石丸:柄本明さん、今週もどうぞよろしくお願いいたします。
柄本:宜しくお願いします。
石丸:このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話をお聞かせいただけますでしょうか。
柄本:今日は、「芝居」についてです。
石丸:お芝居を始めたきっかけは?
柄本:やっぱり“そういう場所”に憧れたんじゃないんですか。僕なんかの時は、いわゆる「アングラ」みたいなことが出始めた時ですかね。
石丸:ということは、1965〜6年くらいですかね。
柄本:そうそう。それで、僕は都立の工業高校を卒業して会社に勤めたんですけども、会社の先輩とアングラ劇団みたいなところへ行きまして。早稲田小劇場というところでしたけど、それを観て“格好良い”というか、やっていることはよく分からないんだけど、あるエネルギーを感じたんでしょうね。
石丸:エネルギーね。
柄本:まあ、あれですよ。青春の誤解ですよ(笑)。
石丸:そうですか(笑)。
柄本:でも、そうじゃないですか。何かその場所が格好良く見えたり。それとその頃は学生運動ですね。
石丸:そういう頃ですよね。みんなのエネルギーがウワーッと高まってて。
柄本:そう! だからそんなこともあったんじゃないですかね。“若い人が何かやらなくちゃいけない”みたいなね。それで、やたらそういったことを喋る風潮がありましたね。
石丸:「アジる」とかね、あの時代は。
柄本:論破するとかね。そういうのが格好良かった。
石丸:柄本さんが触発された頃って、アングラが、始まって一番盛り上がってる時期になるんですかね。
柄本:そうですね。唐(十郎)さんの「状況劇場」とか、寺山(修司)さんのところ(「天井桟敷」)とか。それと「自由劇場」とか。
石丸:串田和美(かずよし)さんですね。
柄本:私の師匠です。
石丸:そういうことになりますか!
柄本:師匠ということになります(笑)。
石丸:じゃあ地下の劇場、アンダーグラウンド。そこに集って。
柄本:僕も4年くらいいたんですけどね。あの地下の劇場は50人も入れば一杯ですよね。小さい所で。
石丸:(舞台の)熱も客席にバンバン伝わるし。
柄本:伝わってたのかな…どうなのか分からないけど(笑)。
石丸:そういうところからスタートされて、柄本さんは「東京乾電池」をご自分で結成されて。これはどういうことがやりたくて劇団を立ち上げられたんですか。
柄本:自分の歴史で言うと、最初は「マールイ」という劇団に入ったんですよ。新劇というか、そこはそんなにお芝居をやっていなかったから、それでNHKの大道具のアルバイトで生計を立ててましたね(笑)。
石丸:そうなんですか!
柄本:それが結構給料が良かったんですよ。それで、“このまま大道具とか舞台の裏方をやっていくのかな”なんて思っていて。それであるお芝居のお手伝いに行った時に、そこは串田(和美)さんとか吉田日出子さんとか佐藤B作とか、笹野高史とかが出ている芝居だったんですよ。
僕は大道具だったんだけど、串田さんに声をかけてもらったんですよ。「稽古をするんだけど、君もうちの稽古場に来ない?」なんて言われて。
石丸:「何か作りに来てよ」じゃなくて、「出てみない?」っていう。
柄本:そうです。それで、なし崩しにその劇団に入っちゃったんです。
石丸:なし崩しに(笑)。
柄本:その時にいたのが、高田純次、ベンガル、イッセー尾形、萩原流行とか。
石丸:そうそうたるメンバーですね。
柄本:そういう人たちがいたんですよ。だからそこでやっていて、4年いましたかね。それで、串田さんの作る芝居って、ハイソ…ハイソじゃないな。何か、串田さんの作る世界がとっても上の方にあってね。僕らは「もうちょっとそこにあるもので良いんじゃないか」みたいな。「ここにあるんだから、ここにあるご飯を食べちゃおうよ」「そんな素晴らしい料理は作れないし」みたいな。まあ、串田さんの才能は物凄いんですけど、こちらからすると眩しいというか。“もっと下世話なものをやりたい”と。
石丸:なるほど。
柄本:それで、僕らの劇団の前に佐藤B作が「東京ヴォードヴィルショー」というのを作っていて、くだらない芝居を作っていたんです。だけど、すごいエネルギーがあって。まあ、そんなこともあって自由劇場を逃げましたね(笑)。
石丸:“逃げました”って、その言葉は(笑)。
柄本:その頃、全学連とかの時代だったから、逃げたら追ってきましたね(笑)。
柄本・石丸:(笑)。
石丸:逃げ切れましたか?
