石丸:上原浩治さん、今週もよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”をお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせくださいますか。
上原:今日は「我慢」という言葉についてです。
石丸:我慢。なぜこの言葉を大切にされているんでしょう?
上原:これは、ジャイアンツ時代の先輩の村田真一さんからいただいた言葉なんですけども。
石丸:名捕手ですね。どういう時にいただいた言葉ですか?
上原:村田さんが引退する時に、キャッチャーミットをいただいたんです。そのキャッチャーミットの中に「我慢」っていう言葉を書いていただきました。その言葉をいただいてから、自分のグローブにも「我慢」という言葉を入れるようになりました。
石丸:入れるというのは、焼印?
上原:そうですね。毎回グローブを作る時には、「我慢」という言葉をグローブの中に焼印しています。
上原さん使用のグローブ
石丸:上原さんにとって「我慢」っていうのはどういう意味になりますか?
上原:調子が悪い時に我慢するのは当たり前だと思うんですけど、「調子が良い時も我慢しろ」ということを(村田真一さんに)言われたので。
石丸:それはなぜですか。
上原:調子が良くて(良い)成績を出していると、周りに人が寄ってきますよね。必ず。でも、自分が練習や試合をした後に食事の誘いがあっても、必ず自分の体の手入れをちゃんとしてから行きなさい、そういうお誘いを我慢しなさい、と。
石丸:そこですね! でも普通はホイホイ喜んで行きますよね(笑)。
上原:そうですよね(笑)。でも、そういうのはまず自分の体のケアをしてから。野球の成績を出すのが一番だから。それで食事の誘いとかが来なくなるようなら、そういう人とは付き合うなっていうことですよね。
石丸:大事な言葉ですね。
上原:「調子が良い時に我慢」というのは、僕も本当にびっくりしました。“そういうことか!”って考えさせられました。
石丸:「我慢」っていうのはネガティブな感じに聞こえますけど、そうじゃなくて、色んな状況で我慢すれば良いことが来るってことですよね。
上原:調子が良い時でも我慢をしておけば、ずっと同じような成績が残せるんじゃないかなっていう。
石丸:だからこそ現役を44歳まで続けられたんですよね。これは野球選手だけじゃなくて、色々な業界で頑張ってる人がみんな持つべき言葉でしょうね。
上原:(調子が)良い時っていうのは、自分でも気付かずにホイホイ色んな所に行ったりするかもしれないので、そこは1回立ち止まって。
石丸:勇気も要りますね。
上原:そうですね。やはり勇気も要りますね。でも、実績を残すことが一番大事なことですから。
石丸:プロですね。引退会見では村田真一さんの他にも素晴らしい先輩から言葉をいただいたと伺っておりますけど、どういう方からどんな言葉をいただきましたか。
上原:僕が長く現役でいれたのは、今はソフトバンクの監督をされている工藤(公康)さんのひと言が大きかったですね。
石丸:どんな時の言葉ですか。
上原:現役で一緒にジャイアンツでプレーしていた時に、僕が先発で伸び悩んでいた時期に、“新しい球種、変化球を覚えたい”って相談しに行ったんですね。そしたら工藤さんが「今、自分が持ってるボール(球種)を磨いて、もう1段レベルをあげなさい」って言ってくれたんですね。
石丸:そう言われて、どう思いましたか。
上原:そこは本当に素直に“あ、そうか”ということで従いました。自分が持っていたフォークボールを磨いて、真っ直ぐも、もっとキレが良いようなボールが投げれるように磨きました。アメリカに行って中継ぎや抑えで成功したのも、持っているボールのレベルを1段上げたことが成功に繋がったと思っているので、そのひと言は大きかったですよね。
石丸:それは大きな言葉ですね。
上原:プロなのでレベルがそんなに変わらないと思うんですけど、何かひとつ秀でたものがあれば、そこで生き残れるということですから。
石丸:本当はどんな球種を学びたかったんですか?
上原:僕、あまり横の変化球がないんですよね。“スライダーとかカーブとかそういう系を覚えたいな”というのを考えていたんですけど。
石丸:でも、逆に今持ってるものを磨けと言われたんですね。それは工藤さんでしたが、他にもいらっしゃいますか。
上原:僕がプロに入って右も左も分からない時に色々アドバイスいただいたのは、桑田(真澄)さんですね。
石丸:どんな言葉を?
