石丸:田村淳さん、今週もどうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、今まで4週に渡って、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしてまいりました。最終週は“時を重ねながら長く大切にしていること”についてお聞きしたいと思います。田村さんにとってそれは何でしょうか。
田村:「時間は公平だからどれも大切にしていないし、大切にしている」ということです。
石丸:…?
田村:わざと難しい言い回しにしたんですけど。時間って公平じゃないですか。石丸さんの1分1秒と、僕の1分1秒って全く一緒なんですよ。
石丸:そうですね。
田村:時間っていうものは皆共通なんですよ。だけど「時間に縛られて良い」っていう瞬間と「縛られちゃいけない」っていう瞬間を分けたいなと思って。
時間が過ぎていくことを、“無駄遣いしているようで無駄遣いしてない”みたいな空気を作りたいんですよね。
石丸:なるほど。
田村:今、こうやって石丸さんと話せる時間って、僕にとって貴重な時間なので、この時間は大切にしたい。だけど、キャンプに行って過ごす1分1秒は無駄にして良いっていう、“無駄にしているんだけど実は無駄になってない”使い方なんですよね。
1分1秒の使い方が、キャンプと石丸さんとこうやって話をしてる時はやはり違うじゃないですか。だけど、1分1秒っていうものは公平で、その時間をいつも意識したいなと思うんですよね。“今は無駄にしていい”とか“今、すごい濃厚な1分”とか。
石丸:そういうことですね。分かります。自分の中で時間をこう、自分の手のひらで操っている感じですね。
田村:そうなれるといいですよね。このラジオでもずっと出てくる僕のテーマは「死」なんで。死に向かって歩いていってるのも共通なんですよ。僕は死についての話をもっとラフに話していけたらいいなっていうのがあるので。
死に向かって時間を刻んでいるので、この時間の刻み方、使い方で人生の豊かさが変わってくるんじゃないかなって僕は信じているんですよね。
石丸:確かにそうですね。それぞれゴールの時間は違いますけども、できたら自分の中で満喫して。
田村:自分の中で“今が良かったな”って思いたいじゃないですか。
石丸:その想いが淳さんの中にしっかりあるからこそ「時間を大切にしていないし、大切にしている」と言えるわけなんですね。
田村:そうなんです。もうどうでもいい時間もあるし、大切な時間もあるし。でも“どっちの時間も愛おしいですよ”っていう風になりたいな、と。
石丸:そういう発想になったのはいつぐらいからなんですか?
田村:あからさまに時間というものを意識するようになったのは、やっぱり母ちゃんの癌が発覚してからだと思いますね。
石丸:それは“お母さんに残されている時間”ということが、まず最初に頭に(よぎった)?
田村:そうですね。その時には「手術をすれば治る」って言われていたんで、すぐに死に直結したわけじゃないんですけど、でも考えたんですよね。“あれ、俺の母ちゃん死ぬ可能性が出てきたな”って思って。そこから、ちゃんと時間を使いたいと思うようになったと思いますよ。
石丸:きっかけはお母さんなんですね。
田村:そうですね。その時間の使い方を知っていれば、どういう難題に差し掛かったとしても、ちゃんと有意義に時を過ごせそうな気がしましたね。
石丸:田村さん、ブックマン社より「母ちゃんのフラフープ」という本を5月31日に出版されます。これはどういう内容なのか教えていただけますか。
田村:僕が「遺書動画サービス」というものを研究し始めたきっかけが母ちゃんだったんですけど、母ちゃんは僕が二十歳の頃の自分が元気なうちからずっと、「延命治療しないでくれ。それが母ちゃんの生き方だから、死に方だから尊重してほしい」と言っていて。去年の8月に母ちゃんは他界するんですけど、その母ちゃんとの思い出と、母ちゃんが死ぬまでに準備したこととか(を本に書いている)。
母ちゃんが死んだ後に、(生前に)準備していたものに触れて、「残さないものを残す」ってすごいなと思ったんですよ。というのは、母ちゃんは、死んだ後に父ちゃんが大変じゃないように、家の下着から衣類から全部無くした状態であの世に旅立ったんです。僕たちは葬儀が終わった後に「母ちゃんの遺品整理とか、色々やらなきゃいけないよね」って引き出しを開けた時に何にも無いって知るんですよね。
石丸:おお。
田村:“残さないこと”を残してくれた母ちゃんで。みんなそれぞれ死に向かって一歩一歩進んでいってる状況の中で、「あなたはどういうお別れがしたいですか」とか「あなたどういう風に死にたいですか」とか、改めて考えさせられるきっかけを母ちゃんに与えてもらったなと思って、その辺りを本にしたかったんです。
「母ちゃんのフラフープ」という(題名)は、僕が遺書動画サービスをやっているんで、母ちゃんに実験的に「母ちゃんが遺書動画を残すとしたらどんな動画? 送ってくれない?」ってずっと言ってたんですよ。
石丸:問いかけていたんですね。
田村:ずっと問いかけてたけど、「いや、そういうのはなんか恥ずかしいからやりたくない」とか「スマホ上手くいじれない」とか言って、ずっと送ってくれなかったんですよ。
石丸:はい。
田村:それがある日、ポンと僕の LINEに動画が届いたんです。2019年12月25日のクリスマスの日だったんですよ。届いた動画は母ちゃんがフラフープをしているんですよ。
石丸:フラフープってあの輪っかの?
