石丸:山田五郎さん、これから4週にわたり、どうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますか。
山田:今日は、昔、父からもらった「ルイス・キャロル全集」という本についてですね。
石丸:あの「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルですよね。それはいつ頃ですか?
山田:これがですね、中3から高1になる時なんですよ。
石丸:では、お父様は文学者でいらっしゃったとか?
山田:いえ、うちの父はいわゆる“企業の英語屋”っていうやつで、ずっと海外に赴任していたんです。その時はたまたまイギリスに赴任していて、一時帰国する時に「お土産は何が良い?」って言うから、ナンサッチ版っていうのが当時の定番の全集だったんですけど、「ナンサッチのルイス・キャロル全集」って言ったんです。そしたら、ロンドンで古本とか稀覯本(きこうぼん)を扱っているヘンリー・サザラン (1761年創業の世界最古といわれる古書店)という店があるんですけど、そこにちょうど特装版の装丁の物が出てたので、買ってきてくれました。
石丸:すごいな。綺麗ですね。金のうさぎが裏表紙になりますか?
山田:こちらの「金のうさぎ」が表紙で、裏表紙は「チェスのクイーン」ですね。黒の女王ですね。
石丸:本当だ!皮をきっちり使って、そして天金ですか?
山田:“三方金”と言うんですけどね。
石丸:すごいなあ。山田さん自ら、「この版のこれが良い」ってお願いされたんですか?
山田:いや、この装丁じゃないんですよ。これは特装なんですよ。
石丸:特装ですか。
山田:ヨーロッパって、本はすごく簡易版で出るんですね。それを自分で買って装丁家に出して自分の好きな装丁にするわけですよ。
石丸:そういうことなんですね。
山田:だから金持ちだと全部同じ装丁で綺麗に揃ってますでしょ。
石丸:確かに! 揃ってますね。
山田:あれは同じところに出して同じ装丁にさせてるんですよ。
石丸:そういうことだったんですね。
山田:その時は中身(ルイス・キャロル全集)に興味があって頼んだんですけど、“外側の装丁も面白いな”っていうことで、これをきっかけに自分で文庫本を皮に装丁したりするようになりましたね。
石丸:そうなんですね。こうやって見るとこれは美術品ですね。
山田:機械がないから、今は「金箔押し」ってのが、なかなか出来ないんですよ。(印刷の)活字が無いと字が押せないじゃないですか。もう活字が無いですし…みたいな(笑)。
石丸:そうですね。じゃあ、お父様はそれをどういう想いで買い求められたんですかね?
山田:いや、“面倒くせえな。重たいものを頼みやがって”と思ってる(笑)。「お前、これ全部読めるのか?」って言って。ルイス・キャロルって難しいんですよ。話が難しいんじゃなくて、ルイス・キャロルは「不思議の国のアリス」、「鏡の国のアリス」ともう1つ、「かばん語」っていう概念を作ったことで有名なんですよ。
石丸:かばん語?
山田:「portmanteau word」って言うんですけど、2つの言葉をくっつけたやつ。例えば、これはルイス・キャロルが作った言葉じゃ無いですけど、「smoke」と「fog」をくっつけて「smog」とか、こういう合成語。ルイス・キャロルが作ったので有名なのだと「lithe」と「slimy」っていう言葉をくっつけて「slithy」だっけかな。
石丸:それはどういうもの?
山田:そういう怪獣を形容する言葉が出てくるんですよ。その怪獣を形容するのに、岩崎民平先生という英文学者の方、は「粘(ねば)らか」って、“ネバネバしててなめらか”って訳したのかな。そういう訳が面白くて。
石丸:そうですね。
山田:もともとルイス・キャロルは数学者なんで、なにかそういう論理的なナンセンスというのが、いっぱいあって面白いんですよ。
石丸:“この言葉はなんだろう”って、その都度引っかかってしまいそうですよね。
山田:そうなんですよ!
石丸:(全集は)完全に読み切りましたか?
山田:いや、これ(全集)は詩も結構あって全部は無理ですね。当時、「不思議の国のアリス」、「鏡の国のアリス」は翻訳が出てたんですけど、もうひとつ「シルヴィーとブルーノ」っていう結構な長編があるんですが、その翻訳がまだ出てなかったんですよ。それを読みたかったというのもあって、まだ高校に入ったばかりのくせに、“俺が訳したら良いんじゃないか”くらいのことを考えたんです(笑)。けどすぐに柳瀬尚紀先生の訳が出ちゃったんですけどね(笑)。
石丸:でも、まだ誰も訳したことの無いものって魅力ありますよね。
山田:そうです。
石丸:改めて「ルイス・キャロルの魅力」というのはどういう所にあるんですか。
山田:ルイス・キャロルだけじゃないんですけど、彼が生きたヴィクトリア時代、19世紀末のイギリスがすごく面白いです。産業革命以後で近代化がガンガン進んでいる反面、妖精とかオカルトとかも大ブームなんですよ。その両面がある。ルイス・キャロル自身も元々は数学の先生なんですよ。だから非常に論理的なんだけど、さっきのかばん語みたいな、論理を突き詰めたナンセンスもある。近代化と妖精、論理とナンセンスみたいな対比が面白いですね。
石丸:時計が出てくる段階で、“とても近代的なのかな”と思ったりしてたんですけど。
山田:でも、うさぎが時計を持ってる時点で、“近代的”と“妖精的”ですよね。
石丸:まさにそうですね。話は変わりますが、山田さんの経歴を拝見しました。「ホットドッグ・プレス(Hot-Dog PRESS)」(1979年に講談社から創刊された男性向け情報誌)は僕もよく読んでました。
山田:そうですか!
