石丸:今週も、よろしくお願い致します。このサロンでは人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますか?
舞の海:今日は「挑戦」についてです。
石丸:挑戦! “力士になる”という事も挑戦ですよね。
舞の海:そうでしたね。
石丸:なろう”と思ったきっかけは、何だったんですか?
舞の海:小学生の頃は、力士になることが“夢”だったんです。でも中学生ぐらいになると、やはり身体も小さいですし、自分の実力なども知れてきますから、力士になるという夢もなくなり…。ただ相撲そのものは好きなので、中学、高校、大学と続けていたんです。大学4年生の夏くらいに、高校の教師になることに内定しました。けども、何かシックリとこない。“やったぁ!”っていう気持ちになれないんですよね。“この気持ちは何なんだろう?”とモヤモヤしていました。
石丸:“本当は力士になりたいんだ”という思いがあったんでしょうか?
舞の海:その時はそこまでの気持ちはなかったですよ。ところが大学を卒業する2ヶ月前に、相撲部の後輩が、病気だったわけでもないのに突然亡くなってしまったんです。そうしたら後輩のお父さんが、「相撲なんか取れなくても、せめて生きていてくれてたら」っておっしゃったんですよ。その一言でハッと人生観が変わりましたね。
石丸:どういう風に?
舞の海:“亡くなった後輩は、まだ二十歳でこの先やりたい事がいっぱいあったろうな。でも人間というのはこんなにも突然に逝ってしまうものなんだ。だとしたら自分も何時どうなるか分からない”と。
石丸:そうですね。
舞の海:“じゃあ今一番やりたい事、今しか出来ない事に挑戦してみよう。それは何だ?”と考えた時に、子供の頃の「力士になりたい」という夢がよみがえったんです。
石丸:お生まれは青森県ですよね。青森は沢山の力士を輩出しています。ですから学校も相撲が盛んな土地柄ですよね?
舞の海:毎年、学校行事で相撲大会はありましたね。運動会と同じくらい盛大にやりますよ。
石丸:やはり(舞の海さんは)お強かったんですか?
舞の海:強かったんですよ。
石丸:おお!
舞の海:クラスでは小さい方ですよ。でも相撲をやると強かったんです。
石丸:それは何故だったんでしょう。
舞の海:奇跡的に自分に向いているものが相撲だったんでしょうね。たぶん皆、何かしら自分に凄く向いているものがあるはずなんですよ。でも自分に向いたものに出会えないまま人生を終えていく人が殆どなんじゃないかな、と思っているんですよね。
その後輩が亡くなった時に(自分が相撲に向いていると)気が付いたんですよね。“気付いた”というよりも、“心の奥底にあった”んでしょうね。でもそれに蓋をして、“そんな事を考えちゃいけないんだ”って自分に言い聞かせていたんです。”そういう器じゃない、みっともない、笑われる、通用しない…”って、自分で決めつけてしまっているんですよね。
石丸:後輩の方が命を落とされたことをきっかけに自分ともう一度向き合った時に、「力士」という選択肢があって、そこが自分の場所だとお思いになった?
舞の海:そうですね。それまでは“何かに失敗したらどうしよう、損をするんじゃないか”って損得感情が先にあったんですね。
石丸:それが普通ですよ。
舞の海:そんなことがどうでもよくなってしまったんですね。もう“笑う奴は笑え。失敗しても良いからやれる限りの事はやってみよう”と思って決心がつきましたね。
石丸:そして相撲の世界にノックをしたという事ですね。
舞の海:そうなんですよ。
石丸:舞の海さんが見せてくれるありとあらゆる相撲の手口。我々も楽しみだったんですけど、相撲の決まり手というのは何手あるんですか?
舞の海:82手だと思います。
石丸:それだけある中で、舞の海さんは何手使ってきたのでしょうか?
舞の海:私は33手ですね。
石丸:これは相撲部屋で習うものなんですか?
舞の海:習わないですね。相撲部屋で教えるのは、「とにかく強くあたって前に押していけ」。これだけですね。ここでこういう技をやりなさい!」という指導はないですね。
石丸:そういうものなんですか! それは先輩たちがやっている技や他の力士がかけているのを見て盗むものなんですか?