上原:言葉というよりも行動ですよね。先輩に対してどういう行動をとれば良いかとか。
石丸:いわゆる社会的なルールを、身をもって教えてくださったんですね。
上原:やっぱり、高校の時の上下関係とプロに入ってからの上下関係は、ちょっと違ってくるんでね。
石丸:どんなところが違うんでしょうか?
上原:高校の時は、もうね…ちょっと放送出来ないと思うんですけど(笑)。
石丸:(笑)。
上原:プロになれば社会(人)としての上下関係ですよね。
石丸:桑田さんは身をもって色んなことを教えてくださった?
上原:そうですね。ワインを教えていただいたのも桑田さんですね。
石丸:一緒に飲みに行ったりなさったんですか。
上原:現役中はよく行ってました。
石丸:野球をしている時には聞けないような話を聞けたりとか?
上原:桑田さんの家にも行ったりしましたし。
石丸:良いですね。そういう先輩にすごく恵まれていらっしゃいますよね。
上原:恵まれていたと思いますね。僕が入った時は先輩たちが本当にすごいメンバーだったんで。
石丸:そうですよね。でもそのすごいメンバーの中で、すごいことをやってらっしゃったんですよね。
上原:本当に恵まれてましたね。
石丸:上原さんと言えば、44歳までピッチャーとして活躍していらっしゃいました。プロ野球選手の平均引退年齢は29歳と伺っていますが、はるかに超えて44歳まで現役が出来たのはどうしてだと思っていらっしゃいますか。
上原:「野球が好きだった」。負けたくないという「反骨心」。やっぱりそれが大きいですよね。ジャイアンツに入っていた時は、チームの皆に負けたくないと思ってました。味方であり敵ですから、勝たないと自分が投げる立場にいれなくなるわけですから。
石丸:そういうことですね。ピッチャー同士は特にね。
上原:アメリカに行っていた時は、同じ時期に川上憲伸が行っていたので、“彼には負けたくない”って想いがありました。
石丸:身近なライバルがいて。
上原:はい。そういう想いが結構大きいんじゃないかなと思います。
石丸:肉体的にも好不調はあると思いますけど、それでも長くコンディションを保ってこられたのはどういう理由があるんでしょうか。
上原:まあ、「我慢」ですよね。
石丸:やっぱりそこですか(笑)。我慢ですか。
上原:「我慢」に繋がりますね(笑)。あと「19」という背番号を見ればちょっと気持ちが和らぐんですよね。“(19歳の)あの時に比べれば楽だな”って。
石丸:もちろん恵まれた体があるからこそだと思うんですけど、その精神的な強さというのが現役を長く出来た秘訣なのでしょうね。
上原:やっぱり気持ちって大きいと思いますよ。でもそれはスポーツ界だけじゃなくて、人はみんなそうだと思いますよね。人間生きてれば気持ちって結構大事じゃないですか。
石丸:そうですね。引退を決断した時のことをお伺いしたいんですけれども。
上原:はい。あの時はそのシーズンが終わればもう辞めるつもりではいたんですよね、初めから。ただ、その引退を決意したのが5月だったんですけど。
石丸:なぜ5月に決意されたんですか。
上原:1軍に全く呼ばれなかったんですよね。キャンプからずっと2軍で過ごして、その後も全然呼ばれることがなかったので。2軍っていうのは若手が経験する場所で、僕らみたいな年齢の選手がやる場所じゃないんですよね。僕が居ることによって若手の経験する場所を奪っているわけですから。
黙っていれば10月に引退で、それまでずっと給料ももらえていたと思うんですけど、こちらから「5月でもういいです」と言わないと、多分球団からは言ってくれないな、とも思ったので。
石丸:“ここで引退しよう”と見極めた時に、気持ち的にはスッキリしましたか。
上原:いや、“出来るのであれば現役でいたい”という気持ちは今でも持っていますよ。“自分は野球しかないな”というのは、すごく感じてます。
石丸:そうですか。僕は会見の模様を拝見しましたが、最初からグッときていたじゃないですか。あれは悔しさがあるなと思ったんですけど。
上原:もちろんありましたね。
石丸:あの堪えている涙は“すごいな”と思ったんですが。
上原:(会見で)泣かないだろうと思っていたんですよね。泣かないだろうと思って扉を開けたら、ルーキーの時からお世話になってたメディアの方が目の前に3人位座っていたんですよね。もうそれを見てダメでしたね。それが知らない3人だと多分泣いてなかったと思います。
石丸:そうでしたか。色んな想いが湧きますもんね。
上原:そうですね。