石丸:森田正光さん、今週もどうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“場所”についてお伺いしております。今日はどんなお話を聞かせて頂けますか。
森田:今日は「場所」についてです。
石丸:その場所はどこでしょう?
森田:「赤坂氷川町」です。
石丸:そこには何がありますか?
森田:勝海舟が住んでいたお屋敷の跡。今、特別養護老人ホームになっているんですけど。
石丸:僕、時々あの辺りを移動するんですけども、像が立ってますよね?
森田:それです!
石丸:勝海舟と、もう一人は…。
森田:坂本龍馬です。師弟の銅像が立っているところに、勝海舟が住んでいたそうです。
石丸:あそこですか!
森田:今から百数十年前の、明治の終わりまでですかね。
石丸:そこにはどんな想いがあって行かれるんですか?
森田:昔『氷川清話』という本を読んだんですね。それは、勝海舟が銅像のある氷川に住んでいる時に、いろんな人にいろんな話をしたことが本になっているんです。そこですごく印象に残ったのが、「俺はこの世の中で恐ろしい人物を2人見たことがある」って(勝海舟が)言ってるんですね。1人は西郷南洲、いわゆる西郷隆盛ですね。彼とは無血開城をやりましたよね。
石丸:そうですね。
森田:もう1人は、暗殺されてしまうんですけど、「横井小楠だ」と言うんですね。横井小楠は元熊本藩士で福井の方へ行くんですけれども、この横井小楠の何がすごいかというと、理路整然と常に相手を論破して、どんなことでも“なるほどな、小楠の言う通りだよな”と、みんな思うんですって。
石丸:“ディベートの達人”ってやつですね。
森田:そうですね。ところが勝海舟がすごいと思ったのはそこではなくて、論破した後に必ず「でも、明日は違うことを考えているかもしれない」って言うんですって(笑)。
石丸:本当ですか(笑)。
森田:これが“すごい”と思うのはどういうことかというと、我々天気予報をやっている側も、“今日の段階では梅雨前線がここにあるからこうなってくる”とかいろんなことを考えて“明日は雨だ”と思ったりするんですが、その次の日に晴れていたら、昨日まで考えていたいろんなことは全部捨てないと駄目じゃないですか。
石丸:そうですよね。
森田:昨日の予測では雨だけど、今日は実際に晴れているんだから、弁解しようもなく、晴れからいかないといけないじゃない。
石丸:そこですね!
森田:横井小楠はまさにそういうことを言っていたと思うんですね。西洋のこととか近代的なことを色々と知っていて、「状況が変わったら昨日のことなんかどうだって良い」って言ってるわけですよ。
石丸:すごいですね。大胆ですけど、そういうものですものね。今日何が起こるか分かりませんしね。起こったことによって変わるんですからね。
森田:だからそれ以来、座右の銘を聞かれると、そのままじゃないんですが、「明日は明日」って書くようにしてるんですよ。
石丸:深いですね。
森田:皆さん、「明日は明日の風が吹くからね」というような感じ(意味)でとっていただいて。それで良いんですけれども、本当は、若い頃に薫陶を受けた勝海舟の『氷川清話』という本の中の横井小楠の一節を取っているんです、という。
石丸:それは興味深いお話ですね。ちょっと私も読んでみたいなあ、その本。
森田:今は文庫本で売っていると思います。この「氷川清話」は、明治の時代のいろんな人のことについて書いてあるんです。例えば、「福沢諭吉がこういう人間だ」とかね。歴史の好きな方には結構面白いと思いますね。
石丸:そうですね。私も(大河ドラマ『青天を衝け』で)大久保利通をやった身ですので、その時代を振り返ってみたいと思います。
話は変わりますが、森田さんは気象業界の前線で40年以上活躍されていらっしゃいますよね。お天気は昔から興味ありましたか?
森田:全く無かったです(笑)。
石丸:では、どういういきさつで?
森田:僕は愛知県名古屋市出身なんですが、高校を卒業した後の進路をどうしようかと思った時に、大学の滑り止めみたいな感じで、気象協会というところの試験を受けたんです。そしたら受かっちゃったんですよ。
石丸:そうなんですね。
森田:別に好きでも何でもないです。でも、“1〜2年ここで働いて、その後浪人して大学へ行った方がお金が貯まるし、良いよね”みたいな、それくらいの動機で入ったんです。
石丸:じゃあ、気象のことは(気象協会に)入ってから学びだしたということですよね。
森田:そうですね。
石丸:当時、気象予報士という資格はあったんですか?
