石丸:中嶋朋子さん、これから4週にわたりどうぞよろしくお願いいたします。
このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話をお聞かせくださいますか。
中嶋:今日は「wonder(ワンダー)」、“追求すること”についてです。
石丸:僕にとっては「wonder」ってあまり聞かない言葉なんですが、どういうことなんでしょうか?
中嶋:そうですね。「wonderful(ワンダフル)」とか言いますけど、“疑問に思う”とか、“知りたい”とか、“好奇心を持つ”というようなこと。“なんて不思議なんだ!”とか思う感性を、キラキラさせる感じですかね。
石丸:いわゆる、“好奇心が湧き上がってくる感覚”?
中嶋:小さなお子さんの中には普通にあるような、“あれ何? これ何?”という感じをすごく大事にしているんです。
石丸:大人になると、そういう感じってどうしても少なくなってきちゃいますよね。
中嶋:そう。“当たり前”って思っちゃうじゃないですか。
石丸:確かに。
中嶋:それを“え、どうしてだろう。なんでだろう”とか、“これって不思議なんじゃない?”って思うと、いろんなものが増えていく気がするんです。
石丸:例えば、最近はどういうものがありました?
中嶋:北海道で「ハマナス」というすごく良い香りのバラ科の植物が育つんですけど、無農薬で大切に育てているご夫婦から送って頂いた、食べられるバラ。
石丸:食用の?
中嶋:そう。それでジャムを作る会があったんです。その時に、お友達がバラの説明をしてくれたんです。バラの花の「がく(萼)」の部分って分かります? お花の下、茎とつながっている接続部分。
石丸:何か、緑のチョッチョッとした。
中嶋:がくの部分は、「五芒星」のような、いわゆる星の形で5枚出てるんです。その5枚それぞれに、更にヒゲみたいに枝分かれした葉っぱのようなものが出てるんですけど、両側に生えてる子(がく)が2枚で、片方だけの子が1枚で、全く生えてない子が2枚いるんです。
石丸:そういう風に決まっているんですか?
中嶋:品種改良が進むとそうならないらしいんですけれど、基本的には、その5枚のがくのヒゲの生え方が、みんな揃っているんですって。“え、みんな!?”って、ちょっとびっくりするじゃないですか。
石丸:しますね。
中嶋:そういうのを逃がさず、いちいち立ち止まるんです(笑)。“えっ、なんで?”って。そうするとお話も弾むじゃないですか。
石丸:そうですよね。僕は、花だったら、がくじゃない上の部分しか見てないですよ。もしくは中の雄しべや雌しべは見るんですけど、“がくを見る”って感覚があんまりなかったなぁ。
中嶋:ないですよね。言われないと分からないし。
石丸:分からない。
中嶋:「5枚あるんだ。ヒトデとか星みたいだね」って。“星みたいだね”ってところからロマンが広がるじゃない? その1枚1枚もそれぞれ違うけどみんな同じように揃ってるって聞くと、そこに“自然の法則があるんだなぁ”って。
石丸:自然の法則ね。
中嶋:はい。自然の法則とかも好きで。そういうのは「フィボナッチ数列」って言うんですけど(笑)。
石丸:初めて聞きました。
中嶋:双葉が出たりする、芽が出て膨らんで、みたいなものは、数字上(生え方、分かれ方が)決まってるんですよ。1、1、2、3、5、8という順番で、枝が分かれるのもその順番で分かれると言われているんです。1と1を足して2になる。今度は1と2を足して3になる。2と3で5。3と5で8…っていう。
石丸:自然界の法則ですかね。
中嶋:ビックリじゃないですか?
石丸:ビックリです。面白い!
中嶋:全部が当てはまると思わないけど、そういうのを知るとワクワクして、いちいち見たくなるとか、あるじゃない?(笑)
石丸:分かる。それをwonder、追求しているということですね。それは子供の頃からそうでした?
