10月8日〜10月12日OA
陸上男子日本代表
山縣亮太選手
◆初めて世界を意識したのは?
大学1年生、山口国体、100mで当時のジュニア記録を更新し、
青年100m、3番に入った時です。
あの時に、ロンドンオリンピックのB標準を突破した事が、自分も世界に出られると思った手ごたえにつながりました。
◆2012年のオリンピックはいかがでしたか?
自分の中で意識していたのは、他の大会とは別物なんだけど、普段通りの大会と思うようにしました。
これまでの集大成を出すところだと思ってました。
自分としては及第点をあげてもいいかなと思いました。
うまくやれば魔物はいないと思えました。
◆2012年オリンピック後
2012年が終わってから、2016年までしんどいシーズンでした。
2015年に負けたときは、自分の力をしっかり出せば勝てると信じていました。
オリンピックに行くのは俺なんだっていう強い意志をもっていました。
◆2016年リオオリンピックでは、準決勝で自己ベストをマーク。
0.04秒決勝までたりなかった。
どんなにプレッシャーを感じても、最終的に自分がやらなければいけない、その時できる事はたった一つなんです。
それに集中しようとおもうしかなかった。
それで結果がでなかったら、自分の実力が足りないという事で、そのくらいの気持ちで挑みました。
自己ベスト出せたのはその時もっていた自分の力の100%は出し切れました。
そういう意味では良かったです。
決勝に出られなかったのは悔しいですが。。。
◆ストロングポイント
いつも自己ベストで走る。
意識してます。
できてるときもあります。
どうやったら結果がでるか、走りの技術や体のつくりなど細かいところも含めてやってきています。
今はそれに自信を持ってます。
◆2020年
頑張って選ばれますので、応援よろしくお願い致します。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。