森田:いえ、気象予報士というのは1994年から始まった制度で、1994年に第1回の試験が行われました。だから(当時は)まだそういう制度が無くて、気象庁が唯一の天気予報を出す機関だったんですね。
気象協会は“気象庁が出した予報を皆さんにお伝えする”という広報みたいな役割をしていたところなんです。
石丸:そういうところだったんですね。
森田:名古屋で採用された後に、「3年間だけ研修に行ってこい」ということで、東京に来たんです。そうしたら、自慢になりますけども、その3年間にラジオに出て、いろんな方からお葉書や電話でいっぱいお褒めの投書をいただいたんです。「あれは良い」とか。
石丸:それは、どこが良かったということだったんですか?
森田:「面白い」って。例えば、土居まさるさんがパーソナリティの時に、土居さんが「今週末は?」って言ったので「野球を観に行きます」って言ったら、「あんたね、天気を聞いているんだよ」って(笑)。
石丸:(笑)。それは、ラジオの中のお天気コーナーでの話ですよね。
森田:それは、掛け合いだったものですから。今回でも分かるように、私、無駄口ばかり喋るじゃないですか。当時はそういうのが無くて、その無駄口を「面白い」とか言われて。
それでそのうちに「テレビに出てみない?」と声をかけられて。28(歳)の時ですから、それ以来43〜44年、こんな感じでやってますけど(笑)。
石丸:ということは、名古屋にはお戻りにならずに?
森田:はい。帰る話も無くなっちゃって。それで42(歳)の時に気象協会も退職して、「ウェザーマップ」という会社を作って。
石丸:こちらはどういう会社なのか教えていただけますか。
森田:気象会社なんですけれども、多くのお天気キャスターを抱えていて、今は全体で160人くらいいます。
石丸:そういう方は、どういうところへ行ってお仕事を?
森田:いろんな放送局で。テレビやラジオをつけた時にパッと出ているお天気キャスターの半分近くは、ウェザーマップ所属です。“半分近く”は大袈裟かな。3分の1位にしておこうかな(笑)。
石丸:でも、所属の方が日本中にいらっしゃって、放送局で(天気予報を)伝えていらっしゃるということですね。
森田:そうですね。
石丸:昔、ラジオを聴いている時に、天気の細かいデータを読み上げている番組があって。
森田:NHKの第2放送ですね。
石丸:ああいうのを聴いていて、その日の天気がバーッと見えてくるものなんですか。
森田:見えてくると思いますね。というか、私はそうでしたね。
石丸:あれは、本当に謎だったんですけども。今も、そういうものから予報をしていらっしゃるんですか。
森田:今は全く違いますね。
石丸:どう違うんですか?
森田:今は、そのラジオの放送そのものが無くなっています。ほとんどの予報士というのは、“数値予報”といって、気象庁から入ってきたデータを図に表現されているものを見ながらやっていたり、あるいは天気そのものがもうすでに決まっていて、例えば今日だったら、「曇り曇り晴れ曇り、気温は何度」って、答えが出てくるんです。
石丸:答えが出ちゃうんですか! AIとか?
森田:そうです。実はAIが絡んでいて、あらゆるものが既に決定的に出てくるんですね。
石丸:ということは、(気象)予報士さんのお仕事は何になるんでしょうか。
森田:何もないです(笑)。
石丸:そんな(笑)。
森田:僕、思うんですけど、今、お医者さんも診察とかはAIとか使ってしていますよね。
石丸:そうですよね。
森田:だけど、決定権を誰がするのって話ですよね。もちろん本人が手術をするかどうかを決めるんですけど、その明確なサジェスチョンをするのはお医者さんですよね。だから(予報士も)そういう役割に似ているんですかね。
石丸:じゃあ、分析したり解析したりするのはコンピューターがやったとしても、「天気を決めて伝える」という、我々に一番近いところにいらっしゃるのが予報士さんですか。
森田:そうです。例えば、コンピューターから「これから30ミリの雨が降る」という予報が出てきますよね。それをお伝えした後に、「30ミリの雨が降るとどういうことが起こるのか」「風はどうなのか」「この後どうしたらいいのか」というようなところをお伝えするのが、我々の仕事。
石丸:そこが一番大事ですね。