石丸:西川貴教さん、今週もよろしくお願いいたします。このサロンでは3週に渡って人生で大切にしている“もの“や“こと”についてお伺いしてまいりましたが、最終週は“時を重ねながら長く大切にしていること”についてお聞きします。西川さん、それは何でしょうか。
西川:「地元に帰省し、家族と過ごす時間」です。
石丸:地元と言うと「滋賀」ですね。滋賀にはご家族がたくさんいらっしゃるんですよね。
西川:そうです。妹が2人おり、甥っ子や姪っ子、父もいます。母方の祖母が現在97歳なのですが、健在です。
石丸:すごい!
西川:祖母は施設に入っており(施設の方に世話を)お願いしていて、何とか地元に帰って祖母に会いたいと思って、ずっと(面会を)打診しているのですが施設の方が「ちょっとごめんなさい」って。
石丸:この(コロナ禍の)時期はね。
西川:ちょっとした甘いものや着替えなどを送って意思の疎通をしています。あとは地元にいる妹たちが代わりに動いてくれています。
石丸:優しいですね。
西川:10代後半から(滋賀から)離れてしまってますから、両親のこともそうですが、妹たちに助けられています。
石丸:そうなんですね。
西川:僕は全然ダメ兄貴なので。
石丸:いやいや、そんなことはないですよ。タイミング良く滋賀に帰省できた時には、どんな風に過ごしていらっしゃるんですか。
西川:家族とご飯に行ったりします。甥っ子や姪っ子も成長がすごく早いです。
石丸:子供は早いですよね。
西川:彼らと話していると、僕のことを細かく見たり聞いたりしてくれているなと思います。
僕がこういう仕事をしていることが、時に思わぬ影響を与えてしまったり、周りの好奇の目もあったりすると思うので、“余計な心配や不安をかけてはいないかな”とずっと心配でして。
石丸:“貴教兄さん”は、西川家の誇りだと思いますよ。滋賀に帰ってご家族とお過ごしになるという話を伺いますと、西川さんは「滋賀県愛」がすごく強いですよね。滋賀県内は色々回られましたか?
西川:そうですね。僕の実家があるのが琵琶湖の東側、いわゆる東海道本線が走っている辺りですね。
石丸:じゃあ、米原とか?
西川:そうです。米原や長浜、彦根や草津など、そこから大津へ流れて京都へ行くんです。毎年実施している「イナズマロック フェス」が、昨年はオンラインでの開催になったのですが、いつもの開催地が(琵琶湖の)東側ですから、この機会に西側や湖北、北側のみなさんにも地元のアピールをしてもらいたいなと思っており、県をまたいでの移動が可能になったタイミングでぐるっと一周回って、滋賀県の(色々な市の)市長さんと2日間かけてお会いしてきました。
石丸:それは2日かかりますね。
西川:そうなんです。(イベントを)10年続けていても、距離があると「自分のところは関係ない」って思っていらした方もいらっしゃると思うのです。
でも、「このイベントは県のイベントなので、一緒にみんなで盛り上げましょう」ということで、地元のPRしたいものをどんどんアピールしていただいて、僕からも「コロナ禍が明けたらみんなでこちらに行きましょう!」というアピールをさせてもらいました。
石丸:回ってみていろんな手応えがあったと思いますが、“この会場、この場所でやってみたいなぁ”など思ったりしましたか?
西川:思いましたね。僕がふるさと観光大使に就任させていただいたタイミングで当時県職員だった方が、何年か経ち市長さんになられているという方がけっこうおられて、「こちらにいらしたのですか!」みたいなことがありましたので。
石丸:再会があったんですね。
西川:そうなんです。(滋賀県の「ふるさと観光大使」の)依嘱状をいただいた当時に知事の補佐をされていた方が市長になっていらっしゃって、「あの時にお会いした方!」ということもありました。活動を続けてきたことで生まれる関係性があるので、「じゃあ、回りくどいやり方は止めて、直接色々なことを意見交換して一緒にやりましょう」という風に繋がることができましたし。
このような状況(コロナ禍)がなかったらそういうきっかけを作れなかったと思うので、(その点は)むしろ良かったですね。
石丸:そうですよね。そういうこと(コロナ禍)があったから、滋賀県を一周されたわけですし。
西川:そうです。それまでは「いやいや、うちはうちでやりますよ」だったと思うのです。「自分たちでやっているから大丈夫よ」でしたが、このような状況下になってくると「どこが」や「誰が」ということじゃなくて、「みんなで助け合いましょうよ」という気持ちにみなさんがなってくれていますし。
石丸:そうですよね。
西川:だからすごく話が早くて。
石丸:このような(コロナ禍の)状況だから、今までの常識が常識ではなくなったりするじゃないですか。みなさんが探っている中で、その想いは一つだったわけですよね。
西川:行政のみなさんが動こうとすると、「管轄が違うから」で越境できなかったり、しがらみがあると思うのです。でも僕は全くしがらみがありませんから、平気で「こんにちは!」って入っていけるんです(笑)。
石丸:良い風が通り抜けたんですね。