舞の海:昔は“この先輩のこの技カッコいいな、自分も覚えたいな!”と思って技を盗んだんです。でも、今の若い人達は、教えられた通り、マニュアル通りなんです。“そこから押して駄目だった時にどうするかの応用力がないのか?”と。
でも、色んなサラリーマンや経営者の方と話していると、同じようなことを聞きますね。“あっ、一緒だ!”と思いますね。自分で判断が出来ない。言われた通りのことしかやらない。
石丸:それは今の風潮ですかね。
舞の海:そうかも知れないですね。だから似ているんですよ。やっている事は“仕事”と“競技”で違ってはいても、同じ時代に生きている人って、大体が同じ思考、同じ価値観で生きているのかなぁと考えていますね。
石丸:そうじゃない時代のものを見ているからこそ気が付くことだったりしますね。
舞の海:時代がその人その人を鍛え込んでくれたんでしょうね。今はそういう時代ではないじゃないですか。
石丸:ところで当時、他の力士達は、“舞の海さん対策”とか練っていたんでしょうか。
舞の海:一番ビックリしたのが、貴闘力関という力士がいまして。何時もは仕切り線の所で手をついて仕切って、また塩を取りに行って塩を撒いて、私も当然仕切り線に手をついて、そこから向ってくるのかなと思っていたら、制限時間ギリギリになって徳俵(とくだわら:土俵で東西南北の中央に俵の幅だけ外側にずらしておいてある俵)まで下がってしまったんですよ。そこから「はっけよい、のこった!」ですから、私は相手の向ってくる勢いを利用しながら変化(へんか:立合いで相手の攻撃を見て相手の右側か左側へ体をかわすこと)したり相手の下に潜ったりするのが得意だったんですけど、出来なくなっちゃったわけです。
石丸:封じられた。
舞の海:何メートルも離れていて俯瞰で見られているわけですから、どんな動きをしても見破られるじゃないですか。
石丸:貴闘力関の作戦ですね。
舞の海:そういう対策をしてきた人もいましたね。あと誰かは忘れてしまいましたが、「猫騙し」をやってきた人がいましたね。
石丸:猫騙し! これはどのような技ですか?
舞の海:これは“技”というよりも“立ち合いの戦法”ですね。ただ単に、「はっけよい、のこった!」で相手の顔の前で手を叩くだけなんですけど、これが意外と効果があるんです。
石丸:それは決まり手として「猫騙し」となるんですか?(笑)
舞の海:ならないです(笑)。(猫騙しをやると)ピタッと相手の動きが一瞬止まるんです。パッとやると目がパチパチとなるんですよ。その隙にパッと下にしゃがみ込んで潜り込んで自分の体制に持ち込むんですが、これを何時も使っていては駄目なんです。
石丸:そうなんですね(笑)。
舞の海:ネタバレしちゃうじゃないですか? だから、忘れた頃に出すわけですよ(笑)。“最近はこいつ普通に向かってきているな”と思わせると、相手も猫騙しというのを忘れてしまうんですね。それで忘れた頃にまた出す(笑)。
石丸:ある意味、知能犯ですね(笑)。
舞の海:そうですかね。精神的な揺さぶりとか、普段の稽古で“あっこの人はこうなったら弱いな”とか、“この人は本場所になったら力が出ないな”とか、観察しながら考える。
色んな(部屋の)力士がウチの部屋にも集まってきたりとかもしますし、地方巡業などに行くと土俵が一つなので、全力士がそこで稽古をするわけです。ですから相撲を取るだけじゃなく色々と観察しますね。
石丸:稽古というのは、そういう場でもあるんですね。
舞の海:自分に良い体制になって、“この技をかけたらステンっと転ばせられるけれど、やめておこう”とか。つまり、あえてそうさせて(相手に有利だと思わせて)おくんですよ。
石丸:“させておく”んですか?
舞の海:“舞の海はこの形になってもあまり技がないな”と思わせておくんです。
石丸:作戦ですね。
舞の海:でも本番になったらスパンっといくわけですね。
石丸:賢いですね。
舞の海:だから腹黒いんですよね。
石丸:そうじゃないとやっていけないですもんね。
舞の海:使えるものは何でも使おうと。ただ、相撲はやはり真っ向勝負。立ち合いを変化しないで、引退する最後の一番まで真っ向勝負を貫き通した人は凄く称えられるんですけど、それを聞くと凄く耳が痛くて心が痛くて。自分がそれをやると商売上がったりなんで。
石丸:でも作戦って大事ですからね。
舞の海:でもね、どんな勝ち方をしてもお客さんが喜んでくれるんですよ。これがまた相撲の面白いところで、同じ力士なのに、横綱が私と同じように猫騙しや変化したりしたら、これは叩かれますよ。その地位地位でお客さんも観ているんですよね。
石丸:ある意味、小柄な力士はハンデがあるじゃないですか? だからこそ色んな事をして大きな力士を転がす事を、我々観客も凄く期待しているわけですよ。
舞の海:そういうのを現役時代は全く感じなかったですね。
石丸:そうですか。
舞の海:自分の相撲のことで精一杯で、世間の人が自分の相撲をどう観ているのか分からなかったです。
石丸:本当に楽しみだったんですよ。
舞の海:ありがとうございます。
石丸:土俵の外から他の力士が相撲を取っているのを改めて観ると、そういうことが分かってきたりするのかも知れませんね。
舞の海:そうですね。小さい力士が大きい力士を転がしたりすると、興奮してちょっと飛び上がったりしますよね。“こういう気持ちで当時お客さんは観ていてくれたのかなぁ”と思いながら観たり。
勝ち方とか技の前に、入門した時に自分自身に誓ったのは、“やっぱり小さいから負けたんだ”というような、“小さいこと”を敗因には絶対にしないと。そんな事を理由にしたところで何も変わらないじゃないですか。分かっていて相撲界に入ってきたわけですから。
石丸:逆に(小さい事を)武器にされて来られたわけですね。