石丸:中村雅俊さん、これから4週に渡りどうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話をお聞かせくださいますか。
中村:今日は「奈良橋陽子さんの言葉」についてです。
石丸:奈良橋さんといえば、『ラストサムライ』や『SAYURI』など、ハリウッド映画で多くの日本人俳優を抜擢してきたキャスティングディレクターでいらっしゃいますよね。
奈良橋さんとの出会いについて教えていただけますでしょうか。
中村:出会いは、デビュー前の大学3年の時ですね。俺は「ESS」という英会話のクラブで英語劇をやるセクションにいまして、“皆でオリジナルのミュージカルを作ろう”ということになって。
石丸:お、ミュージカルですか!
中村:そうなんですよ。それで、俺はコンポーザー(作曲家)でオーディションを受けたんですけど、落ちたんです。そのディレクターが、奈良橋陽子さんだったんです(笑)。
石丸:そうだったんですか(笑)。
中村:そうなんですよ。奈良橋さんとはそこからのお付き合いです。お互いにまだプロの世界に入る前でした。
石丸:奈良橋さんは、ESSで教える側にいらっしゃったということですか?
中村:そうですね。今から50年位前ですが、あの当時にアメリカのアクターズ・スタジオに行っていたんですよ。
当時はそんな人があまり居なかったんです。奈良橋さんが日本に久々に来て演出をすることになった時に、曲を作ってオーディションを受けたらダメってことで(笑)。
それはそれで終わったんですけど、その時に陽子さんが「You have something」という言葉を言ってくれたんです。
石丸:大学3年生の時に?
中村:そうです。“芝居をやろうかな?”と悩んでいた時に、その言葉が背中を押してくれた感じがあって。自分の中ではその「something」の意味が分かっていたので、“俺のことを認めてくれる人がいるんだったら役者をやってみようかな、前に進んでみようかな”と思ったんです。
石丸:“可能性がいっぱいあるんだ”ってことですよね。
中村:そうですね。ちょうどその時に、当時奈良橋さんの旦那さんだったジョニー(野村)さんが、「フラワー・トラベリン・バンド」という、内田裕也さんやジョー山中さんがいたバンドのマネージャーをされていて、その当時にワールドツアーもやっていたんです。
そのジョニーさんが俺に、「デモテープを録ってレコード会社へ売り込みに行きたい」と言ってくれたんですよ。
石丸:すごいですね。
中村:それで実際にデモテープを録って、ジョニーさんがいろんな会社に売り込みに行ってくれたんですけど、それも全部ダメでして(笑)。
それで、“奈良橋さんにも言われたし、役者になろう”と思って、文学座(劇団)の門を叩くことになったんです。
石丸:そうなんですね。その時に、中村さんが音楽も作られる方でお芝居もしたい人だということを、相手に刻み込んでいるわけですね。
中村:そうですね。俺たちは、音楽というと、皆ギターを持って歌っていた年代なので。
俺の場合はバンドとかをやらずに、自分で曲を作って日記代わりにしていたみたいなところがありました。
石丸:じゃあ、相当(曲を)ストックされていたんですね。
中村:そうですね。大学4年間で100曲位作りましたね。
石丸:おお!
中村:これがね、自慢じゃないんですけど、いい曲が無いんですよ(笑)。
稚拙な曲ばかりなんですが、自分の色々なエピソードやその時考えていたことなどを全部歌にしていたので、それはそれで“自分の中の宝物”という感じです。
石丸:そうですよね。
先程文学座のお話をされていましたけど、文学座に入るのは今でもすごく大変ですよね。
中村:そうですね。大学に入った時も“大変だな”と思ったんですけど、文学座は、俺の時には30人の定員に1400人以上が受験していたので、“これは無理だ”と思ったんです。でも、なぜかはよく分からないけれど1次2次と受かって。俺は13期の研究生だったんですけど、12期に松田優作さんがいて、11期に桃井かおりさんがいました。
石丸:個性豊かですね。
中村:個性豊かな連中ばっかり(笑)。デビューして数年後に松田優作さんと2人で刑事ドラマをやるんですけど、本当に個性豊かな方だったので、色々なエピソードがあって、今でも思い出深いです。
石丸:何か披露できるエピソードはありますか?
