。
成績は優秀。
絵を画くのもうまく、池波は将来、日本画の巨匠、鏑木清方(かぶらき・きよかた)の弟子になることを夢みていた。
でも、池波は家計を助けるため、株式現物取引の店に奉公に出た。
必死で、働く。
ちょっとした工夫で効率がよくなることを学ぶ。
空いた時間は、小説を読んだ。
のちにペンキ屋に就職するが、再び、株式仲買の店で働くようになる。
当時の株の世界は、投機性、博打の匂いが強かった。
そこで、まだ10歳になるかならないかの池波少年は、天国と地獄を見る。
池波正太郎が、幼い日、働いていた株式仲買店で見た、投資の現実。
店先で、泣き崩れる男。
財産を無くし、ものすごい剣幕で店にやってくる客。
一方で、儲かったひとは、気前よく、自分にチップをくれた。
お金に翻弄され、心を奪われていく大人たち。
中には身を持ち崩し、自ら命を断つものまであった。
子ども心に思う。
「そうか…お金ってやつは、恐ろしいんだな」
学校に行っても学べない、この世のリアル。
生と死。
それを最も体験したのは、戦争だった。
18歳の時、太平洋戦争開戦。
勤労動員として、芝浦の製作所に配属。旋盤工の技術を学ぶ。
岐阜の工場では、旋盤を教えるまで上達していた。
毎日の重労働。
そんな中でも小説を書き続ける。
雑誌に投稿。賞をとる。
時代小説を書くと、気持ちが楽になった。
戦局は、悪化の一途をたどる。
ただ、敗戦濃厚にもかかわらず、大相撲や芝居はいつもどおり開催されていた。
絶えず死を隣に感じながら、上官の叱責に耐え、小説を書いた。
理不尽に殴られ、なじられ、地面に頭をすりつけられても、池波は思っていた。
「ボクの心までは、誰も足を踏み入れることができない。
心だけは、ボクの意のままにある」
池波正太郎、横須賀海兵団、入団。
敗戦、死、崩壊。
そんな中にあって、唯一の収穫もあった。
それは、「こいつとだったら死ねる」という同士に出会えたこと。
究極の精神状態でも、我が信念を貫く、信頼できる仲間がいた。
人間の強さを信じられる気持ちになった。
ただ、終戦を迎え、新聞やラジオの手のひら返しには辟易した。
悲惨な戦争の片棒をかついだあと、急にかつての体制を叩く豹変ぶり。
マスコミとは、何か。
大衆をあおり、扇動する責任はないのか。
池波は、ますます創作に心をくだいた。
時代に翻弄されない、冷静な心で、物語を書きたい。
彼が選んだジャンルは、時代小説だった。
時代は違っても、そこには、真実があった。
どんなときにも必死に前を向く、庶民の強さがあった。
「人間は、生まれた瞬間から、死へ向かって歩みはじめる」
池波正太郎
【ON AIR LIST】
◆クーリー / ディジー・ガレスピー
◆ビー・クール / ジョニ・ミッチェル
◆鬼平犯科帳 オープニング・テーマ / 津島利章(作曲)
◆シング・シング・シング / ベニー・グッドマン
★今回の撮影は、「万平ホテル」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
アクセスなど、詳しくは公式HPにてご確認ください。
万平ホテル 公式HP
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