石丸:この番組では人生で大切にしている“もの”、“こと”についてお伺いしていますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますでしょうか?
小澤:今日は、おこがましいのですが「俳優」についてです。
石丸:俳優になろうと思われたきっかけについては、先週、『ボストン(前週の話は
こちら)』の中でお伺いしましたけれども、実際デビューされたのは?
小澤:これは面白い話なので、ぜひ石丸さんにお話ししたかったんです。
「役者として仕事をするにはどうしたら良いか?」ってウチの親父(小澤征爾氏)に相談したら、「俺は音楽だから全然分からないけど、近くに芝居のことをやっている人がいるから相談しに行こう」と言ってくれて。それでウチの親父と一緒に相談に行ったのが、浅利慶太さんの所でした。
石丸:「劇団四季」のね(笑)。
小澤:場所は“あざみ野”(劇団四季の本部がある)だったと思うんですけど…。
石丸:もしかしたら、僕も居たかも知れませんね。
小澤:もう20年以上前ですから、いらっしゃったかも知れませんね。
もともと浅利慶太さんにはお会いしたこともありましたし知っていたんです。でも、“どれくらい偉い人か”は、あまりよく分かってなかった…という言い訳をさせてください。
石丸:その時は、なんて言われました?
小澤:浅利さんが「事務所に入るのも一つの手だよ」と言ってくれて、「うちの劇団四季に入って一緒にやったらどうだい?」って言って頂いたんですよ。
石丸:そんな話があったんだ!
小澤:僕は(浅利慶太氏のことを)よく分かっていなかったし、劇団四季も(いま思えば)凄いんですけど、俺の当時のイメージでは、“何か白いタイツを履いているイメージ”だったんですよ。分かります?
石丸:(笑)。「キャッツ」なんか、全身タイツだからね。
小澤:今でも“俺は本当に馬鹿だな”と思うんですけど、その時、浅利さんに「白いタイツは履けないですねぇ」って言ったら浅利さんが大爆笑して、「だったらテレビや映画のオーディションの情報があったら教えてあげるよ」と言ってくださったのが、一番最初なんです。
石丸:そこで白いタイツを履いてみようと思っていたら、(劇団四季の)仲間入りだったんですね。
小澤:もしそうだったら、僕は石丸さんの直属の後輩になっていましたね。この話をするのは初めてくらいですよ。
石丸:僕も劇団四季にいる時に、浅利慶太さんから小澤征爾さんの話を何度も何度も聞かされていました。「あそこ(小澤家)には息子がいるんだよ。この子が俳優になるかも知れないんだよね」って実は聞いていたのですが、それは征悦さんが浅利慶太さんにお話しに行った後かも知れないですね。
小澤:“白タイツ事件”の後かも知れないですね。
石丸:そういった「パイプを繋げてあげるよ」みたいなお話の後で、実際には何から俳優活動をスタートしましたか?
小澤:浅利さんが紹介してくれたオーディションが、NHKの大河ドラマ「徳川慶喜」のオーディションだったんです。
石丸:おおっ! アメリカで受けた演劇のメソッドは活かせました?
小澤:“スタニスラフスキーメソッド”ですよね。もちろん活かそうと思って演っていました。
あともうひとつ、これは偶然の出会いなんですけど、役者になった時に、あるレストランでハロルド・ガスキン先生という演技の先生がウチの親父に声をかけてくれたんです。その時に「ウチの息子がいま役者をやろうとしているんだよね」って話をしたら、「ぜひ自分の所に来てくれ」という話になり、そんなチャンスは滅多にないし「ぜひ!」と思って、ニューヨークへ行ったんです。
このガスキン先生がどんな人かは後で分かったんですけど、例えばマット・デイモンとかジャン・レノとか、プロの役者さんが難しい役を与えられた時に、一緒に学んで(役を構築して)いく仕事をされている方だったんです。そういうのを“個人授業”って言うんですかね?
石丸:それはまさしく、お父様もやってらっしゃった“小澤征悦武者修行”みたいな。
小澤:そうですね。ガスキン先生は独自のメソッドを持っていて、「HOW TO STOP ACTING(いかにして演技をやめるか)」って本を書いているんですよ。
今でも覚えているのが、“先生が一つのシーンを選んできてそれを演じる”というレッスン。内容は『子供時代に“電車が通る音”にトラウマがある人が大人になって、友達の家に遊びに行く。友達の家の横に線路があって、ソファに座っていると電車がガタガタと通る。そして電車が通り過ぎた後に「あの音嫌いなんだよね」と言うところから(演技を)始める』というもの。モノローグに近い、ほぼ自分1人語りで、“何故あの音が嫌いか”ってことや、親父との確執を話したりするシーンなんですけど。
石丸:セリフとかは決まっているの?