西川:そうなんです。僕はしがらみも何もないですから。よくわからない人がやって来て、ただかき回して帰っていく…みたいな感じです(笑)。
石丸:いやいや、その効果は絶大だったと思います。
西川貴教さんが主催する「イナズマロック フェス」は2009年から滋賀県で開催されていますよね。立ち上げたきっかけの一つとしてお母様の存在があったと伺っておりますが、改めてお聞かせ願えますか。
西川:はい。2007年頃に、久しぶりに舞台をやらせていただいたんです。「ハウ・トゥー・サクシード」という、ブロードウェイミュージカルを代表するような作品だったのですが、舞台への向き合い方が変わったからなのか、ものすごく楽しかったんですね。
最初にやらせていただいた舞台は、自分の中で“これで良いのかな” “これで合っているのかな”という感じだったのですが、「ハウ・トゥー・サクシード」をやらせていただいた時は手探りでしたが、一生懸命打ち込むことで、“あ、舞台ってこうやって作っていくんだ”ってやっとわかるようになったんです。それでコンスタントに(舞台を)やり始めていた所、実は母が舞台や演劇がめちゃくちゃ好きだったということが判明しまして。
石丸:そうなんですね。
西川:それまで全然そんな感じがなかったので、“え、聞いたことなかったけど。ほな、もうどんどんやるわ” と舞台の仕事をするようになったら、ちょこちょこ東京に来るようになったんですよ。
石丸:お母様が。
西川:そうです。“せっかく東京に来ているんだから、他の舞台も観に行ってみたら”と友人の舞台を観に行かせてもらった際に、目が悪かったのかな…階段を転げ落ちて、腕の骨を折っちゃったんです。
石丸:え!
西川:「どこか何か変な所を打ってないかな」って精密検査をした所、髄膜腫という腫瘍があることがわかって。その頃から母の元気がなくなり始めてきて、“これは放っとけないな” と思い、地元に帰れる方法を考えた所、“仕事を作るしかない”となりまして。
ふるさと観光大使の就任をきっかけに地元で「イナズマロック フェス」を作ったのも、“地元に帰れるから”という理由がありましたね。
石丸:そうか。「地元に帰れる=(イコール)お母様の様子を見に行く」ということですよね。それは大きな想いですね。
西川:そうですね。そこから入院し約7年位で亡くなってしまいましたが、僕にとって母はすごく大きな存在でした。
「イナズマロック フェス」自体も母に喜んでもらいたい気持ちで始めたので、(亡くなった後)自分の中で続ける意味を見つけるのに少し時間がかかっちゃって…。
石丸:“お母様に会いに行く”という想いが起点にあったわけですからね。
西川:そうなんです。それで「ちょっとごめんなさい、待ってもらってもいいですか」と言って、11年目の(「イナズマロック フェス」の)開催を、自分の中でなかなか決められなくて。
“10年やり続けたのだから、止めるんだったらここじゃないか?”という事もあったんです。そんな最中に父の面倒などでちょこちょこ地元に帰った際に、行く先々でみなさんから「頑張ってや」とか「来年も楽しみにしてるで」と言ってくださって。“ああ、僕の問題だけじゃないな”って思うようになりそこから続けようという気持ちになりました。
石丸:夏の風物詩になってしまっているんですね。滋賀の誇りですしね。
西川:僕の家族に会いに行くのが「イナズマロック フェス」の目的だったのですが、今や滋賀県と住民のみなさん全員が僕の家族だなって思うようになり、それから地元に帰った時の印象がだいぶ変わりました。
石丸:ということは、滋賀にいる大家族のためにずっとフェスを続けていくんですね。
西川:そうですね。「イナズマロック フェス」は、自分の中で11年、12年があっという間だったんです。実は、地元にある小学校のみなさんに体験学習の一環としてバックステージを見てもらって、レポートで送ってもらっているんです。それを読むのが楽しみなんですけど、その子たちが現在は社会人になっているんですよ。
石丸:10年経つと!
西川:これは衝撃的でしたね。「次は家族と一緒に来ます」って言われて、“いや、マジで!?”ってびっくりしましたね。それを聞いてますます、“「イナズマロック フェス」は僕のものじゃない、地元のものだな”って思ったんです。
石丸:種をまいて花が咲いて実ったんですね。
西川:いやあ、嬉しかったです。改めて家族の為に頑張ろう、という感じですね。
石丸:その「イナズマロック フェス2021」は、9月18日(土)と19日(日)に開催が予定されております。今の意気込みを聞かせてもらえますか。
西川:今年はみなさんが地元に集っていただいて、滋賀県の魅力に触れていただきたいという気持ちがありながらも、同時に安心安全が担保されてこその開催だと思うので、ギリギリまで注力しながら準備を進めていければと思っています。
石丸:そうですか。みんなの希望として、「イナズマロック フェス」へ行きたい気持ちはいっぱいありますからね。
西川:僕たちを必要としていただけるのはもう少し後なのかもしれないですが諦めずに頑張っていければと思います。
石丸:僕も応援させてください。このひと月、本当にありがとうございました。
西川:ありがとうございました。