8月13日〜8月17日OA
新体操女子
リオデジャネイロ オリンピック代表
畠山 愛理選手
2018年7月21日に行われた「MY OLYMPIC 公開録音」の模様をお届けしました。
◆新体操を始めたきっかけは?
小さいころから活発な女の子でした。
それをよく分かっていた母が、小学校1年生をきっかけに、
いろんなスポーツの体験に連れて行ってくれたんです。
クラシックバレー、バスケ、体操などなど。
その中で、新体操が一番楽しくて、自分からやりたいと言いました。
リボンがすごく楽しくて、もっと触りたいと思って始めました。
◆オリンピックを目指したきっかけ?
新体操で大会がある事を知ったのが小学校2年生でした。
オリンピックの事を意識し始めたのは小学校6年生でした。
小学生だけの全国大会があり、小学校6年生でやっと決勝に
入ることができ、6位入賞をしたのですが、全日本で上位に行けたから、次は世界で戦いたいなと思い始めました。
世界っていったらオリンピックという繋がりから、
そこから意識しました。
◆新体操への思いが強かった。
新体操を始めた頃は、尋常でないくらい新体操への思いが強く、
学校でも、図工の時間で作る作品が全て新体操に関する事でした。
学校が終わってからは、家で新体操のビデオを見て、練習へ行って、
帰ってきて、ごはんを食べながら新体操のビデオをまた見ていました。
新体操の手具と一緒に寝る生活でした。(笑)
◆お母様との関係
母は、私にいろんな選択肢をくれました。
習い事を選ばさせてくれたことにより、
夢への近道をくれたような感じです。
とても感謝しています。
◆2012年ロンドンオリンピックに初出場、いかがでしたか?
新体操って本番一本が2分半なので、あっという間に終わりました。
ただ、夢の舞台だったのでとても嬉しかったです。
そのあと、リオをすぐに目指そうと思いました
◆ロンドン7位入賞リオ8位入賞どう受け止めていますか?
既に、リオでは引退することを決めていたので、
悔いを残さない状態で練習を終えることを決めていました。
まだ頑張っている選手には東京オリンピックでは、リオで感じた思いを思い切りぶつけて挑戦してもらいたいと思います。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。