中村:俺も松田さんもわりと台本通りには演じない人だったんです。だから、よくゲストの人に怒られていました。「お前ら台本通りやれー!」「はーい」って言って、その通りやらないんですよ、本当に(笑)。
俺が24、5(歳)で松田さんがひとつかふたつ上だったので、2人とも若造でしたからすごくいきがってました。
石丸:一番キラキラしてるお2人だったんでしょうね。
中村:そうですね。振り返ると本当に元気な若者2人でしたね。
石丸:何年間ぐらい文学座にはいらしたんですか。
中村:俺は長くて13、4年居ました。13、4年居たのに、文学座の舞台を1回もやっていないんですよ。
石丸:えぇ?
中村:大学4年の4月に研究生で入って、(次の年の)3月に卒業して、すぐ4月の番組でデビューしたんですよ。
石丸:テレビドラマの方で?
中村:ええ、ドラマの方で。だから舞台をやるどころじゃなくて、映像(テレビや映画)の方をずっとやることになって、舞台をやらずにずるずると14年近く居ました。だから文学座の色々な先輩たちに「お前、文学座なの?」って言われたりしましたね。
石丸:一緒の板(舞台)の上に乗ってないという意味では、そうおっしゃるかもしれませんね。
中村:そうなんですよ。
石丸:中村さんは現在、日本テレビ系のドラマ『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』にご出演中でいらっしゃいますよね。
沢村一樹さん演じる“ゴンちゃん”のお父さん役で、たい焼き屋の「おだや」の三代目を演じていらっしゃるんですけど、かなりチャーミングな役ですね。
中村:(笑)。そうですね。『半分、青い。』(NHK)というドラマをやった時と同じ北川悦吏子さんの脚本で、“またおじいちゃんか”と思ったんですけど。衣装を提案させてもらいました。
石丸:そうなんですか。
中村:ええ。パーカーに着物、羽織なんですよ。“こういう格好でやりたいんですけど”って言ったら「ちょっと考えさせてください」と言われましたが、最終的にはOKとなりました。 “ちょっと流行ったら良いな”と内心思っているんですけどね。
石丸:今も放送しておりますから、流行らせましょうね(笑)。
中村:そうですね(笑)。
石丸:今回のお役は、演じていらしてどんな想いでいらっしゃいますか。
中村:そうですね。「たい焼き屋さんの親父」なので、役を作るというよりは“そのまんまで良いや!”という感じで、すごく気楽に楽しくやらせてもらっています。
石丸:だからチャーミングに映るのかもしれないですね(笑)。
中村:いやいや(笑)。どうか分からないですけど。
石丸:僕が言うのは失礼なことなんですけれども。
このドラマは、「シングルマザーが自分の一人娘に彼氏ができないということに悩んでいる」というストーリーなんですね。
中村:そうですね。最初はコメディっぽいんですけど、段々と「え!」と言うような展開になっていくので、観ていて非常に面白いから、演じていても面白いです。
石丸:ここで(ドラマの)ワードとして「オタク」って言葉が出るんですけども、中村さんご自身がオタクだなっていう部分ってあります?
中村:いや、実は無いんですよ。でも、俺がもしオタクだったらっていうのはあるんです。例えば楽器のピアノとかギターとかサックスとか。石丸さんはサックスを演奏されますよね?
石丸:やっております。
中村:お上手ですよね。
石丸:いえ、とんでもないです。
中村:俺もずっとコンサートツアーをやっていますけど、オタクだったらもうちょっとギターとかピアノを上手く出来るかなと思って。ひとつのものをずっと突き詰めていくオタクって必要ですよね。
石丸:そうですね。“オタク”という言葉がマイナスなイメージに取られたりすることがあるんですけど、(一つのことを)徹底的にやっている人…という意味では、中村さんがコンサートをずっとやりながらテレビや映画を撮ってらっしゃるのは、ある意味、素晴らしいオタク人生だと僕は思うんですけど。
中村:いや、俺の中では全部中途半端で。ESSに居たから、英語も喋れるんですよね。でも、楽器と同じように、滅茶苦茶上手いというわけではないんですよ。“もしオタクみたいにちゃんとやれたら”と、ふと考える時もありますよ。
石丸:そうですか。でも、まだ突き詰めていこうという想いが沸々とあるわけですね。
中村:あります。まだ全然若いので。
石丸:そうですよね。拝見していても、イメージが20年前30年前と何ら変わっていないので、その秘訣もいつか聞かせてくださいね。
中村:分かりました。
石丸:ドラマ『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』はいよいよ3月17日のオンエアが最終回になります。どうぞ皆さんお楽しみになさってください。