小澤:セリフは決まっていて、お互い紙を持って演るんですけど、その時ガスキン先生から「急いでセリフを言わなくて良いから。用意スタート、パチン、の後にじっくりと時間を取って、(頭の中で)電車の音が聞こえたらセリフを言え」って言われたんです。
その電車の音が聞こえるまで1分くらい…もっとかな? セリフを言わなかったんですよ。そしたら、泣くシーンではなかったはずなんですけど、演っているうちに涙が出てくるんですよ。
自分でもよく分からないんです。“電車の音が聞こえたら、電車の音が聞こえたら…“と集中して、“聞こえたかな?”と思ったところで演技を始めたら、涙が…。
きっと気持ちが乗ったんでしょうね。自分の中の感情と何かが繋がって、本当にその時に泣いちゃったんですよ。それで終わった後、先生が俺のことをジーっと見ながら「そういうことだよ」って言うんです。“これ、凄いな”と思いましたね。
石丸:貴重な経験ですね。
小澤:本当に貴重な時間でした。仕事を始めてからも(レッスンを受けるために)毎夏のように行かせてもらったんですよね。
石丸:同じメソッドを一週間演るわけですか? それとも毎日違うことを?
小澤:同じシーンを使ってやるんです。彼の場合、“メソッド”ではないんですよ。“いかにして演技を止めるか”という気持ちの作り方を、台本を使って学んでいくというか。
石丸:本の読み方も含めて。そんな世界中の著名なアーティストを教えている先生に習えて、僕が小澤さんに習いたいくらいですよ。羨ましいなぁ。
小澤:何を言っているんですか。…受講料は幾らですか?(笑)
石丸:(笑)。さて、小澤さんにとって、芝居をしていく上で重要な思い出があるそうですね。
小澤:僕は、公私共に、緒形拳さんに当時凄くお世話になってまして。出会ったきっかけは、緒形さんが主演の2時間のスペシャルドラマへの出演オファーを頂いたことだったんです。
これは後から分かったんですけど、僕はそれまで緒形さんと面識はなかったんですが、緒形さんが「この役は、小澤はどうだ?」って言ってくれたらしくて。どこで(自分の演技を)観てくれたのか分からないんですけど、「演りましょう!」ということになったんです。
ガッツリと芝居をさせて貰っている中で、緒形さんが俺に「征悦、お前は芝居が下手なところが良い。だからそのまま下手でいてくれ」って言ったんです。
石丸:どう思いました?
小澤:“もちろん上手くはないけれど、緒形さんから見たらそう(下手)なんだろうな”って思ったら続きがあって、「そのまま下手なままでいてくれ。絶対に小手先で芝居するな。心で芝居をしろ」と言われたんです。
石丸:小澤さんが「心で芝居している」というのが前提にあるからこその言葉ですよね。
小澤:そうですね。きっと緒形さんは「心で芝居をしているから、そのまま、そういう感じの芝居で良いんだよ」って事を言いたかったんですよね。それが、「お前は芝居が下手なところが良い」から入ったので(笑)。緒形さんなりの優しさなんでしょうね。
何か、それって凄いなと思って。「小手先で芝居するな」という言葉は、“芝居は技術じゃない、心なんだ”という大切な事を俺に教えてくれたんじゃないかって思うんですよ。
石丸:そこから征悦さんの中で何か変わりましたか?
小澤:緒形さんから頂いた言葉で、肩の荷がおりました。なんか軽くなった。その時はただの言葉でしたけど、時間を経て深みを持ってくる言葉として、自分の中に活きていますよね。
石丸: “自分の根本”というか“ベース”を思い出させてくれる言葉でもありますよね。
小澤:いま話していて思いましたけど、「心で芝居しろ」というのは、ガスキン先生が言っていた考え方と通じるものがある!
石丸:ということは、緒形さんの前でガスキン先生の教えが活きていたってことですよね。
小澤:かも知れないですね。いま話していて、初めて思いました。凄いな。縁に感謝。出会いに感謝しかないですね。