中嶋:わりとそうですね。小さい頃から芸能界にいて…私たちの仕事って「待つ」のが仕事じゃないですか。
石丸:そうですね。
中嶋:小さい時に「待つ」ってなかなか出来ないですよね。本当におちびさんの頃からやっていたので、その時に“待ちながら空想する”っていうことがどんどん発達しちゃった。どうしても立ち位置があって、その場所にいなきゃいけなかったりしますよね。それでも頭の中は自由だから、“あれって何だろう?”“あの雲はあの形に見える”とかそんなことばっかり考えてました。
石丸:想像力豊かというか。
中嶋:そうですね。どこまでもぼんやりしちゃうっていう感じ(笑)。
石丸:そんな中嶋さんは、映画や舞台はもちろん、声の仕事もやっていらっしゃいます。声の仕事は中嶋さんにとってどういうものですか。
中嶋:すごく好きですね。ラジオも“情報が声だけ”という部分で、皆さんが空想してくださるじゃない? 共有するために“こうしたら分かっていただけるかな”とか言葉を尽くすことはもちろん楽しいし、あとはポンと(言葉を)投げちゃって、“皆さんがどんな風に感じてくれたかな”とか“全然違う空想が生まれてるんだろうな”と思うと、面白くて好きなんですよね。
石丸:そうなんですね。片や演じてる時って、台本があって、決まった言葉を喋っているじゃないですか。それとは真逆な仕事ですよね。
中嶋:そうですね。
石丸:(仕事によって)働かせるもの(意識)って変わるんですか?
中嶋:(声の仕事は)映像的な表現が無い分、難しいなとも感じますね。「伝える」っていうこととシンプルに向き合う必要がある、という感じもします。けど、(思考)回路としてはどうかなあ。声って、演技しようとしても実はわりと出来ないじゃないですか。
石丸:そうなんですよね。
中嶋:なので、諦める(笑)。
石丸:(笑)。そこは大事ですね。
中嶋:でも、すごく思うんですよね。人と人が向かい合って喋っていても、意外と深いところまで分かっているようで、分かってないじゃないですか。
石丸:それはそうですね。
中嶋:“共通の認識まで行けていない”ということを感じられるから好きなんですよ。分かったつもりになっちゃって、「なんで分からないの?」って争いになったりするじゃない? 分からなくって当たり前。
ラジオのお仕事は、(想いを)届けるのが大変で、しかも相手の人によって解釈が違うから、それを楽しまないと難しいと思うんですよね。“これはこう分かってもらわなきゃ”と思ったら無理だから。
石丸:そうですよね。
中嶋:“良い諦め”を学べるから、人間関係にも応用出来て、“あ、今伝わってないな”とか。諦めるって響きがアレだけど、手放してみる。surrender(サレンダー)っていうのかな。
石丸:手放してみる?
中嶋:そう、手放しちゃう。投げっぱなしとも言いますけど(笑)。
石丸:(笑)。
中嶋:まあ、“感じるのはご自由に”という。
石丸:そうですね。聞いている人がどう思うかによりますし、いろんな感性がありますからね。
中嶋:そうなんですよ。だから、意外と自分で(感じ方を)コントロールしようとする方が小っちゃいなっていう。TOKYO FMさんでもラジオ番組を長くやらせていただいたんですけど、それは自分にとってはすごく宝物ですね。
石丸:今はラジオでのお話ですけど、朗読劇や朗読会もおやりになってらっしゃいますよね。
中嶋:「朗読」って言うと“本を読んでくれるんでしょう”みたいに思われちゃうとすごくもったいなくて。本があることによって自由になるんですよね。“読んでいるんだから(情景は)自分の頭の中で想像して良いのね”って、お客様も思えたり。声に身を委ねていればいいから、1人で朗読する時は1人芝居みたいになりますけれども、“お芝居を全部見落とさずに見なければ!”というプレッシャーからもお客様は解放される、というか。
石丸:声に身を委ねる。そうですね。
中嶋:それって結構素敵で、音楽家の方と即興的な朗読劇みたいなものをやったり。
石丸:音楽も即興?
中嶋:そう。「仕立て屋のサーカス」という、“全部即興”という舞台をよくやっているチームがいるんですよね。彼らのチームに参加させていただく時は、何も決めずに「こういうことをやりたい」「こういう世界観にしたい」ってことだけ言って、みんなで「それ良いね」で“よーいドン”でやるっていう。
石丸:それは楽しいですね。
中嶋:そうなんです。舞台とかを観に来てくださるお客様が、“正解を求める”というか、「これは一体何を持って帰ったらいいの?」とか「これってこういうこと言ってるんだよね?」と皆さんおっしゃるんだけど、「いや、自由なんですよ」「好きにどうぞ」って。だから、日本のお客様にそういう“自由に観て良い”っていう環境をいっぱい作りたくて、その活動の一環なんです。
石丸:それは僕ら日本人に1番足りてないところなのかもしれない。“決まったところに乗ってなきゃいけない”とか“みんな同じものを見てなきゃといけない”という無意識のルールがあるじゃないですか。
中嶋:皆さん真面目だしね。
石丸:それを1度脱いじゃう!
中嶋:そう。もう好きに。分からなかったら分からなかったで良いし、その声が聞きたいっていう。
石丸:それは素敵な活動だと思います。