⚫心躍る瞬間「ミュージカル研究会ですごした時間」
松下:今月のゲストは、フリーアナウンサーで俳優の八木亜希子さんです。今週もよろしくお願いいたします。
八木:よろしくお願いします。
松下:先週は八木さんの大好きな映画「サウンド・オブ・ミュージック」と、中学、高校時代の八木さんのお話を伺いました。
今週も八木さんの “心躍る瞬間”について伺っていきます。2週目の今日、お話いただくのは、どんな瞬間でしょうか?
八木:私が“心躍った瞬間”は「ミュージカル研究会ですごした時間」です。
松下:それでは時計の針をその瞬間に戻してしていきましょう。
もう分かりました! 「サウンド・オブ・ミュージック」からの、ミュージカル研究会!
八木:と、思うでしょう?
松下:違うんですか?
八木:全く意識していませんでした。本当は、「サウンド・オブ・ミュージック」から、“映画サークル”に入りたかったんです。
松下:そうなんですね。
八木:当時、同じ中高から同じ大学へ行った友人が3人いて、1人はアナウンス研究会に入って、私は映画研究会に、そしてもう1人はミュージカル研究会に入りたかったんです。たくさんサークルがあるから、心細かったのでそれぞれ見たいところに付き合って一緒に回ったんです。
最初はアナウンス研究会に行きました。すごく真面目で、授業みたいにコマを取って。皆さん本当にアナウンサーを目指している感じだったんですが、私はそれまでアナウンサーの仕事をあまり知らなくて…。
松下:でも、(今は)アナウンサーですよね(笑)。
八木:今はね(笑)。今はそうなんですが、大学1年の私は(アナウンサーのことをあまり)知らなくて、(友達に)付き合って(アナウンス研究会に)行って、ラジオドラマをやったり…。
どちらかというと、“アナウンサーセミナー”みたいなサークルでした。
松下:アナウンサーを目指す方しかいらっしゃらない?
八木:養成の場所みたいなところだったんです。“へえ、こんなところがあるんだ。ラジオドラマ面白かった”と思いながら、その帰りに映画サークルへ行きました。
映画サークルっていっぱいあるんですよ。ひとつのラウンジに10個位のサークルがワーッとたむろしているんですけれども、どこへ行ったら良いのか分からなくて、まずは近いところから順番に回るんです。みんな「おいでおいで」「うちに来たら楽しいよ」と言うんですが、見せられる写真が飲み会の写真ばかりで(笑)。
松下:(笑)。
八木:“何か違うな”と思って、最後に行ったのが、友達が入りたかったミュージカル研究会でした。そこは、歌ったり、練習で柔軟をしたり、すごくアットホームで、「おいでよ」と誘われた時に、“楽しいな”と思ったんです。
松下:そのミュージカル研究会は、ミュージカルを人前で披露することを最終目標としていたんですか?
八木:そうなんです。アトリエ公演と本公演というものがあって。
松下:結構本格的にやるんですね。
八木:本格的に、年に2回やるんです。しかもコピーではなくてオリジナルで。作詞も作曲も振り付けも全部。もちろん脚本も。
松下:すごい! もう劇団ですね。
八木:そうなんです。
松下:当時の八木さんは、歌って踊ってお芝居をしたかったということでしょうか?
八木:結局そうですね(笑)。楽しかったです。
松下:それを楽しいと思えるということは、アナウンサーになるよりも先に俳優になりたかったのでしょうか?
八木:それを言ったら、小学校2年の時に学芸会で「みにくいアヒルの子」をやることになって、「みにくいアヒルの子の役をやる人は?」と聞かれて手を挙げたのも私でした。だから、(演じることが)好きだったんですね。
松下:“人前に立って何かをしたい”という想いが小さい頃からあったんですね。
八木:だけど、ミュージカル研究会に入って分かったことは、“身の程を知る”というか…音痴で体が硬かったので、(主に)衣装と会計係でしたね(笑)。
松下:事務作業の方に(笑)。
八木:真面目だったので(笑)。
松下:でも、もちろん舞台に立たれたことはあるんですよね?
