10月1日〜10月5日OA
リオデジャネイロオリンピック
陸上男子代表
山縣 亮太選手
◆いつから陸上を始めたのか?
陸上に関していえば、地域の陸上クラブがあり、
そこの選手は世界大会にいったり、
中学高校も続けられるクラブで、環境は整っていました。
僕は楽しくできていました。
遊びを取り入れていた運動でした。
遊びながら、技術を取り入れていったので、良かったです。
とても楽しかったです。
※小学4年生からクラブに入ったそうです。
◆小学校で脅威的な成長を見せた山縣選手
(※野球などの習い事をやられていたとの事。)
野球は好きですが、チームスポーツと個人スポーツの違いがあり、
陸上は自分のフィーリングでできたのが良かったです。
学校では、学年で2番とかで、1番ではなかったです。
陸上を始めて、専門的知識を覚えてからはずっと1位でした。
◆中学生時代は?
中学校3年間は、陸上部でリレーで全員で全日中にいくんだ〜って意気込んでました。
皆で思い出を作るんだっていう目標がありました。
子どもの頃は、全国大会にいくって言っても、一番ワクワクするのは、試合後のディズニーランドに行くことだったりするんですよね〜。
僕はそれがモチベーションでした。(笑)
◆小学生と中学生のトレーニングの違いは?
中学に入ってからは陸上トレーニングの質が変わり、
自分を追い込んで、しんどいトレーニングに変わりました。
ただ、そのしんどさが結果に表れてタイムが伸びるのが分かったので楽しかったです。
◆高校時代は?
高校に入ってからステージが上がりました。
ビデオを見て、研究熱心になりました。
1年から自己ベストも出たので良い思い出です。
骨折などもありましたが・・・。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。