柄本:逃げ切った。ま、どっちにしたって辞めるわけですからね。
石丸:そうですよね。
柄本:そんなこともありました。
石丸:じゃあ、(自由劇場の)中にいる何人かで一緒に抜けていった、と。
柄本:そうですね。
石丸:そこで立ち上げたのが「東京乾電池」ということですね。いわゆる「そこで飯を食っている」ようなお芝居からスタートされたんですね。
柄本:要するに、くだらない芝居をやりたかったんですよね(笑)。
石丸:話は変わりますが、私 以前に志村けんさんと柄本さんが食堂での即興劇をやってらっしゃった映像を見たことがあるんです。あれはすごく面白かったんですけど、あのお題はどちらが出されたんですか。
柄本:志村さんです。もちろん即興の部分はあるんですけど、台本はあるんです。
石丸:ありましたか。
柄本:志村さんとの仕事は怖かったですね(笑)。
石丸:(笑)。相手が(台本に)書かれていることにプラスαしてくるじゃないですか。僕は拝見していて、柄本さんは志村さんを凌いでいたような気がしたんですけれども。
柄本:いえいえ。
石丸:その場で起こることを楽しむという意味では、やっている人の熱を感じるんですよね。
柄本:そうですね。怖いですね。
石丸:怖いですか。
柄本:志村さんとのお仕事は何本かやらさせていただきましたけど、本当に毎回怖いです。
石丸:どういう怖いことが思い出されます?
柄本:スタジオにいるスタッフがお客になるんですよ。だから、台本は志村さんがちゃんと作るんですよね、一応。志村さんは朝から出ずっぱりですから、昼食や夕食の空いている時間に僕が志村さんの部屋に行ったり、志村さんが僕の部屋に来たりしてちょっと合わせるんですよ。それであとは本番ですからね(笑)。
石丸:ネタ合わせ1回くらいで本番ですか。
柄本:台本は2〜3回読んで、「じゃあ、こんな感じで」。だから僕、志村さんとはほとんど口をきいてないですよ。
石丸:えっ!
柄本:のべ30年、40年出させていただきましたけど、本当に「おはようございます」と「お疲れ様でした」くらいです。
石丸:その当時のスタイルなんですかね?
柄本:どうなんですかね。志村さんもシャイな方だから。
石丸:あの方もあまりお話にならないと伺いますけど。
柄本:若い女の子はからかったりしてますけどね(笑)。
石丸:(笑)。じゃあ、特に芝居の話をするわけでもなく、現場だけでトンッとやって。
柄本:そうですね。怖いですよ(笑)。
石丸:怖いですね(笑)。
柄本:あんなもん、笑ってもらえなかったら…“くだらない”という言葉が正しいかどうかだけど、くだらないことをやっているわけじゃないですか。
石丸:当時は生で撮ってトンッと放送することが今より多かったじゃないですか。
柄本:そうですね。
石丸:より真剣勝負。
柄本:収録にしても「生」ですからね。一発勝負ですから。怖い、怖い。
石丸:そういう怖いご経験をずっとされて。でもそれは、ある意味楽しい作業でもありましたか。
柄本:そうですね。だからありがたいですよね。
石丸:僕ら最近の俳優はそういうものに強くないというか、打たれ弱い人が僕も含めて多いと思うんですけど、当時は「現場が育てる」という風潮だったんですかね?
柄本:そうですね。もちろんそんなピリピリした雰囲気というわけじゃないけども、真剣勝負でしたね。で、かなわないんですよね。かなわないということが本当に良く分かるんですよね。
石丸:そうですか?
柄本:一応ゲストで出ているわけだし、志村さんはこちら側にサービスしてくれていたんじゃないですかね。
石丸:なるほど。
柄本:だけど、怖いですね(笑)。すいません。
石丸:(笑)。とんでもないです。