八木:もちろんありますけど、その他大勢の役が多かったです。でも、本公演の時にフリフリの可愛らしいアイドルみたいな服を着て歌を歌ったこともありました(笑)。
松下:いろんな役をされているんですね。
八木:いろいろ幅広く。大学生だったから、いろんなことをやりたかったんでしょうね。
松下:“ミュージカル研究会に入っていたから今の自分がある”と思うことはありますか?
八木:先週の「サウンド・オブ・ミュージック」の時と同じで、歌って踊るエンターテイメントって楽しいなと。“人を楽しませることが楽しい”ということは体感しましたね。
⚫クロニクル・プレイリスト「Boy From New York City / The Manhattan Transfer
松下:この番組では、ゲストの方の“心躍る瞬間”にまつわる思い出深い曲やその時代の印象深い1曲を“音楽の年代記”=「クロニクル・プレイリスト」としてお届けしています。さて、今日はどんな曲でしょうか。
八木:大学のミュージカル研究会では、ウォーキングなどの準備体操でいろんな洋楽が使われていたんですが、その中でも“研究会っぽい曲”ということで選びました。
マンハッタン・トランスファーで「Boy From New York City」。
もうね、(この曲で)ツーステップを始めたりとか(笑)。
松下:ツーステップしやすそうですね。
八木:ツーステップしたり、クルッと回ったりしていました(笑)。
松下:先ほどアナウンス研究会のお話がありましたが、そこで“アナウンサーになりたい”と思われたわけではないんですか?
八木:ないんです。意外と身の程を知っていて、就職もエンターテイメントに携わりたいと思ったけれど、志望は制作だったんです。
松下:そうなんですね。
八木:当時、制作志望者のためのセミナーへ行ったり時事問題を勉強したりしている中で、(テレビ局の)アナウンサー試験の方が先にあって、「会社を見られるし、面接の練習にもなるから、とにかく(申し込みのハガキを)書いて、(アナウンサーの面接に)行ってきなさい」と言われて。
申し込みのハガキを出した後にアナウンサーの方の講演があって、「(アナウンサーは)こういう仕事です」と聞いた時に、初めて“面白そうな仕事だな”と思ったんです。
松下:その時に!
八木:私は心理学科だったので(早稲田大学第一文学部心理学専修)、いろんな人にインタビューするということはカウンセリングに通じるものがあって、(そこで初めて)興味がワーッとそちらに傾いたんです。
アナウンサー試験を受けるハガキを出した時は記念で受ける感じだったのに、(面接の時には)すごくやる気満々で受けました(笑)。
松下:じゃあ、そこから“アナウンサーになる”と…。
八木:スイッチが入って(笑)。OB訪問もしたり、色々な人に話を聞きました。
松下:すごいですよね。(アナウンサーに受かるのは)狭き門じゃないですか。
八木:自分でも何が良かったのか分からないけれど、(面接では)緊張してすごく声が小さかったみたいで、ディレクターみたいな人に「あなた、ミュージカル研究会なんだよね? ちょっと歌ってみて」と言われたんです。
その時、私が(フジテレビに)入ってからアナウンス部長になられる野間脩平さんもいらっしゃって、すごく良い声で「記念だから」と言われたんです。そう言われたら“そうだよね、これで終わりだしなぁ”と思って…。
松下:もう何にもとらわれることなく。
八木:受かると思っていないし、向こうも受かると思っていないんだから…と思って、記念にちょっとステップを踏んで歌ったんです。そうしたら「声、出るじゃない」と言われて。そこがポイントだったのかもしれない。
松下:ミュージカル研究会に入ったことで、アナウンサーの道が開けたんですね。
八木:本当ですね! 人生って全部つながっているんですね。
松下:人生、何があるか分からないですね。八木さんがアナウンサーになるきっかけはミュージカル研究会だったんですね。
八木:結局ね。可能性の扉を開いてくれたのは。
松下:面白いですね。
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八木亜希子さん公式サイト
<松下さん衣装>
ワンピース: グレースコンチネンタル / GRACE CONTINENTAL
03-5456-0209
スタイリスト:大沼こずえ
ヘアメイク:山科美佳
- ゲストが語る“心躍る瞬間”や“エピソード”
その時に刻まれた思い出の1曲。
または、その時代の印象的な楽曲。
- 『Boy From New York City』 The Manhattan Transfer