2018年10月22日〜26日OA
糸数陽一選手
ウェイトリフティング、男子62キロ級
16年リオデジャネイロ五輪4位
今年の8月〜9月に開催されたアジア大会@インドネシア・ジャカルタ。
大会前にインタビューを行いました。
今年の4月に腰を痛め、そこから少しずつ調子があがってきている。
今回は、ケガを悪化させないこと。
◆アジア大会とは?
2年後に迫った東京オリンピックに向けて、試合の雰囲気を感じたい。
今回は、自分らしい試合をしたい。
結果、5位でフィニッシュ。
楽しく試合ができたと試合後に語ってくれた。
◆リオデジャネイロ・オリンピック4位で終わった気持ちは?
結果について、悔しい思い。
その時には逆転にいく勇気がなかった。
この記録にいこうと思えば、挑戦する気持ちをもっていかなければいけないと思いました。
パワーだけでなく他の選手との心理戦も大事。
より重いものを持ち上げるだけではない。
毎回同じ重さを持ち上げられるとは限らない。
繊細な競技。
◆オリンピックメダルまであと3キロでしたが、その後変化は?
トレーニングは大幅に変えてはいない。
1964年東京オリンピックで金メダルを取った三宅さんにアドバイスをもらっています。
トレーニングの仕方や試合に持っていく仕方を教わっています。
◆アジア大会準備について
三宅さんは、オリンピック半年前には準備は終わっていたと言っていました。
それくらい直前ではなくて、練習からしっかりやっていかないといけないと思います。
アジアでメダルが取れれば世界で確実に取れるので、
11月からは階級が変更になり、61キログラム級になるので体重調整とか必要になるので、いろいろ考えて試合に臨みたいです。(アジア大会)
※2012年ロンドンオリンピックは、予選落ちで出場できず、引退を考えたそう。ただ、沖縄のおじいちゃんおばあちゃんがその思いをとどまらせたとの事。2020年東京オリンピックで糸数選手が活躍する姿を沖縄の皆さんは待ち望んでいるのではないでしょうか。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。