石丸:その編集長だったということは、ご自分の趣味が高じてそういう仕事に就かれたんですか?
山田:いや、全然。美術の歴史、美術史を大学の時にやってましたので、美術の本を作ろうと思ってました。就職の面接の時は結構そんな感じの話になってたんですけど、実際に配属されると雑誌の現場で(笑)。
石丸:最初は雑誌に?
山田:「最初は雑誌からだ」とか言って、ずっとそのまま雑誌でしたよ(笑)。
石丸:それは、(雑誌を作る)腕があったからだと思うんですけど。
山田:いやいや(笑)。雑誌は人手が一番要りますからね。
石丸:でも僕はワクワクするような情報がいっぱい入ってたので、手に取りたくなる雑誌だったんですけどね。
山田:ありがとうございます。
石丸:山田さんが編集されてたっていうのを今、知って。
山田:そうですか。大変でしたけどね(笑)。
石丸:どんなところが?
山田:情報量が桁違いに多くて、それも全部アナログでやってましたからね。
石丸:そうですよね。
山田:1冊に商品2000点とか撮影するのに、ずっとスタジオに泊まり込みだったりとか。今みたいなデジタルじゃ無いですからね。全部フィルムでやってますから(フィルムから)選んで切り出しやって、袋に入れて。
石丸:すごい。全部手作業ですね。
山田:全部手作業ですね。だから本当に大変でした。
石丸:ホットドッグ・プレスはファッション雑誌でもありますよね。山田さんにとってファッションというのは?
山田:ファッションの担当になって、ずっとそうだったんですけど、特に興味も無かったんですよ。
石丸:そうですか。
山田:嫌いでもないけど、そんなに好きでもなくて。ファッションって一番大変で一番報われないですから。
石丸:どういうところが報われないですか?
山田:だって、流行りがあれば、何もしなくたって売れるんですよ。
石丸:そうですよね。
山田:ファッション雑誌って、流行りがない時は何をやったって売れないんですよ。
石丸:流行りの種を撒くのがファッション雑誌の仕事なのかなあと僕は思ってたんですけど。
山田:いやいや、種なんて俺らが撒かないですよ。
石丸:そうですか。
山田:種を撒くのは洋服屋さんですよ。メーカーさんなり、ブランドが種を撒きますよね。我々の仕事は、その中で伸びそうなやつを良い具合の時に見つけてそこに水やることは出来ても、メディアには火を起こすことは出来ないですよ。
石丸:そういうことですね。
山田:火を大きくすることは出来るけど。モノは作ってないですからね。
石丸:確かに。
山田:みんな流行ってメディアが作るとか言いますけど、無理です。例えばファッションでも、1つのものが流行ろうとして、その時に供給がうまいこといかないと、(流行が)消えちゃうんですよ。だから輸入ものだと、そうやって流行りそうで消えたものをいくつも見てきましたよ。
石丸:そうですか。
山田:だから、物の力とかメディアの力とかだけじゃなくて、流通とか供給って、流行を作る上ですごく大事なんですよ。それが噛み合った時に初めてブームが生まれる。いくらみんなが欲しがっても、(物が)無かったら売れない。
石丸:ですよね。でも、ファッションに対する「執着」、「好き」っていうものがまずベースにないと、雑誌でも取り上げにくいじゃないですか。
山田:そうですね。
石丸:ファッションには、そんなに興味なかったと仰ってますけど。
山田:やっぱり本当に好きでやってる奴には敵わないですからね。それはやっぱ好きになるしかないですよね。
石丸:なるしかない?
山田:なるしかないですよね。
石丸:ご自分の中ではすんなり好きになれましたか。
山田:まあ、仕事だからということで。よくみんな「仕事だから嫌でもやる」とか「好きじゃないけど仕事だからやる」って言うじゃないですか。
石丸:はい。
山田:だけど、少なくとも僕らがやってた仕事っていうのは、“好きになること自体が仕事”なんですよ。好きとか嫌いって自分の意思でどうにもならないもののように思えてるけど、意外にそんなことないですよ。自分で前のめりに好きになっていこうと思えば、大概のことは好きになれますよ。
石丸:これを聞いてらっしゃる方にも、良いヒントになるかもしれませんね。
山田:特に雑誌でやっていることって、人気があるからやってるわけじゃないですか。世の中にファッションが好きな人が一定数いるから、ファッション雑誌を作ってる。それだけ興味がある人がいるんだから、自分もそこに興味が持てないはずがないですよね。
石丸:そうですよね。
山田:と思ってやったら、面白くもなってくるってことですよね。