5月21日〜5月25日OA
カーリング男子・SC軽井沢クラブ
両角友佑選手インタビュー
◆20年ぶりのオリンピック出場、いかがですか?
女子は毎回出場していましたが、男子は出場できていなくて、一般の人たちには男子の部がないと思われるくらいでした。
そういう意味でも、オリンピックは絶対に出なければいけない大会だと思っていました。
(※1998年の長野オリンピックで始めてカーリングを見た両角選手。それだけにオリンピックは、特別な思いがあるそうです。)
皆さんがオリンピックは他の大会と違うよと言われるので、そこがどう違うのか楽しみです。
(※オリンピック前インタビュー)
◆調子はどうですか?
もう少し、そわそわするかなと思っていましたが、落ち着いて練習ができています。
◆SC軽井沢クラブの特徴は?
攻撃的なのが特徴。
作戦が攻撃的なのがポイントで、力強いすいーぷとショットが得意です。そこが強みです。
たくさんの方の応援があって、弱かったチームがこういう大舞台に立てることができました。
結果という形で感謝を示したい。
ひきつづき応援をお願い致します。
◆8位入賞おめでとうございます。
チーム全体良かったんですが、最後は形が崩れてそれが残念でした。
勝負所のあと一本という所がしっかり決めきれなくて残念でした。
今まで世界選手権には出てきましたが、オリンピックはそう変わらないなと思いました。
まだまだ僕たちも成長できるという事が分かりました。
環境が許せば、まだまだ頑張りたいと思います。
◆オリンピックはどういう大会だった?
20年ぶりと言われて、ぼくたちは20年じゃないと言っていて、
長野オリンピックからずっと止まっていて、それがやっと動き出して、今回は4勝5敗という事で始まったので、この歩みを止めずにもっと上に行きたいです。
とりあえず楽しかったです。
最後までよく戦えたなと思います。
チームとして、世界との差が確実に詰まってきているのが実感できました。
強いチームでも躓く事が見られましたし。
残念ながら勝ち越しはできませんでしたが、4勝できて良かったです。
◆自分たちのカーリングがしっかりできて、でもそれが崩れて、終わったのでそれだけが残念です。
次があれば、また戻ってきたときにそうならないように気をつけたいです。
自分たちの今の実力がここだったなと思います。
今は、自分たちのレベルがここだという事を意識して、
次に上がるために、自分たちは上を目指せると思ったので、それが更なる発展につながればと思います。
1981年12月29日東京都生まれ
(幼少時代から仙台で過ごす)
プリンスホテル所属。06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言をし、アイスショーを中心に活動し、オリンピックキャスター、フィギュアスケート解説、テレビやイベント出演、コラム連載も行う。現在は、イタリアのピエモンテ州の観光大使を務めるなど様々な分野にも精力的に挑戦している。
1972年5月6日生まれ/岐阜県出身
中学から本格的に陸上競技を始め、県立岐阜商業高校、大阪学院大学を経て実業団へ。98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。2001年ベルリンでは女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。
公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会 理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターなどで活躍中。