6月11日〜6月15日OA
平昌オリンピック
スピードスケート女子日本代表
金メダリスト小平奈緒選手インタビュー
2010年バンクーバー
2014年ソチ
2018年平昌
?3回連続出場している小平選手。
バンクーバーオリンピックとソチオリンピックの時はどういう気持ちでしたか?
23歳で初めて出ました。
初オリンピックでワクワクした気持ちでした。
どれだけ自分が挑戦できるか夢中になれました。
ソチは、メダルが狙える位置と言われながら自分の実力のなさを痛感し、世界の進化がすごく進んでいることを感じたオリンピックでした。
?ソチオリンピック後にオランダへ行かれましたが、
何故ですか?
ソチが終わり、スピードスケートが文化として根付いているオランダで競技から離れたところのスケートを見たいという気持ちがありました。
それでオランダへ行くことを決めました。
オランダへ行って、スケートとの向き合い方が変わりました。
?日本との違いは?
地域に限らず、国民的スポーツという部分が違いました。
オランダにはたくさんの室内リンクがあり、
日本でいうおじいちゃんおばあちゃんがゲートボールをしているところがスケートリンクにはありました。
スピードスケートがおじいちゃんおばあちゃんたちの娯楽になっているのが良いなと思いました。
競技力を高めるだけでなく、その地域の人たちとの繋がりになるきっかけがスピードスケートにある事に魅力を感じました。
?平昌大会振り返っていかがですか?
今回のオリンピックでは、W杯でも何度か優勝させていただき、自分の中でも実力がついたと感じて臨んだオリンピックでした。
自分の実力通りのレースができたと思っています。
?今後について教えてください。
今は、もう次のステップに進んでいます。
日常に戻ったので皆さんが変わらず応援してくれたら嬉しいです。
あとは、スケートセンターへ行って皆さんも滑りたいなとおもってくれたら嬉しいです。
?次のステップとは?
一番は、スケートの魅力を伝え続けていきたいです。
そういった中で競技としての自分らしいスケートを極めていきたいです。
2010年バンクーバー
2014年ソチ
2018年平昌
?3回連続出場している小平選手。
バンクーバーオリンピックとソチオリンピックの時はどういう気持ちでしたか?
23歳で初めて出ました。
初オリンピックでワクワクした気持ちでした。
どれだけ自分が挑戦できるか夢中になれました。
ソチは、メダルが狙える位置と言われながら自分の実力のなさを痛感し、世界の進化がすごく進んでいることを感じたオリンピックでした。
?ソチオリンピック後にオランダへ行かれましたが、
何故ですか?
ソチが終わり、スピードスケートが文化として根付いているオランダで競技から離れたところのスケートを見たいという気持ちがありました。
それでオランダへ行くことを決めました。
オランダへ行って、スケートとの向き合い方が変わりました。
?日本との違いは?
地域に限らず、国民的スポーツという部分が違いました。
オランダにはたくさんの室内リンクがあり、
日本でいうおじいちゃんおばあちゃんがゲートボールをしているところがスケートリンクにはありました。
スピードスケートがおじいちゃんおばあちゃんたちの娯楽になっているのが良いなと思いました。
競技力を高めるだけでなく、その地域の人たちとの繋がりになるきっかけがスピードスケートにある事に魅力を感じました。
?平昌大会振り返っていかがですか?
今回のオリンピックでは、W杯でも何度か優勝させていただき、自分の中でも実力がついたと感じて臨んだオリンピックでした。
自分の実力通りのレースができたと思っています。
?今後について教えてください。
今は、もう次のステップに進んでいます。
日常に戻ったので皆さんが変わらず応援してくれたら嬉しいです。
あとは、スケートセンターへ行って皆さんも滑りたいなとおもってくれたら嬉しいです。
?次のステップとは?
一番は、スケートの魅力を伝え続けていきたいです。
そういった中で競技としての自分らしいスケートを極めていきたいです。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。