田村:はい。で、(母ちゃんは)顔はこっち向いてないんですけど、父ちゃんが「こっち向けよ」みたいなことを言って、「いやいや、これ私、止めろって言われるまでずっと回し続けられるよ」って言ってる動画が送られてきて。
石丸:夫婦の会話もそこに残っているわけですね。
田村:俺は遺書動画って「淳、私が死んだ後ね、あんたはこういうこと気をつけながら生きて行きなさいね」っていうのがメッセージだと思っていたら、なんか全然(そういうのじゃなくて)フラフープ回しているだけの母ちゃんで、「孫のフラフープを久々に回したらこんだけ回せました」みたいなテンションなんですよ。
遺書動画サービスを考えてる中で頭が凝り固まっていたのが、母ちゃんのこのフラフープ(動画)で“あ、でも残したいものってそれそれでいいな”と思って。
石丸:それはきっとお母さんが考えに考えたものかもしれませんね。
田村:そうなんですよね。練りに練って送ってきたんだとしたら、相当俺のことを見ていて、「あんたが気づいてないこと最後に教えるわ」って思ったのかもしれないですね。
この本(「母ちゃんのフラフープ」)に母ちゃんとの別れのこととかバーっと書いているんですけど、QRコードを載せてその動画が観れるようにしているんですよ。だから本を読んで、スマホをかざしてうちの母ちゃんのフラフープしている動画を観たりして、その辺も含めて「死とは何か」とか「家族との別れってどういうものか」っていうのを、それぞれが気軽に話せるきっかけになればいいなとは思ってますね。
石丸:これからは後世に何か自分を残す方法として、「元気に活動している姿を映像にして残す」というのも、とっても大事なメッセージになるんですね。
田村:そうですね。あとね、できるだけ家で撮った方がいいなと思ったんですよね。綺麗な場所を探してそういう所で撮影するんじゃなくて、日常を過ごしてた場所で。
母ちゃんのフラフープの動画を見ると、父ちゃんとの肉声での掛け合い、襖のヘタレ具合とか、畳の色合いとか。
石丸:家の中で撮ってたんですね。
田村:そう、家の中で撮っているんで、そういう情報もひっくるめてなんか伝わってくるものがあるな、と思うんですよね。
石丸:この本(「母ちゃんのフラフープ」)の表紙の写真が(田村さんの)お嬢さんがフラフープを回している写真ですよね。なんか家族が繋がっているのを感じますね。
田村:そうですね。輪っかで。でも、実際のフラフープは、母ちゃんは“残さないを残した”ので、フラフープも全部捨ててたんですよね。
石丸:あ、そうなんですか!
田村:はい。だからあの本(「母ちゃんのフラフープ」)で回しているフラフープは、僕が同じものを見つけてきたんです。
石丸:そうなんですか。でも、きっとお嬢さんは密かに練習して、田村さんのお母さんの数を追い抜く位まで頑張るんじゃないですかね。
田村:ばぁばのフラフープ動画を見せているので、勝手にばぁばを真似しながら回してますね。
石丸:やってますか! 可愛いですね。
さあ、1ヶ月に渡りまして淳さんの色々なお話を聞かせていただきました。
田村:すごい色々と語らせてもらったので、自分の思考もすごくスッキリしました。
石丸:そうですか。喋ることってすごく大事な作業ですよね。
田村:今日ここで石丸さんの前でアウトプットができたっていうのは、僕もすごく良い経験ができたなと。
石丸:私も聞きながらを学びも沢山ありましたし、ちょっと自分も違う所を歩いてみようかなと思ったりしました。
田村:ぜひ! 通ったことのない道を。
石丸:早速、今日この帰りに歩いてみたいと思います。この1ヶ月どうもありがとうございました。
田村:ありがとうございました。